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「僕は鶯が世界中の誰よりも好きだ! 大好きなんだ!」
ドアを開けて部屋に飛び込んだ僕は、はっきりと大声で叫んだ。
ラナンさんは驚きの表情で口をぽかんと開けている。
普段のラナンさんからは考えられない、間の抜けた顔。そんなこと、さすがに口に出しては言えないけど。
「そ……染衣さん、鶯さんにふられたのでしょう? 諦めの悪い男は嫌われますわよ?」
ラナンさんは一瞬戸惑いを見せたものの、すぐに表情を引き締め、落ち着き払った口調で僕にそう問いかけてくる。
だけど、内心の焦りはバレバレだった。
そんなラナンさんに、僕はなにくわぬ顔で答える。
「嘘だから。僕、鶯に告白なんて、まだしてないよ」
「……それも男らしくなくて嫌われるかもだけどな」
「ちょっと、茶化さないでよ、紫輝!」
茶々を入れてくる紫輝に文句をぶつける僕。その様子を、ラナンさんは困惑顔で眺めていた。
「どういうことですの!? 染衣さんから聞いていた話では、紫輝さんとはこのところ、会話すらしていないみたいだったじゃないですか!? どうしてそんなに打ち解けていますの!?」
いつもの穏やかな口調を続ける気力を、すでに保てなくなっているのだろう、ラナンさんの語気は荒くなってきている。
澄んだ綺麗な声質なのは、依然として変わっていないのだけど。
「さっき言ったでしょ? 紫輝の家に寄ってきたって。それで万事解決、無事仲直り。そんな感じかな。ポインセチアのおかげもあるけど」
「べ……べつに私は、大したことなんてしてないわ!」
僕が賛辞の言葉を向けると、ポインセチアは恥ずかしそうにそっぽを向いてしまう。
「それも納得のいかないところなのですわ! どうして同属のあなたが、ここに来てますの!? 同属でしたら、恋花のそばから離れられないはずですのに! それに、どうして染衣さんに取り入ってますの!?」
「もう失恋綿帽子を飛ばしたから、私の呪縛は解かれてるのよ。それに、べつに取り入ってるとか、そんなんじゃないわ。ただ私は、紫輝くんの恋花の妖精だから」
「理由になってませんわ! どうしてわたくしの邪魔をするのか、全然理解できません!」
「それは僕からお願いしたんだけどね」
ふたりがケンカを始めそうな勢いで罵声を浴びせ合っているのを止めようと、僕は控えめに口を挟んでみる。
「理由なんて、どうでもいいじゃない。怒るとシワが増えるわよ?」
「恋花の妖精に、シワなんてできませんわ!」
「そう? そのわりに、今、眉間に深いスジが何本も浮き上がってるわよ?」
「ムキーーーッ! それはあなたのせいですわ!」
……なんというか、僕のことなんて眼中にないようで、恋花の妖精同士の言い争いは続けられてしまった。
それにしても、いつも穏やかで優しい笑顔の印象しかなかったラナンさんだけど、怒るとこんなふうになるんだ。
普段温厚な人ほど怒ると怖いという話もよく聞くけど、ラナンさんは絶対に怒らせないようにしようと心に誓う僕だった。
もっとも、今後もラナンさんとともに生活を続けていくとは、さすがに思えないけど。
と、そのラナンさん。ゆらりと恨みがましい視線を僕に向け、凄まじいオーラをまとった様子で僕に詰問を開始してきた。
そう、質問ではない。詰問だ。
笑顔ではあるけど、いや、笑顔だからこそか、心の底から寒気が吹き出してくるような恐ろしさをかもし出していた。
「染衣さん、どうしてですの?」
「ど……どうしてって……?」
「恋花の妖精は、理想的な女性像を反映する能力を持っていますのよ!? ですからわたくしは、染衣さんの理想そのもののはずですのに! それなのにどうして、鶯さんがいいんですの!? 話に聞く限りでは、変わり者で女性らしさのカケラもないみたいじゃないですか! それに、ケンカをしてらっしゃるのでしょう? そんなわからず屋の女なんかに、どうしてこのわたくしが負けるんですの!?」
必死の訴え。
こんなラナンさんを見るのは初めてで、とても新鮮に思えてしまう。
「理想どおりの女性を好きになるとは限らないものさ。好きになれば、理想的じゃない部分だって好意的に思えてくる。そういうものなんだよ、恋ってやつは」
僕の代わりに紫輝が答えた。
僕も頷きながら、さらに補足の言葉を添える。
「ラナンさんは、べつに鶯に負けてるってわけじゃないよ。確かにラナンさんは理想的だと思う。綺麗だし優しいし女性らしいし。それでも、僕は鶯が好きなんだ。小さい頃からずっと一緒に過ごしてきた時間ってのもあるしね」
僕の言葉を素直に聞いてくれているラナンさん。
しゅーんと沈んだ表情が、なんだかちょっと可愛らしい。
「染衣、梅原さんがラナンさんに勝ってるところを、いくつか挙げてみな」
不意に紫輝がそんなことを尋ねてくる。
なにを言わせるんだ?
そうは思ったものの、素直に答えを返そうと試みる。
「そんなの、たくさんあるよね、きっと。え~っと……。顔……は、ラナンさんの圧勝か。さっきも言ったとおり、優しさとか女性らしさもラナンさんが上だよね。鶯って変わった匂いだから、ラナンさんの爽やかな香りには敵わないと思うし、ワガママなところもあるし、突然わけのわからないことを言い出すし、虫の話ばっかりするし……。ありゃ……?」
「あっはっは! いいとこ、ひとつも出てこないじゃないか!」
「むう……だけど、確実に勝ってることが、ひとつあるよ」
「ほほう、それはなんだ?」
「僕が好きな気持ち」
改めて考えてみたら、とっても恥ずかしいことを言っているように思うけど、僕は胸を張ってそう断言した。
「はいはい、ごちそうさま」
少々呆れ顔の紫輝。
「ま、そういうわけだ」
ラナンさんは黙ってうつむいている。
一方、代わりにうるさく騒ぎ立て始めたのがひとり。ポインセチアだった。
どうやら紫輝のさっきの発言が引っかかっているようだ。
「恋花の妖精は理想的な女性像を反映するのに、理想どおりの女性を好きになるわけじゃないって……。それじゃあ紫輝は、私じゃダメってこと!?」
ポインセチアはすがりつくような勢いで、紫輝に詰め寄っていった。
「いや、あの、ポインセチアはポインセチアで、大好きだよ!」
「そ……それならいいわよ」
ぷい。真っ赤になりながら、そっぽを向く。
う~ん、なんというか、ポインセチアってツンデレ系?
紫輝の理想の女性像って、こんな感じなんだ。確かに、実際に好きになった笹百合さんとは、随分と違うタイプだな。
「とにかく! 俺は失恋してしまったけど、友人の染衣には幸せになってほしい。だから協力するために、ここまで来たんだ。染衣を失恋させるなんて、絶対に許さない!」
ビシッと人差し指をまっすぐ前に伸ばし、紫輝はカッコよくポーズを決めたつもりのようだ。
……そっぽを向きながらもポインセチアが腕を絡めていて、紫輝のほうもなんだか鼻の下を伸ばしている様子だったというのが、カッコよさを台無しにしてはいたけど。