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城門をくぐると、遠巻きに——しかし安堵を隠しきれぬまま、領民たちが姿を見せた。
毒を警戒しているのだろう、ガルドは頭をがりがりと掻いた。
ひらりと軽快に馬から降りたガルドが手を伸ばすが、レオンハルトは一瞥で退け、自ら澪を揺らさぬよう地へ降りた。
と、そこへ以前、木の実をくれたあの子供が駆けてきた。
「危ねぇ、——ッ!」
ガルドの叫びをよそに、子供の手が澪の指先に触れる。不可視の断絶は、春の微風のように静まり返っていた。
子供が差し出したのは、泥に汚れず白く澄んだ、白陽花だった。
「……森に、行ったのか?」
鋭い声に、子供は言葉を失い、びくりと身を震わせた。
「おい、レオン。だめだろ、怖がらせるな。」
溜め息をついたガルドは護衛に散るよう合図し、子供の頭を優しく撫でると強張りがほどけた。
「奇妙だから、どこで手に入れたか気になっちまったのさ。」
「んとね、川!」
川から拾ったというその白陽花に、ガルドは眉を跳ねさせた。
──妙だ。ここから上流に、そんなものがあるはずがない。ふと、背筋にぞくりとした感覚が走る。黒い影が、視界の片隅をすり抜けたような──そんな気がした。
「そうか、ありがとう。」
レオンハルトも一度だけ森を見遣り、短く礼を言って白陽花を受け取る。子供は元気よく家に帰っていく。
「レオンハルト様! ガルド様!」
次に息を切らせて飛び込んできたのはガルドが伝令役に、と先に逃した若い騎士だった。
「ルークじゃねーか! 無事だったか。」
再会に顔を綻ばせるガルドに対し、若い騎士、ルークは肩で息をしながらも、瞳は熱を帯びていた。
「はい、ガルド様。聞いてくださいよ。あの後、もう一体の毒影に追われて……。もうダメかと思った時に、魔獣が現れて助けてくれたんです。」
「魔獣が……?」
ガルドの言葉が止まった。
「レオンハルト様、先ほど王都より派遣された使節団が到着なさいました。……それに伴い、聖女セレナ様が面会を求められてますが、どうなさいますか?」
聖女の名前が出た瞬間、びくりと小さくレオンハルトの肩が跳ねたのをガルドは見逃さなかった。
「………着いた早々に面会、とは。」
冬の冷気のような独白。レオンハルトは、腕の中の澪を壊れ物のように抱き直した。
「………日が暮れる。面会は明日に延期すると伝えておけ。それと、これを。」
レオンハルトは、子供から受け取った白陽花をルークへ差し出した。
「……煎じさせて、俺の部屋まで持ってこい。一滴もこぼすなよ。」
レオンハルトの低い、それでいて逃げ場のないほど鋭い声に、ルークは無意識に喉を鳴らして生唾を飲み込んだ。
「は、はい。承知いたしました!」
ルークは花を恭しく両手で受け取り、宝石のように懐へ仕舞い込むと、弾かれたように医務室へと駆け出していった。
「……おい、レオン。本当にいいのかよ。王都の連中、今夜中に無理やり押し入ってきてもおかしくねーぞ。」
ガルドが肩をすくめ、使節団が泊まっている来賓用の部屋を顎で示す。
西日が落ち、篝火が城内に灯る。
その炎に照らされて浮かび上がったのは中庭に居座る、あまりに場違いで傲慢な「輝き」だった。
ヴェルディア王国の刻印が金で刻まれた、白塗りの馬車。
かつてレオンハルトの姉を、そしてこの地の平穏を、その黄金の重みで踏みにじっていった王都の象徴だ。
「……ガルド。今夜は誰も通すな。」
レオンハルトは一度も振り返ることなく、重い足音を響かせて私室へと続く石階段を上り始めた。
去りゆくその背中を、ガルドは物言いたげに暫く見つめていたが、やがて深く、重い溜め息をひとつ溢した。
(……やれやれ。あいつの「あんな顔」、何年ぶりに見たかねえ。)
ガルドは小さく息を吐き、穏やかな、だが一歩ごとに軍人としての鋭さを取り戻す足取りで、使節団の馬車が止まる方へと歩き出した。
中庭に鎮座する白塗りの馬車。その周囲で休息を取っていた王都の騎士たちが、近づいてくるガルドの姿を認めた瞬間、弾かれたように背筋を伸ばした。
「聖騎士長ッ!」
「は、勘弁してくれ。俺はもう聖騎士じゃねーっての。」
慌てて敬礼を返すかつての部下たちに、ガルドはひらひらと手を振って応える。
「それよりもどうしたんだ? 聖女様が御身自ら、こんな辺境に出張ってくるなんて珍しいじゃねぇか。王都の椅子が硬すぎて、お尻でも痛くなったか?」
軽口を叩きながらも、ガルドの瞳は笑っていない。
カーテンの隙間、来賓室の灯り——視線を走らせる。
「ヴァルク卿にお会いしたい、からとしか我らは伺っておりません。」
( ──そんな理由で動く女じゃない。)
「あの聖女様はまだレオンを諦めてなかったのか。……いいか、今夜は誰も通すなという『領主様』の厳命だ。聖女様だろうが、たとえ神様だろうがな。大人しく寝かせておけ。」
( ……狙いは澪、か?)
話を切り上げるようひらりと片手をあげ、これから寝ずの番を行う彼らを労いつつガルドもまたレオンハルトの私室へ向かうべく踵を返した。




