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回廊の石畳の床に重い足取りの靴音が静かに響く。それは澪の胸の内を反映しているようでもあった。
時折、青い髪色をしたメイドが気遣わしげな視線を向け振り返ることに申し訳なさを感じ、胸の奥がちくりと痛む。
けれどどうしても澪は笑顔を見せることができないままでいる。
遠くから微かに模擬用の剣を打ち合っているのか気合いの籠った声が漏れ聞こえていた。
執務室が一歩、また一歩と近づく。
そのたびに、心臓の鼓動が速くなる気がする。
「……どうしよう。」
思わず小さくつぶやく。
呟きは少し先を案内して歩くメイドにも聞こえたようで彼女は僅かに歩調を緩めた。
澪の年頃を思えば無理もないのかもしれない。
見知らぬ土地で疲れていたとはいえ、男性に抱えられて部屋まで運ばれるなど——事情があったにせよ、恥ずかしくないはずがない。
事情はレオンハルトの方から話すことになってはいる。だが当の本人は昨夜から執務室に泊まり込んでいるらしく、澪はいまだに説明の「せ」の字すら聞けていなかった。
顔を合わせるのは羞恥を刺激されてしまいそうだけれど、それでも助けてもらったことも含めて御礼を言いたい、その気持ちに嘘はなく歩みを進めていくと廊下の奥に重厚な扉が見えてきた。
執務室だ。
澪は扉の前で足を止め、深呼吸をする。そして控えめにノックをした。
コン、と静かな音が響く。返事はない。どうしたものかと迷っていると少し間があり、中から声が返ってきた。
「入れ。」
低く落ち着いた声だった。澪はゆっくりと扉を開ける。メイドはここまでとばかりに深く御辞儀を残して元来た廊下を帰っていく。
執務室の中には朝の光が差し込んでいた。
大きな机の上には書類が整然と並び、暖炉の火が静かに揺れている。
レオンハルトは机に向かって座っていた。
書類に目を通していたが、澪が入ってきたことに気づき顔を上げる。
その視線と目が合った瞬間、澪は慌てて視線を下げた。
「……レオンハルトさん。」
澪の声が少し震える。
レオンハルトは眉をわずかに上げた。そしてやはり少し不思議そうに言う。
「その“さん”という呼び方は何だ?」
レオンハルトの言葉に澪は顔を上げる。
「え?」
「意味がよく分からない。」
レオンハルトは率直に言った。
「呼ぶならレオンでいい。」
澪は一瞬戸惑った。
自分の中ではきちんと敬意を込めた敬称であることを理解はしているけれど、ここでそう反論する勇気はなくて。
「……わかりました。」
代わりに澪は小さく頷く。
「レオン、様……」
まだ慣れない呼び方だった。それでもレオンハルトは満足したように頷く。そのまま澪は言葉を続けた。
「昨夜は……」
少し間が空く。二人の間に僅かに沈黙が流れる。
「助けていただいて、ありがとうございました。」
深く頭を下げた澪を見ながら、レオンハルトはしばらく黙っていたが、やがて口を開く。
「どうして、あそこにいたんだ。見たことのない服装からして遠方の異国あたりから来たんだろう?」
とても落ち着いた声だった。けれど澪は頭を深く下げたままで動きを止めた。時折、断片的に見える映像から察するに自分で森の奥深くへと入っていったのは間違いない。
しかもどうやらそれは、──生を終わらせる為、だったらしいということ。まだ現時点では記憶が戻っているわけではないため確証は持てない推測でしかないけれど、おそらく間違いではないはずだ。
けれどそれを素直にレオンハルトに言うことは躊躇われた。そのため苦し紛れであるものの、一部事実を交えて澪は答える。
「その、記憶がなくて…。」
「そうか。…俺がもっと社交界で活躍していれば何か手掛かりが掴めたかもしれないのに、な。……すまない。」
短い謝罪が聞こえ慌てて澪が頭を上げると、レオンハルトは手にしていた書類をぽいっと投げるように机へと置く。
ところどころ大きく見出しのついたところが視界に入り、よく見ようと澪が身を乗り出すとどうやら身元不明や、東の方面にある国に服装についてどこかに問い合わせた報告などが書かれているようであった。




