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翌朝。
僕はいつものごとく、鶯と一緒に登校していた。
今日は鶯がおかしな話題を振ってくる前に、僕のほうから話題を提供した。無論、笹百合さんに関する話題だ。
「昨日はごめんね。部活、遅れなかった? 笹百合さんにも謝っておいてね」
「大丈夫よ、べつに時間が決まってるわけじゃないし」
「そっか。それならまた昨日みたいに偶然会ったら、お話してもいいのかな? 笹百合さんも一緒に」
「うん、もちろん! あたしはいつでも大歓迎よ!」
「あはは、いつでも大歓迎ったって、クラスも違うし、なかなかね」
「そうなのよね~。同じクラスがよかったな~。そしたら染衣に、カブトムシとクワガタのよさを、これでもかってくらい語り尽くせるのに!」
……今までも散々聞かされていたと思ったけど、それじゃあ全然足りないのか。
鶯、恐ろしい子……。
それはともかく、これで放課後、会って話す約束を取りつけることができた。
正確には約束とは言えないだろうけど、放課後になったら待ち伏せて、偶然を装って会うようにすれば、毎日でも一緒に話すことができる。
あまりしつこくすると不審がられる可能性もあるけど、鶯がいるなら大丈夫なはずだ。
僕と鶯はこうして、毎日一緒に登校している幼馴染みという間柄なのだから。
「もしくは同じ部活ね! 染衣、やっぱり文芸部に入らない?」
三度目はないだろう。
昨日そう思ったばかりの質問が、あっさりと投げかけられたてきたけど。
「僕はやっぱりパスかな。たぶん、紫輝も」
入学してすぐならまだしも、五月も後半のこの時期になって同じ部活に入るなんて、あからさますぎて恥ずかしい。
本を読んだり文章を書いたりするのが好きならそれでも構わないかもしれないけど、僕にはまったくそんな趣味はなく、それどころか長々と続く文字の羅列を見ると眠くなるくらいなのだから。
鶯から薦められた、といった理由がなければ、文字だらけの本を読むモチベーションなんて保てやしない。
紫輝にしても、国語が苦手と言っていたし、僕と大差ないはずだ。
それに昨日も考えたとおり、僕を差し置いて紫輝だけが鶯と同じ部活に所属してしまうのはシャクだ。
「そっか~。ま、しょうがないよね。興味ないのに無理矢理誘われて入部しても、楽しくなんてないだろうし」
鶯はそう言いながらも、まだ納得はできていない様子だった。
あたしと一緒にいるだけじゃ楽しくない? と訊かれたりなんかしたら、答えに詰まってしまうところだけど。
さすがにそんなことを訊かれたりはしなかった。
……ちょっと寂しくも思える。
と、それよりも、笹百合さんのことを聞き出さないと。
「それにしても、笹百合さんって可愛いよね」
「うんうん、そうなのよ~! 人気あるんだよ~! 本人は恥ずかしがってるけどね!」
「おとなしそうな雰囲気だよね」
「そうね~。でも、言うときには言う強さは持ってるかな」
「へ~、そうなんだ」
「あたしがラブラブ~って抱きついてチューしようとすると、ダメって拒否するし!」
「そ、そりゃあ、普通は拒否するんじゃ……。だいたい、女の子同士だし」
「え~? そんなことないと思うけどな~。女の子同士でキスなんて、みんなやってるよ~?」
「そうなの?」
「うん。マンガとかだと」
「マンガかい!」
「だって、あたしは交友範囲あまり広くないもん。学校でも萌香ちゃん以外の友達ってほとんどいないし……。カブやんやクワっちとは、毎日キスしてるけどね!」
「そ……それは、どうなの……?」
飼っているカブトムシとクワガタを溺愛しているのは知っていたけど、まさか虫とキスまでしているなんて。
以前は冗談で思っただけだったけど、鶯は本当に、人間なんて虫以下としか思っていないのかもしれないな。
「味はね~。土と木と餌のリンゴ味!」
「いや、そんな満面の笑みで解説しなくても……」
だけど、鶯のあとにカブやんやクワっちとキスしたら間接キスになるのかな、なんてバカなことを考えてみたり。
……って、鶯のことはいいんだってば! 紫輝のために、今は笹百合さんのことをもっと聞いておかなきゃ!
