13
騎士たちに厳重に囲われ、澪はレオンハルトが切り拓いた闇へと足を踏み入れた。
通り過ぎざま、ふと気になって「白い壁」の断面に指
を伸ばしてみる。
すると、あれほど剣を弾き返した強靭な糸が、まるで熱に触れた氷のように、あるいは澪に触れられることを恐れるかのように、音もなくするすると地面へ滑り落ちていった。
驚きに手を引くが、糸はもはや彼女を拒む力さえ失っているようだった。
そのことを不思議に思いつつ辺りを見回すと、もう一つ不思議なことに気づいた。先ほど吹いた春風の影響なのか雪が大部分で溶け始めている。
泥に濡れた腐葉土の匂い。
露わになった黒い土から、湯気のような白煙が立ち上る。
冬の真っ只中、この森だけが「春」を取り戻そうとしている。その異常な光景に、レオンハルトは一度だけ足を止め、肩越しに鋭い視線を澪へと投げた。
「…花を、辿る。」
レオンハルトの脳裏には、初めて彼女を救った時、不自然に咲き乱れていたあの花が焼き付いていた。
理屈ではない。だが、この奇跡の連続が、今は唯一の道標だと彼の直感が告げている。
澪を守る騎士たちもレオンハルトの言葉に従い、白い花を辿って慎重に歩き始める。
しばらく歩いて行くと不意に、足元を彩っていた花の道標が途絶えた。
辺りには、未熟な『毒影』の幼体と思われる残骸がばらばらと散乱している。壮絶な乱戦の跡だ。
その中心に、持ち主を失った騎士団の剣が、深く大地に突き立てられていた。
他に手がかりはないかと澪が周囲を見回した、その時。風もないのに、ざあっ、と頭上の樹々が一斉に鳴いた。
( ──ウ、………エ…… )
「え……上?」
澪が首を傾げて仰ぎ見ると、太い枝の重なりの中に、騎士の鎧と同じ黒い光沢が紛れていた。
「遅いじゃないか、レオン。待ちくたびれて、尻が痛くなったぜ。」
浅黒い肌に、健康的な白い歯。
片手で気を失った若い騎士を支えながら、濃い茶色の髪をかき上げた男──ガルドが、にこりと不敵な笑みで見下ろしていた。
「……無事だったか、ガルド。」
レオンハルトの表情が、目に見えて安堵に緩む。その声には、領主としての仮面を脱いだ「弟分」のような響きが混じっていた。
「ああ、だがコイツが右足をやられちまっててな。」
ガルドは視線で、自分の腕の中でぐったりとしている若い騎士を示した。
「来る途中で、山ほどデカい『毒影』に会わなかったか? 」
笑みを消したガルドの言葉に、再び周囲が凍りついた。
「入口で切り落とされた脚は見たが、あれはお前の仕業だったのか。」
「ああ、伝令を逃がす隙を作るのが精一杯でな。だが、その後がいけねえ。妙な白い壁に囲まれて、鼠みたいに閉じ込められちまった。」
ガルドは苦笑いしながら、若い騎士を小脇に抱えたまま、軽やかな身のこなしで数メートルの高さから飛び降りた。
雪の溶けた柔らかな泥を蹴り、無造作に着地する。
「……だが、助かったぜ。急に春みたいな暖かい風が吹いただろ? その後、どういうわけか毒影どもが俺たちのいる木に近寄れなくなったんだ。おまけに毒の回りも遅くなりやがって……。もしかして日の光が弱点になったのかと思って、ずっと上にいたってわけさ。」
ガルドはそこまで一気に喋ると、レオンハルトの背後に守られるように立っている澪に、その鋭い双眸を向けた。
「……で、レオン。お前、いつの間にこんな世帯なんて持ったんだ? 奇特な嫁さんもいたもんだな。」
「げほっ……っ、……何を、馬鹿なことを。」
予想外の角度からの軽口に、レオンハルトが柄にもなく激しく咽せた。その傍らで、意味を測りかねた澪がパチパチと瞬きを繰り返している。
ガルドはニカッと白い歯を見せると、預けていた若い騎士を護衛たちに手渡し、完全に身軽になった。
「はっ、図星かよ。まあいい、か。」
ガルドは凝り固まった肩をほぐすようにぐるぐると腕を回し、バキリと首を鳴らす。
その瞳から軽薄な色が消え、代わりに対峙する「闇」を見据える戦士の光が宿った。
「さて、積もる話は無事に脱出してからにしようぜ。」




