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笹百合さんからの電話やメールにすら応答がないことを考えると、僕から連絡しても無駄だろうとは思っていたけど、一応メールだけは送ってみた。
結果は思ったとおり。返信はない。
ま、仕方がない。学校には来るだろうし、明日話せばいいか。
カバンを部屋に置き、僕はリビングへと向かった。
「おにぃ、どうしたの? なんか元気ないね?」
「ん? ああ、まぁ……」
好野が心配してくれたけど、生返事の僕。
明日話せばいいと決めはしたものの、やっぱり気になってついつい考え込んでしまっていたからだ。
「なによ、鶯ちゃんとケンカでもした?」
「そういうわけじゃないよ。でも、紫輝がね……」
「紫輝くんとケンカしたの? 殴り合い? 少年マンガみたいやつ!? ワクワク!」
「いや、そうでもなくてね……。紫輝と、笹百合さんっていう鶯の友達が、いい感じになってたんだけど」
「おお~。紫輝くん、やる~! それでそれで?」
「なんかさ、紫輝のやつ、ラブラブだったのに、いきなりまったく笹百合さんと会わなくなって。僕ともほとんど喋ってくれないんだよね」
「ほほう~。そいつぁ、怪しいですな。探偵よしのちゃんの出番ですかな」
「いやいや、そんなのいらないから」
「え~? どんな事件もスパッと解決、体は中学生、頭も中学生、その名は名探偵よしのなのに!」
「頭は小学生かもしれないけどな」
「むっ、ひっどぉ~い!」
「体も……いや、なんでもない」
「むむっ! 言わないで止めるのって、言いきるよりもひどいよっ!」
「……じゃあ、言いきってやろう。鶯よりマシな程度!」
「ガガァーーーン!」
「……これってすごく、鶯に対してひどいよね」
「あははは、そうね~! でも鶯ちゃん、真っ平らだからなぁ……」
「確かに、平面だよね、あれは」
好野とのバカっぽい会話。
だけど、それで沈んでいた気分も少しは晴れているのだから、僕ってなんとも単純だ。
というよりも、好野がすごいと言えるのかもしれない。さすが、家族だな。
「もう、鶯ちゃんに聞かれたら、クワガタのハサミで目を突き刺されちゃうわよ~?」
そんなことを言いながら、お母さんが夕飯をリビングのテーブルに運んできた。
その言い草も、ちょっとひどいような気がする。
……でもまぁ、鶯ならやりそうか。
「あっ、あたしも手伝うね~! お兄ちゃんは、そのままよ? キッチンは女の園なんだから!」
「それはちょっと違うような。ま、いいけどね。じゃ、楽に待たせてもらうよ」
ソファーから立ち上がる好野が、僕に念を押す。
いつものことだし、わかってはいたけど、僕はあえてソファーにだらだらと寝っ転がってみせた。
「元気がなくても、夕飯はしっかり食べるのよ。残したら、地獄の罰ゲームだからね」
お母さんはお皿をテーブルの上に乗せながら、僕にウィンクをする。
ちなみに罰ゲームとは、フリフリのフリルがついた衣装を着て歌と踊りを披露するという恥ずかしいものだ。
……この罰ゲームだと、罰になるのってほとんど僕だけなのでは……などという反論はもちろん却下される。
お父さんの帰りが遅いため、女性陣ふたりVS僕という不利な状況では、勝ち目がないのだった。
もっとも、お父さんがいたとしても、女性陣にはボロ負けなわけだけど。
なお、お父さんが罰ゲームを受け、フリフリの衣装を着て歌って踊らされているという状況も見たことがあったりする。
世の家庭っていうのは、みんなこんな感じなのだろうか?
