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僕の家から徒歩で十秒以内。
幼馴染みである梅原鶯の家は、我が家のすぐ隣にある。
鍋を一旦地面に置いてチャイムを鳴らし、再び鍋を持って待っていると、ドタドタと足音が聞こえ、玄関のドアが開かれた。
「あっ、染衣! いらっしゃい、どうしたの?」
「うちでトン汁作ったから、持ってきたんだ。鶯のお母さん、まだ出張中でしょ?」
「わっ、ありがとう! ひとりで寂しかったんだ! 上がって上がって!」
鶯は笑顔で僕を招き入れてくれる。
勝手知ったる幼馴染みの家、僕は遠慮なく上がり込んだ。
幼馴染みの鶯と下の名前で呼び合う僕のフルネームは、桜井染衣。
僕の名前と妹の名前で、ソメイヨシノになるというネーミングは、僕としては結構気に入っている。
もしふたり目の子供が弟だったとしても、両親は好野という名前で行くつもりだったらしい。確かに男女どちらでも通用しそうな名前ではあるけど。
「ちょうど夕飯食べようとしてたんだ~!」
鶯はそう言いながらキッチンへと入っていく。僕もそれに続く。
「そうなんだ。じゃあ、タイミングとしては最高だったね」
「うんうん。それに染衣のお母さんの料理なら、なんでも最高だし!」
「……今日は好野も手伝ったみたいだけど」
「好野ちゃんも料理上手だから、最高なのに変わりないわよ~! 染衣が手伝ったとしたら、最悪にクラスチェンジしちゃうけど!」
「ひどっ! それって、クラスチェンジの域を超えてるよ」
「にへへ、ちょっとだけ冗談だよ!」
「じゃあ、ほとんど本気じゃん!」
「にゃははは!」
「……否定なしかよ。ま、いいけどさ」
生まれる前から隣同士で建っている家の子供である僕と鶯は、気づいたときにはそばにいたくらいの深い知り合いで、今ではなんでも遠慮なく言い合える気楽な間柄。
家族同然と言ってもいいだろう。
鶯のお母さんは、いわゆるシングルマザー。女手ひとつで娘の鶯を育て上げてきたパワフルなキャリアウーマンだ。
ただ、有能であるが故とも言えるけど、仕事は忙しく、朝早く出勤して帰りは深夜になることがほとんど。
さらには出張も多く、鶯はひとり寂しく夕食を取ることも多かった。
そのため、よく僕の家に呼んで一緒に夕飯を食べたりしていた。
鶯のお母さんとしては、あまり勝手なことをしないでほしいという主張を崩していないのだけど、うちのお母さんはのほほんとした性格で受け流し、鶯にいつでも遊びに来てねと声をかけている。
とはいえ、鶯自身も迷惑はかけられないからと、最近はなかなか夕飯を食べに来てはくれなくなっている。
お母さんと同様、意地っぱりな部分があるのだろう。
持ってきた鍋をコンロの上に置き、僕はテーブルの上に視線を向けてみる。
そこにあった鶯の夕食は……。
「カップラーメン?」
そう、カップラーメンの容器だった。
だけど、ちょっと違和感。
カップラーメンの容器は、確かにある。中にはもう麺は残っていないようだ。箸も容器の上に置かれている状態だった。
にもかかわらず、鶯はさっき、夕飯を食べようとしていたと言った。
それは果たして、どういうことなのか?
疑問の解答は、すぐに鶯自身によって示された。
「夕方に小腹がすいて食べたの。んで、その残り汁を使ってね……」
と言いつつ、おもむろに持ってきた茶碗から、ご飯のかたまりを落とす。そのカップラーメンの容器の中に。
「こうやってご飯とまぜて食べるの」
そして鶯は、夕方使用したであろう、容器の上に置いてあった箸を手に取り、ぐちゃぐちゃと音を立てながらご飯をかきまぜ始めた。
カップラーメンのスープが染み込み、醤油色に変身していく炊き立てのご飯粒たち。
「……いや、確かに美味しいかもしれないけど、でも、なんというか」
「なによ?」
「ん~、女の子の夕飯って感じじゃないというか……」
ついでに言えば、夕方に小腹がすいてカップラーメンを食べるというのも、あまり女の子らしくはない行動だ。
僕としてはべつに構わないけど、他人には知られたくないと思うのが、乙女心というものではなかろうか。
もっとも、鶯に乙女心なんてものがあるはずもないのだけど。
「ん~、美味い! やっぱ最高よね!」
僕がいるのもお構いなし、鶯はカップラーメンの汁に浸したご飯を口の中へと流し込み始める。
今さらではあるものの、もう少し恥じらいくらいは持ってほしいものだ。
「……最高って、うちのお母さんの料理と同レベルってこと?」
とりあえず僕は、思っていることとは別の方向性で文句をぶつけてみた。
恥じらいうんぬんの話は、どうせ言うだけ無駄だから棚の上にでも放り投げておく。
「じゅる。ごく。そんなことないよ~? じゃあ、これは最高の一歩手前ってことで! げほっ!」
慌てて反論するから、鶯は咳き込んでいた。
あ~あ、口からだけじゃなく、鼻の穴からもご飯粒とかいろいろぶちまけちゃって……。
「もう、食べてるときは焦って喋らなくていいから。はい、ティッシュ」
そう言いながらティッシュを差し出す。
「げふっ、げひゅっ。うう、ありがと」
ティッシュを渡した僕は、素早く台拭きを手にとって、テーブルや床に飛び散ったご飯粒などを拭く。
勝手知ったる幼馴染みの家。ティッシュやら台拭きやら調味料やらの位置なんかも、僕は充分に把握している。
「まったく鶯は……」
「悪かったわね、汚い女の子で」
「べつに今に始まったことじゃないし」
「汚いってのは否定なし!?」
「……鼻からご飯粒を飛ばしといて、汚くないとでも?」
「だって、そんなの、染衣が余計なこと言うからじゃん!」
「責任転嫁だ」
「違うもん! 染衣が悪いんだもん! 諸悪の根源なんだもん!」
鶯はそんなことをごちゃごちゃ言いながらも、カップ麺の容器からずずずと音を立ててご飯とスープを流し込む。
「はふ~、美味しかった! ごちそうさま!」
口から垂れていたスープを洋服の袖で拭いながら、鶯は満面の笑みをこぼしていた。
う~ん、いろいろツッコミどころ満載な女の子ではあるけど、こんな花のような笑顔を見せられると、些細なことなんてどうでもよくなってくるから不思議だ。
ラーメンスープ醤油味の香りのする花だけど。
「さてと、次は待望のトン汁、行ってみよ~! 染衣の分もよそうから、食べていってね!」
「うん、それじゃ、いただいていこうかな」
家に戻れば夕飯の準備もそろそろ終わる頃だとは思うのだけど、僕は鶯の申し出を断るつもりなんて毛頭なかった。