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「ほら、染衣。朝ご飯、早く食べちゃいなさい」
「は~い」
僕が顔を洗い、髪のセットだけして食卓に着くと、キッチンに立つお母さんから声がかかった。
洗面所で不名誉な心配の声をかけてきた好野も、すでに僕の隣の席に座っている。
うちの食事は、ダイニングキッチンに置かれたテーブルで取る。
椅子が四脚並べられていて、四人家族それぞれの座る場所も決まっている。
僕の隣に妹の好野、僕の正面にお父さんでその隣がお母さんだ。
お父さんの姿は、今日もない。いつも忙しいお父さんは、朝早くに出勤し、僕たちが眠りに就いてから帰宅する。
泊り込むことも多く、疲れているようで、その反動で休みの日はほとんど一日中自室にこもって寝ていたりする。
なるべくリビングで家族との会話時間を大切にする、という我が家のスタイルを決めた張本人だというのに、それはどうだろうと思わなくもないけど。
疲れているのだから、仕方がないだろう。
とはいえ、休日の夕飯はいつも僕たちと一緒に食べているわけだから、実は存在しない、などというオカルトチックな状況ではないのは確かだった。
と、そんなお父さん。
今現在は出勤済みで不在ではあるけど、僕たちに置き土産を残してくれたようだ。
「そうそう、お父さんがこれ、貰ってきたんだって~」
朝食の準備をすべて終え、ようやく自分も食卓に着いたお母さんが、開口一番、そう言って何枚かの紙切れを僕たちの前に差し出した。
それは――。
「わっ! つつじ山遊園地のチケット! うきゃ~、しかも乗り放題の一日チケットだよぉ~!」
大喜びの好野の声がすぐ真横で響く。耳が痛いほどに。
「そんなにはしゃぐなよ」
「だってだって、遊園地だよ~!? しかもタダよ、タダ! そんでもって乗り放題! ああもう、なんて甘美な響き! 最高! ブラボー! ワンダホー!」
好野は飛び上がりそうな勢い。
大きくなったと思っていたけど、まだまだ子供だな。
「お得意先の方からいただいたんですって~。一日乗り放題チケットなんて、高いでしょうにね~。それも四枚もいただいちゃって」
「四枚! きゃ~、ブラボー、ブラバー、ブラベストだわ! 早速、今週末にでも行かないとね!」
好野がなにやら間違った無理矢理な比較級最上級までつけて大喜びしている。
一応これでも、学校の成績は上位のはずなのだけど。
……僕と違って。
これだけ喜んでいるわけだし、兄妹で二枚ずつ分けるなんて言わず、好野に全部あげようかな。好野がいつもつるんでいるのって、よく遊びに来る女の子三人のはずだし。
僕はそう考えて、受け取り辞退の言葉を口にしようとしたのだけど。
「なに言ってるのよ、好野。あなた中間テスト中でしょ~? ダメに決まってるじゃない」
「え~? そんなの関係ない~!」
お母さんからダメ出しを食らって、頬を膨らます好野。そんな仕草も実に子供っぽい。
「関係あります!」
「む~……!」
仮にも上位の成績を修めているだけあって、聞き分けもいい。
好野は不満を口にしながらも、諦めの表情を浮かべていた。
もっとも、聞き分けがいいというよりも、普段おっとりしているお母さんを怒らせたらヤバいくらいに恐ろしいことを身をもって知っているから、という理由のほうが強いのかもしれないけど。
ちなみに僕の通っている紫陽花高校は、前期と後期の二学期制で、なおかつ中間テストもなく、期末テストだけとなっている。
その分、範囲が広くて大変とも言えるのだけど、テストの回数が少なくて済むというのは、なかなかありがたい制度だ。
どうせ僕なんて、ほとんど一夜漬けなわけだし。
……なるほど、だから成績があまり芳しくないのか。
それはともかく、好野は必死に抵抗する。
「だったら、テストが終わってから行く! 来週には終わるし!」
「残念でした! このチケット、今週末までなの!」
「ガァーーーーン!」
撃沈。
お母さんVS好野の戦いは、お母さんに軍配が上がったようだ。
「そういうわけだから、このチケット、染衣にあげるわね。鶯ちゃんやお友達も誘って、一緒に行ってきなさい」
差し出された四枚のチケットを、僕は素直に受け取る。
横から向けられる好野の恨みがましい視線を受けながら。
「うん、ありがとう」
「ふふふ。お礼はお父さんに言ってね。忙しいから、なかなか会えないけど」
「次に会うときは、遊園地に行ったあとになるかもね」
「そうね~」
「ぶ~、つまんな~い」
好野は完全に膨れてしまっていたのだけど。
「残してあった僕のプリン、好野にあげるから。生クリームが乗ってるやつ」
僕がそう言うと、
「わ~い、ありがとう、おにぃ!」
と一瞬で機嫌が直ってしまった。
プリン一個で、なんとも安い妹だ。