「それより、笹百合さんって、なにが好きなのかな? それに趣味とか……」
「ん~、読書が好き……ってのは、言うまでもないよね。でも、あたしもそれ以外知らないかも」
「そっか……」
落胆する僕の隣で、なぜだか鶯もテンションが下がっているように思えた。
「……ねぇ、染衣。どうしてそんなに笹百合さんのことばっかり訊いてくるの?」
「え?」
予想もしていなかった質問。
「もしかして、染衣……笹百合さんのこと、好きになっちゃったの……?」
鶯は上目遣いで僕を見つめ、おそるおそるといった様子でそう尋ねてくる。
あれ? これってもしかして、嫉妬?
……いや、鶯に限ってそんなわけないか。
「え~っと、紫輝のやつがね」
とりあえず、誤解されるのは僕の本意でもない。
はっきりと言ってしまうのもどうかとは思ったけど、ここは素直に伝えておくことにした。
「あ……そうなんだ」
「うん。だから、笹百合さんのことを、もっと聞いておきたいと思って。紫輝は友達だから、協力したいんだ」
「そっかそっか、うん、わかった。じゃあ、あたしも協力するね!」
「ありがとう、鶯!」
「うん、任せて!」
「鶯に任せるのも、ちょっと怖い気がするけど」
「な……なによそれぇ!?」
ぽかぽかぽか。鶯がグーで殴ってくる。
こういうとき、軽く殴るだけで痛くないのが普通だと思うのだけど。
鶯の場合は、みぞおちとか眉間とか内ももとか、絶妙な場所ばかり狙ってきて、結構な痛みを伴う。
「痛いってば、鶯!」
さすがに文句を言いながら、鶯の腕をがしっとつかむ。
「あ……。優しく……ね……?」
「なにがだよ!」「なにやってんだか」
僕のツッコミに重なるように、呆れたような声も同時に響いた。
「あっ、紫輝、おはよう」
それは紫輝だった。
鶯との会話に夢中になっているうちに、いつの間にか学校の正門を越えてしまっていたようだ。
「にゃはははは! おはよう、藤柳くん! そ……それじゃ、あたしはこれで!」
鶯はそう言い残して、さっさと昇降口へと入っていった。
☆☆☆☆☆
「まったく、朝からイチャイチャと」
クラスの下駄箱まで来ると、隣で上履きに履き替える紫輝がそんなことを言い出した。
「えっ? べつにイチャイチャなんてしてないけど……」
さっきまでの僕と鶯の会話とかやり取りとかって、イチャイチャしていたことになるのかな? 結構普通のことだと思うんだけど……。
それはともかく。
「そうそう、鶯に話してみたよ。鶯も協力してくれるってさ」
「おお~! って、俺が笹百合さんを好きだって、言っちまったのか?」
「まぁ、行きがかり上仕方なく」
「本当に仕方なくだったのか? ……ま、いいか。でも、ありがとな。笹百合さんの友達の協力が得られるのは心強いよ」
「僕の協力は?」
「不安だらけ」
「ちょっと、紫輝!?」
「ははは、冗談だ冗談! でもお前のほうはいいのか? あっ、もしかして、俺をネタにして梅原さんと話す口実を作ってるだけだったりするのか?」
「いやいや、そんなことないって。だいたいこっちが黙っていても、鶯のほうからしつこく喋りかけてくるし」
「そうだよな。いいよな~、お前らは。幼馴染みなんて、ほんと羨ましいよ」
「う~ん。幼馴染みは幼馴染みで、苦労があるんだけどね」
そんな話をしているうちに、チャイムの音が鳴り響く。
話に夢中で、意外と時間が経っていたことに気づかなかったらしい。
「うわっ、遅刻になっちゃう!」
「大丈夫だ、担任が来る前に滑り込めば! 走るぞ、染衣!」
「ラジャー!」
こうして僕たちは、教室に向かって全力疾走を開始した。
掲示板に貼り出された「廊下は走らない」のポスターの横を通り過ぎながら――。