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「ほ……ほんとに浮気だったの!? 紫輝、笹百合さんとのこと、そんな簡単に乗り換えちゃう程度の想いでしかなかったの!?」
思わず叫んでいた。
新たな恋が始まっているのだとしたら、あまりにもひどいことを言っているかもしれない。
でも、抑えきれなかったのだ。
それにしても……なんだろう、この違和感は。
叫ぶ僕に視線を向けてくる女の子。ツインテールの可愛らしい子だけど、その髪の毛は……金髪? 外国人なの?
それに、僕が突然部屋に入ってきて叫んだのに、紫輝は顔を上げようともしない。
いや、僕に気づいてすらいないように見える。
だいたい、考えてみたらそもそも、この女の子がいること自体おかしいのだ。
お母さんは、紫輝がさっき帰ってきたばかりだと言っていた。もし女の子が一緒に家に入ったのなら、お母さんだって気づくはずだ。
そして、女の子とふたりで部屋にいると知っていたなら、寝ているとでも言って嘘をつくなりして、僕を家に上がらせないだろう。
そうしなかったということは、紫輝のお母さんは知らなかったのだと考えられる。
お母さんが見ていないうちに女の子をこっそり家に上げ、部屋に駆け込んだという可能性もないわけじゃないけど……。
どちらかといえば、最初からこの部屋にいたと考えたほうが、自然な気がする。
そこで気づく。
部屋の中に漂う、甘い、花のような香りに――。
「ポインセチア……」
紫輝が顔を上げ、目の前の女の子を見つめながらつぶやきを漏らした。
僕がいるのは背後になるから、紫輝の顔は見えなかったけど、なんとなくうっとりしたような、そんなつぶやき。
それに……。
「ポインセチアって……名前……? キミ、外国人なの……? それとも……」
こちらのほうが、核心に近い、そう感じていた結論をぶつけてみる。
「もしかして、恋花の妖精……?」
「…………そうよ」
僕の言葉に少々目を丸くしていたものの、ツインテールの女の子――ポインセチアは素直に頷いてくれた。
「でも、もう手遅れだから」
そう言いながら、ポインセチアは視線を部屋の一角、勉強机の上へと向けた。
僕もそれに従い、同じ場所へと目を向ける。
そこには、綺麗に色づいた花が、机から直接生えていた。綺麗に色づいているだけでなく、ほのかな虹色の輝きを放つ花が――。
「恋花……」
「そう」
僕のつぶやきに、再び素直な肯定が返ってきた。
「紫輝の恋花なんだよね? 他人には見えないはずなのに……」
「私が力を使って見えるようにしてるから」
疑問の声にも、ポインセチアは素直に答えてくれた。
ラナンさんは、そんなことができるなんて、一度も言っていなかったはずだけど……。
僕の頭の中で思い浮かべただけの疑問にも、ポインセチアは答えを返してくる。
「恋花の妖精の能力にも、個体差はあるの。人間に個性があるのと同じように」
淡々と語ってくれるポインセチア。
感情がまったく感じられないのが少々気にはなったものの、それも彼女の個性なのだろうか。
と、不意に机の上の恋花が変化を始める。
明るい虹色の輝きに包まれたまま、花がくるりと丸まったのだ。
まるで実にでもなったかのように。
「いいえ、実、そのものよ。そして……」
恋花から変化した実は、そのまま小さくなっていき、濃い色の塊へと変貌を遂げる。
「種になったわ」
よく見れば、黒い塊は、小さな黒い種がたくさん集まってできているようだった。
恋花が実となり種となる。それはラナンさんからも聞いていた。
だけど、恋が成就したら、という話だったはずだ。
紫輝と笹百合さんの恋が成就したわけではないと思うけど……。
疑問符が頭の上を飛び交っているような状態。そんな僕の目の前で、種はさらに変化を遂げる。
それぞれの種から、白い毛のようなものが伸びていく。
放射状に伸びゆく白い毛は、黒い塊全体を真っ白く覆い尽くす。
これはまるで……。
「タンポポの綿帽子……」
「似たようなものね」
僕のつぶやきに、またしてもポインセチアが言葉を加える。
不意に綿帽子が揺れた。
綿毛のついた種は、一斉に空中へと舞い上がる。と同時に、机から生えていた茎や葉は、すーっと薄れて消え去った。
浮かび上がった無数の綿毛はふよふよ漂い、そのまま窓のほうへ……。
「あ……」
思わず小さく声がこぼれる。
僕の目の前で、綿毛は窓ガラスをすり抜け、もう暗くなっている空へと散らばっていった。
窓に駆け寄り、外を見渡す。
夜空を舞う無数の綿毛が見えた。
それぞれが暗い夜の曇り空を背景に、ぼんやりと白く映える。それはさながら、しんしんと舞い落ちる雪のよう。
ただ静かに、なにか寂しさを感じさせる、美しくも哀愁漂う光景だった。
「風に乗って飛んでゆく、あれは失恋綿帽子というの」
「失恋綿帽子……」
「笹百合さん、紫輝くんのこと、諦めてしまったみたいね……。これで、私の役目は無事終了……」
言葉を紡ぎ出すたびに、ポインセチアの声は弱々しく勢いを失っていく。
微かに震えた声――。
続けて放たれた彼女の言葉は、僕に対してではなく、紫輝のほうへと向けられた。
「紫輝くん、ごめんなさい。ずっと騙していて……」
「あれ……? 俺はなにを………?」
紫輝はここでようやく正気を取り戻したようだ。
ぎゅっと抱きしめていたポインセチアから静かに離れる。
「あれ、染衣……?」
僕が部屋にいることに気づき、わけがわからず呆然と立ち尽くしている紫輝。
その目の前で、恋花の妖精としての役目を無事に終えたはずのポインセチアは、なぜか止め処なく涙をこぼし続けていた。