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KOIBANA  作者: 沙φ亜竜
8.すれ違いの純情な感情
32/44

-3-

 電車に乗る。

 朝のこの時間、座れることは少ない。僕はつり革につかまっていた。


 目の前の席には小さな男の子。ひざ立ちの状態で窓のほうを向いて外を眺めていた。

 隣の同い年くらいの女の子が「もう、まわりにめいわくでしょ!」と怒って、男の子のお尻を叩く。

 しぶしぶながらも、男の子は席に座り直す。

 女の子のさらに隣に座っていた母親と思われる女性は、微笑みながらそんなやり取りを見つめていた。


「ゆーえんち! ゆーえんち!」


 前向きに座り直した男の子が、足をぶらぶらさせながら、はしゃいだ声を上げる。


「もう、めいわくでしょ~? はずかしいな~、まったく!」


 女の子が腕組みしながらぷんぷんと怒ると、不満そうな顔を見せつつも、男の子は静かになった。

 どうやら母親に連れられて遊園地に行くところのようだ。

 おそらく姉弟なのだろう。同じくらいの年齢に見えるから、もしかしたら双子なのかもしれない。


 幼いふたりは、なんだか昔の僕と鶯みたいに思えた。

 僕と鶯は兄妹ではないし、どちらかといえば、はしゃぐのは鶯のほうだったけど。


 子供たちの明るい声が響く中、僕は懐かしい記憶を思い出していた。

 幼い頃、お母さんに連れていってもらった、遊園地の記憶を――。


 小学校低学年くらいだっただろうか、初めて遊園地に連れていってもらったときは、鶯と一緒だった。

 春香さんが仕事で、鶯は日曜日なのにひとりで留守番していた。

 そういう場合、僕の家に遊びに来ることも多かったのだけど、その日はうちのお母さんの提案で、遊園地にまで足を伸ばした。


 まだ背も低く、制限に引っかかって乗れない乗り物もあったけど、すごく楽しかった記憶がある。

 鶯と手をつないで遊園地の中を走り回って、あれに乗りたいこれに乗りたいとお母さんにせがんでいたと思う。

 今でも二十代くらいに見られるし、その頃は実際に今よりも若かったわけだけど、それでもお母さんは息を荒げていた。

 子供の勢いには、さすがについていけなかったらしい。


 とはいえ、お昼を食べた記憶があるから午前中から入場し、夕方まではしゃぎ回ったはずだから、思う存分楽しんだと言えるだろう。

 くたくたになって、帰りの電車の中では寝てしまったけど。

 家に着く頃には鶯とふたりで、最高に楽しかったねと笑い合っていた。


 ただ、それで終わったわけではなかった。

 夜になって仕事から帰ってきた春香さんに、鶯が遊園地のことを報告したからだ。


「桜井さん、勝手なことをしないでください!」


 鬼のような形相で押しかけてきて、うちのお母さんに怒鳴りつけた春香さん。

 僕は怖くて隠れながらも、気になってリビングのドアの陰からチラチラと様子をうかがっていた。


 怒鳴り込んできた春香さんの背後には、隠れるように小さくなっている鶯の姿も見えた。

 視線は合ったけど、近寄れる状況でもなかった。

 春香さんは、刀でも持っていたら斬りかかってくるくらいの勢いで乗り込んできたのだけど。

 対するうちのお母さんは落ち着いたもの。


「あらあら、梅原さん。あまり怒鳴ると、お肌に悪いですよ~?」


 やけにのんびりとした口調で、火に油を注ぐようなことを言い返していた。

 当然ながら、春香さんは真っ赤になって活火山のように爆発する。


「そんなことはどうでもいいんです! うちの娘を、勝手に連れ出さないでいただけませんか!?」


 ツバがかかるくらいの至近距離にまで身を乗り出し、春香さんは怒鳴りつけてきていた。

 春香さんのほうが圧倒的に背が高いため、見た目だけで言えば、確実に向こうに分があるところだけど。

 うちのお母さんは穏やかな口調を崩さず、敢然と言い返した。


「智絵理は智絵理のやり方で子育てしてるんです。大切なお隣さんの娘がひとりで寂しくしていたら、手を差し伸べるのが智絵理流のやり方です。ですから、そちらこそ口を出さないでください」


 言い返すとさらに反撃が来るのは、言い争いの基本というもので。

 春香さんはそれからどんどんヒートアップしていった。

 一方、うちのお母さんも、口調こそ変わらなかったものの、一歩も引かなかった。


「なによ! だいたいね、その智絵理って自分を名前で呼ぶところも気に食わないのよ!」

「嫌っていただいて構いません。でも智絵理はあなたを大切なお隣さんだと思ってます。もちろん、鶯ちゃんも。ね~? 鶯ちゃんも智絵理のこと、好きよね~?」


 突然話の矛先を向けられ、戸惑い気味の幼い鶯。

 自分のお母さんにチラリと視線を向けるけど、遠慮がちに「うん」と答えた。

 春香さんの顔が、怒りで真っ赤を通り越し、茶色がかるほどに染まった。

 次の瞬間、


「でも、お母さんのほうが好き!」


 春香さんの腕にしがみつきながら、鶯は笑顔でそう続けた。

 気を遣ったわけではない。本気の笑顔だ。隠れて見ていた僕も、思わず見惚れてしまうくらいの。

 鶯の言葉で、さすがの春香さんもそれまでの勢いを完全に失い、毒気を抜かれたような感じになっていた。


「これからも、智絵理は智絵理のしたいようにさせていただくつもりです。あなたになんと言われようとも」


 話を締めくくるように、うちのお母さんはそう宣言した。


「ふん! 勝手にしなさい!」

「ええ、勝手にします。これからも、ずっと、ね」


 こうして春香さんは、鶯を引き連れて帰っていった。

 思えば鶯が頻繁にうちに遊びに来るようになったのは、このあとからだったような気がする。


 それからも鶯がひとりで留守番しているのを知ると、うちのお母さんはいろいろな場所に連れていった。

 最初の遊園地のときはまだ幼稚園児だったから連れていかなかったけど、好野も含めて四人で出かけることも多かった。

 だからこそ好野も鶯と仲よしになっていったのだけど。

 好野は鶯のことを、本当のお姉さんのように思っていたかもしれない。


 そんなことを考えているうちに、電車は駅に到着した。


「バイバイ」


 目の前の幼い子供たちに軽く手を振って、僕は電車を降りた。


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