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放課後、僕と紫輝は一緒に教室を出た。帰宅部である僕たちだから、もちろん家に帰るためだ。
お互い頑張ろうなんて言い合ったものの、だからといって鶯と笹百合さんのクラスにまで押しかけて積極的なアタックを開始できるほどアクティブではない。
とりあえずは駅まで歩くあいだに、今後について作戦でも練ろうか、という、ある意味逃げの道へと走っていた。
だけど、どうやら天の神様はそれを許さないらしい。
いや、わざわざ僕たちにチャンスを与えてくれたと言えるのかもしれないな。
「あ……」
僕たちのすぐ目の前を、鶯と笹百合さんのふたりが通過する。
短く漏らした僕の声に、鶯が気づいて立ち止まった。
「あっ、染衣! 偶然だね! 今から帰るとこ?」
いつもどおり気さくに話しかけてくれる鶯。
僕のほうもいつもどおり、軽く受け答えすればいいだけなのだけど。
紫輝とお互いに頑張ろうなんて誓い合ったせいで、なんだか妙に意識してしまう。
「ん? どったの?」
鶯は返事のない僕に首をかしげる。
「い……いや、なんでもないよ! 鶯たちは、部活に行くの?」
あえて鶯たちと言ったのは、隣に控えめに並んでいる笹百合さんも会話に巻き込むためだ。
「うん、そうよ。あっ、こっちはクラスメイトの笹百合萌香ちゃん。結構有名だし、知ってるかな?」
「ちょ……ちょっと、有名だなんて、そんなことないよぉ……」
鶯の声に、笹百合さんは心底恥ずかしそうな顔をしながら、否定の言葉をかぶせてくる。
ああ、なんだかすごく雰囲気も喋り方も穏やかな感じ。これなら、人気があるっていうのも確かに頷けるな。
チラリと視線を横に向けてみる。僕の隣には、その笹百合さんに想いを寄せている紫輝がいるわけだけど。
同じ中学ではあったけど、遠くから見ていただけで話したこともないと言っていたし、こんなに笹百合さんに近づいたのも初めてなのだろう、緊張でガチガチのようだ。
とはいえ、紫輝の存在を無視しておくわけにはいかない。僕は鶯同様、紹介の言葉を添える。
「こいつは藤柳紫輝。僕のクラスメイトだよ。こいつはこいつで結構有名かもしれないけど……って、知ってるはずないか」
軽い口調でそんなことを言う僕の腕をつかみ、紫輝は「おいっ!」と不満声を上げる。
実際、紫輝が結構有名というのは、あながち嘘でもない。垂れ目が少々残念だけど、背も高いし結構イケてるよね、なんて話している女子を見かけたことがあるのだから。
……まぁ、一、二回程度だけど。
最初の紹介としては、軽めの方向でいいだろうと考えて、こんなふうに話しただけだったのだけど。
結果としては、意外にいい反応が返ってきたと言えるのかもしれない。
鶯のほうは、もともと僕の友人だというのを知っているから、さっきの言葉は笹百合さんに向けてのものだ。
その笹百合さんから返ってきたのは、
「うん。同じ中学だったよね。見かけたことくらいはあるかも」
といった内容だった。
一応、知ってくれていた。それだけで、第一段階としてはまずまずだろう。
見かけた程度で、しかも、「あるかも」と確信すら持っていないくらいだから、喜ぶべきことではないものの、同じ中学出身だと知っていたのは大きいはずだ。
ある時期を同じ場所で過ごしたというだけで、仲間意識なんかが芽生えることだってあるのだから。
さて、偶然とはいえこうして話す機会ができたわけだし、いろいろと聞き出してみようかな。
鶯からだけじゃなく、笹百合さん本人から直接話が聞けるのも好都合だし。
「鶯たちは、いつも一緒に部活に行ってるの?」
「うん、そうだよ。クラスメイトだし! 仲よしだし! ラブラブだし!」
「鶯ちゃん、ラブラブは違うよ……」
「え~っ!? あたしは萌香ちゃんのこと、大好きなのにぃ~!」
「うん、私も鶯ちゃんのことは好きだけど……」
「だったら、ほら! 両想いでラブラブってことじゃない!」
そんなことを言ったかと思うと、鶯は笹百合さんにべったりと抱きつく。
ほっぺたをすり寄せられ、困惑気味な表情を見せる笹百合さんではあったものの、とくに嫌がっている様子はなさそうだった。
なるほど。ふたりが仲よしなのは確かなようだ。
当然ながら、ラブラブで百合百合な関係ではないだろうけど。
……笹百合という名字が、若干誤解を助長しそうではあるけど。
それにしても、鶯からラブラブなんて言葉が出てくるとは、ちょっと驚いた。
どこまで意識しているかは謎だけど、恋愛に関する感情も、どうやら少しは持ち合わせているようだ。
それはともかく、僕は鶯のせいでいきなり脱線した話の軌道修正を試みる。
「仲よく一緒に部活に行ってるなら、またこうして会えるかもしれないね」
言うまでもなく、また会えるかもしれない、というか会いたい、むしろ会う、というつもりなのだけど。
「あっ、そうね~! だけど、一緒に文芸部に入れば、もっといっぱい喋れるよ!」
不意に鶯がそんなことを言い出した。以前断った質問だというのに。
「う~ん、僕は前にも言ったように、本とかあまり読まないし……」
「そっかぁ……。じゃあ、藤柳くんは?」
落胆顔の鶯は、すぐに紫輝の勧誘へと切り替えた。
ちょっとだけ、心がモヤっとする。
紫輝が文芸部に入ったら、確かに笹百合さんと話す機会が増える。だから紫輝にしてみれば、この申し出を断る理由なんてないだろう。
ふたつ返事で入部を決定すれば、笹百合さんとの距離も一気に縮まる。
応援している僕としても、それは望むべきこと……のはずなのに、どうしてか素直にそれを望めない自分がいた。
紫輝が笹百合さんと同じ部活で仲よくなったら、自然と鶯とも仲よくなっていくに違いない。
そこに僕がいない。それが嫌なのかもしれない。
だったら僕も入部すればいいとは思うけど、一度ならず二度までも断ってしまった僕には、やっぱり入部するなんて言えるはずがない。
鶯にしたって、もう一度同じ質問をしてくるなんてことはありえないだろうし。
じっと紫輝の答えを待つ。
「俺も本はほとんど読まないからな。入部は遠慮しておくよ」
紫輝はきっぱりとそう言って断った。
僕は安堵する。
「ふ~ん、そっかぁ。残念」
そう言ったのは鶯だったけど。
なにげなく視線を向けてみた笹百合さんも、ちょっと残念そうな顔をしているように見えたのは、僕の思い過ごしだろうか。
「あ……そろそろ行かないと……」
控えめに、笹百合さんがつぶやく。
「おっと、そうだね! 染衣、それじゃ、またね! 藤柳くんも!」
「うん、またね」
「あ……ああ、また」
大きな明るい声に僕と紫輝が答えると、鶯はにこっと微笑んでくれた。
その隣に立つ笹百合さんからも、軽い会釈が返される。
そして鶯は笹百合さんの手を強引に引っ張ると、そのままふたりで廊下を走り去っていった。
廊下は走らない。下駄箱横の掲示板に貼り出されたポスターには、そう書いてあったけど。
そんな標語なんて、鶯が守るはずもなかった。