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いつもどおり鶯を呼びに行き、いつものようにふたり並んで歩く朝の歩道。
ただ、いつもとは違って、僕の心は躍っていた。
そして同時に、普段なら鶯相手に感じることのない緊張感が全身を伝っていた。
鶯はいつもと変わらず、僕の顔を見るやいなや、挨拶の言葉もそこそこに虫の話を始めている。
どうやら今日は、カブやんがいきなり部屋の中を飛び回って大変だった、という話のようだ。
「最後にね、カブやんったら、あたしの頭の上に止まってくれたのよ! ヘアピンがカブトムシだったから、仲間だと思ったのかな。可愛いよね~!」
うんうん、可愛いよ。鶯がね。
素直に言えたら、どれだけ楽だろうか。
「でもカブやんったら、嬉しさのあまりか、あたしの頭の上におしっこしちゃったんだけどね~。にへへ、あたしの髪の毛、おしっこまみれ!」
それは言わないほうがいい情報だよ。という言葉も出てこない。
見た目は申し分ないんだけどな~。やっぱり変だよ、鶯。でも、そんなところもラブリーだけどっ!
惚れている身としては、どんなことでも許せてしまうものらしい。
「昨日は疲れてたから、髪洗わないでそのまま寝ちゃってさ~!」
「そ、それはさすがに、どうかと思うよ!?」
いくらなんでも、これには黙っていられなかった。
もしかして、鶯がいつも他では嗅いだことのない匂いを放っているのって、カブトムシのおしっこのせいだったりするの!?
という考えは、さすがに間違いだろう。というか、間違いであってほしい。
実際、カブトムシはその体のサイズに似合わず、大量のおしっこをするらしいけど、そのニオイは鶯の部屋で嗅いだことがある。
普段鶯の髪の毛から漂っている香りとは違った種類のニオイなのは確かだ。
だけど、今現在の鶯の髪の毛って、そうすると……。
思わず僕は鶯の頭に鼻を寄せ、くんくんとニオイを嗅いでしまう。
「きゃっ!? ちょ……ちょっと染衣! ニオイ嗅がないでよ、エッチ!」
当たり前だけど、激しく嫌がられてしまった。
ともかく確認終了。鶯の髪の毛から漂うのは、いつもどおりの、ちょっと変わった独特な匂いだった。
「臭くないね」
「あのねぇ! さすがに朝シャンしてきたわよ! ……起きたときは、すごいニオイだったけど……」
「そうだよね、ごめん!」
「べつに、いいけどさ」
そう言いながらも、鶯は不満をありありと浮かべている。
あれ? だけど朝シャンしてきたわりには、いつもの匂いとほとんど変わらないような気が……。
とすると、いつもの匂いがシャンプーの香りってこと?
でも、普段は朝起きるのもギリギリで、朝シャンなんてしている余裕はないはずだけど。
それに、こんな変わった匂いのシャンプーなんて、一般的には売れなさそうだし。僕にとっては、好きな匂いではあるけど……。
しばらく考え込んでいると、鶯が不思議そうに首をかしげていた。
「なによ?」
自分に対してよからぬことを考えているとでも思ったのだろうか、不満顔を崩すことのないまま、「文句あるの?」と続きそうな強い口調で言葉をぶつけてくる。
「いや、べつになんでもないよ」
と、そこでようやく思い出す。
心が躍って緊張もしていたはずなのに、すっかり忘れ去ってしまっていた、重要な話を。
「ところで、これ」
僕はつつじ山遊園地のチケットを差し出す。
それをじっと見つめ、一瞬ののちには、鶯は驚きの表情へと変わる。
「……わっ、遊園地のチケットじゃない! どうしたの、これ?」
「お父さんが貰ってきたんだ。今週末だけど、よかったらどうかなと思って」
「マジ!? やった、行く行く!」
驚きからさらに、歓喜の表情へと変貌を遂げている鶯に、僕は差し出していた二枚のチケットを両方とも渡した。
「あれ? 二枚ともって……。もしかして、染衣は行かないの?」
一瞬でトーンダウンする鶯。
「いやいや、僕も行くよ。あと二枚あるんだ。それでね、笹百合さんも誘ってあげたらどうかなって。僕も紫輝を誘おうと思ってるんだけど」
「あ~、なるほど、そういうことね。わかったわ。あたしも友達のために、ひと肌脱いであげようじゃないか!」
そう言って、鶯は勢いよく上着を脱ぐような仕草をする。
本当に制服を脱いだりしなくてよかった。……いや、ちょっと残念か。
って、なにを考えてるんだか、僕は。
「僕が誘うより、鶯に任せるほうがいいと思うからね」
「たぶん染衣から渡しても大丈夫だとは思うけど。でもまぁ、この鶯さまに、どーんと任せなさい!」
自信満々に胸を張り、鶯は、ドン! とその平らな胸を叩く。
「あたしとしても、遊園地は楽しみ! ありがとね、染衣!」
「いえいえ。こっちこそ、ありがとう。よろしく頼むよ。あっ、でも、誘い方は任せるけど、あらかじめ僕と紫輝が行くことは伝えておいてよ?」
「合点でさぁ、あにき!」
「何者だよ、お前は!」
そんな会話をしているあいだに、駅が見えてくる。
とりあえず、今朝の僕の使命はこれで終わった。安堵の息をつく。
そこからは気楽なもので。
駅で電車に乗り込み、さらに学校の最寄り駅から十分ほどかけて歩き、正門を抜けて昇降口にたどり着くまで、僕と鶯は主に虫関連のバカ話をいつものように繰り広げた。
☆☆☆☆☆
学校に着いてからチケットを手渡し、鶯と笹百合さんも誘うつもりだと言うと、紫輝は「心の友よ!」などと叫びながら抱きついてきた。暑苦しいっての!
そして放課後、いつものように偶然(を装って)部室へ向かう鶯と笹百合さんに会い、話を聞いてみると、笹百合さんもOKとのこと。
こうして僕たちは、ダブルデートの約束を取りつけたのだった。