☆☆☆☆☆
僕は入浴タイムも終え、自分の部屋へと戻ってきた。
「お帰りなさい」
いつものように、ラナンさんが出迎えてくれる。
「ただいま。……それにしても紫輝のやつ、どうしたっていうんだろう。僕にくらい、相談してくれてもいいのにね」
好野やお母さんと喋っているあいだは完全に忘れて、楽しい団らんの時間を過ごせたのだけど、お風呂でひとりきりになると途端に、紫輝と笹百合さんのことに意識が戻ってしまった。
そんなわけで、僕はつい湯船で長々と考え込んでしまい、のぼせそうになったりしながらも、ようやくお風呂から上がってきた。
こうやって部屋に戻っても、明日どうやって紫輝を問い詰めるべきかで頭がいっぱいだった。
「素直に話してくれるといいんだけど……。ラナンさんは、どう思う?」
ずっと部屋にいたラナンさんが状況を把握しているとは思えないけど、ほとんど反射的に尋ねてしまっていた。
ラナンさんはいつも僕に優しく接し、温かな言葉を向けてくれる。
だから、どんなときでも頼ってしまうというか、安心して話してしまうのだ。
でも今日のラナンさんは、いつもとは違っていた。
「そんなこと、どうでもいいじゃないですか」
「え?」
耳を疑う。僕の友人である紫輝とその想い人である笹百合さんのことを、そんなこと、と言うだなんて……。
呆然として立ち尽くす僕のそばに、ラナンさんがそっと近寄ってくる。
そのまますらりと長い色白な両腕を伸ばし、僕の体を抱きしめた。
「あ……」
花のような香りと柔らかな温もりに包まれ、ドキドキしながらも、なんだかこれ以上ないほどの安らぎを感じる。
僕自身も両手をラナンさんの背中に回し、その存在を確かめるようにぎゅっと抱きしめ返す。
「ご友人のことも大切かもしれません。ですが、それよりご自分のことを考えませんか?」
耳もとから、ささやくような声が響く。
それは直接脳の深遠にまで浸透してくるような美しい音の流れ。
心地よいメロディーのようにすら感じられた。
「そろそろ鶯さんとの仲も、もっと進展するべきかと思います。恋花はもう、七色に染まっているのですから。虹色の輝きを放つまで、あとわずか……。鶯さんだって、染衣さんの気持ちが届くのを待っているはずですわ」
「そ……そうかな……?」
「ええ。遊園地デートのあともあまり進展していないようですけれど、想いは確実に深まっています。だからこそ、ここまで恋花も色づいたのですわ。ですから大丈夫。勇気を持って、頑張ってください」
勇気を持って、頑張る。
つまりそれは、僕が鶯に想いを伝えるということ……。
そうか、そうだよね。
ラナンさんがついているから、僕はきっと大丈夫。
……もしダメだったとしても、ラナンさんがこうして抱きしめて、慰めてくれれば、僕はきっと大丈夫。
ラナンさんの優しくて温かな笑顔、爽やかな香り、柔らかく包み込んでくれる温もりにも後押しされるように、僕はラナンさんを抱きしめる腕にぐっと力を込める。
ラナンさん……優しくて美しくて……とても素敵な女性……。
ほんとに温かくて、理想的なほど……。
…………。
あれ……?
僕はいったい、なにを考えているんだろう……?
鶯に想いを伝える決心をしているのに、ラナンさんのことばかりが頭の中を駆け巡る。
そりゃあ、今こうして目の前にいて、僕を優しく抱きしめてくれているのは確かだけど。
ラナンさんは恋花の妖精で、僕と鶯のことを応援してくれているだけなのに……。
「どうかなさいました?」
戸惑いの念を感じ取ったのか、ラナンさんは僕の目の前に顔の位置をずらし、微かに首をかしげる可愛らしい仕草でじっと見つめてくる。
それは今の僕にとっては逆効果で。
「い、いえ……」
顔から火が出るほど熱くなった僕は、そう答えながらも、ラナンさんの綺麗な翡翠色の瞳から目をそむけることができなかった。
「応援していますから、頑張ってくださいね」
にこっ。
花のような微笑み。彼女は恋花の妖精だから、比喩ではなく文字どおりと言えるのかもしれない。
そうだ。ラナンさんが応援してくれているんだから。僕は頑張らないと!
決意を強く胸に誓うと、ラナンさんは温かな笑顔を残したまま姿をすーっと薄れさせ、空気に溶け込むように消え去ってしまった。
そして、ラナンさんとのそんなやり取りによって、紫輝と笹百合さんのことも、僕の頭の中からすっかり消え去ってしまっていた。