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階段を下りていく音が小さくなっていきます。
どうやら行ったみたいですね。この家のトイレは一階にしかありませんから。
男性の場合、すぐに戻ってきそうですけれど。
「……ふ~……」
わたくしは大きく息を吐き出し、首をコキコキと鳴らします。
いくら恋花の妖精とはいえ、肩だって凝ってしまうというものです。
それだけ、恋愛の手助けをしたり不安な心を慰めたりするのは、神経を遣う大変な役割なのです。
「なかなか大変ですわね、子供のおもりというのは」
部屋の中央付近に戻り、小さくぼやき声を漏らしても、もちろん聞いている人なんているはずがありません。
隣の部屋の好野さんは今もリビングにいるはずですし、母親である智絵理さんはキッチンで夕飯の準備をしているところでしょう。
わたくしがこの部屋に住み着いて、もう二ヶ月くらいは経ったでしょうか。
思った以上に時間がかかってしまいましたけれど、ようやく目的を達成できそうで安心しました。
「もう少しですわ。もう少しで役目も完了。紫輝さんとかいうご友人のせいで随分と遠回りしてしまいましたが、染衣さんは、やっぱりチョロいですわね」
ふわっとベッドに腰を下ろし、染衣さんが戻ってくるまで、わずかの時間ですけれどゆっくりさせていただきましょう。
そう思った矢先でした。
突然、わたくしでも染衣さんでも、さらにはこの家に住む他の家族でもない声が響き渡ったのは。
「へぇ~、そんなにチョロいのか?」
「ええ。とってもチョロい……って、えっ? どなたですか?」
驚くわたくしの声に従って、ドアを開けて部屋の中に入ってきた人影はふたつありました。
片方は、染衣さんと同じくらいの年代の男性。ということは、おそらくはご友人である紫輝さんなのでしょう。
散々わたくしの邪魔をしてくれた、いまいましい男……。
ですが、それよりもわたくしの目を引いたのは、もうひとりの女性のほうでした。
染衣さんと同じか少し下くらいの年齢でしょうか。もし彼女が人間であったのならば、ですが。
同属であるが故、彼女の正体は一瞬でわかりました。
「そちらの女性……恋花の妖精ですわね?」
「ええ、そうよ。あなたと同じで、ね」
腕組みをして強気な視線を向けてくる彼女。
つり目なのが、その強気を助長しているようにも感じます。
「どういうことですの?」
わけがわからないわたくしに、同属の女性が不敵な笑みを向けてきます。
とても、ムカつきますわっ!
「さて、どうしてかしらねぇ?」
「なんですの? わたくしをバカにするために来たとでも言うのですか?」
語気が荒くなるのを必死に堪えながら、わたくしは女性に言い返します。
姿を消して逃げるという手もあるにはあります。ですが今の状態で逃げてしまうのは、負けのような気がしてなりません。
絶対にこの女には負けたくありませんわ……!
そんな思いがわたくしの胸の中には渦巻いていました。
「ま、ある意味そうかもしれないけど」
「ポインセチア、あまり相手を怒らせないほうがいいんじゃ……」
「紫輝くん、あなたは私に指図する権限なんてないわ! 黙ってなさい!」
「いや、でもさ、あの人、こめかみがピクピクしてるよ? 人じゃないみたいだけどさ」
「わざとやってるんだから、いいのよ!」
……この女、いったいなにを言っているのでしょうか。
「わざとってあなた、ふざけるのもいい加減になさってくださいませんこと? ここはわたくしの部屋ですのよ?」
「いやいや、染衣の部屋だから」
わたくしの言葉に、紫輝さんがツッコミを入れてきました。
「ふふっ、ですが染衣さんはもうわたくしのとりこ。鶯さんにもふられたみたいですし、もう目的は達成したも同然ですわ」
わたくしは自信満々に言い放ちます。
そのすぐあと、そんな自信を粉々に打ち砕く言葉が、容赦なく投げかけられることになってしまいました。
……それも、わたくしの獲物である、染衣さん自らの口から――。