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急いで駆け付けた救護隊は、澪の淀みのない動きに促されるように、隊員たちも「毒」への警戒を保ちつつ、手当を開始した。
先ほどまで流れていたはずの、あの禍々しい黒血はどこへ行ったのか。捲り上げられた外套の下、傷口から滲むのは、ごくありふれた鮮紅の血だった。
ブライロット・アラクネ。通称『毒影』の名を聞くだけで、熟練の騎士ですら顔を曇らせる。その猛毒は、解毒剤が間に合っても生存の可能性は低いとされる。
それが今は、解毒剤が必要ではあるものの、毒はかなり薄まっている──。
信じられない思いだった。けれど助かると聞き、レオンハルトは無意識に強く握っていた拳を僅かに緩めた。
だがその僅かな安堵を断ち切るように、彼自身の鋭い声が切り裂いた。
「少なくとも後、二名が北の森に取り残されている。うち1人は副団長、ガルドだ。」
動揺が一同に広がる。
騎士たちにとってもレオンハルトにとっても、彼は父親代わりで兄でもある存在だ。危険であれば撤退を最優先する性格の彼が森に残った──。
森の中の状況は誰にもわからない。少なくとも毒影が潜んでいることは確かだ。しかし、それだけではない、暗がりの奥に何か得体の知れないものが待ち構えているかもしれない。
この先に何があろうと、間違いなく緊急事態だ。
「相手は毒影だ、最小人数で救出に向かう。馬を準備しておけ。」
レオンハルトの号令に頷き、一人の騎士が馬を求めて駆けていく。救護隊が、呼吸の落ち着いた若い騎士を慎重に運び出し、戻っていった。
その背を見送っていた澪は、出発に向けて慌ただしくなった現場の中心で、ゆっくりと立ち上がる。
「連れて行って、ください!」
瞬間、周囲の空気が凍りつく。騎士たちが怪訝な、あるいは否定的な視線を彼女へ向ける。
戦う術を持たぬ娘が行けば足手まといになるのは自明。
しかし、レオンハルトだけは見た。
先ほどまで毒に悶えていた部下の枕元で、場違いなほど穏やかに揺れていた彼女の指先を。そして、彼女の瞳の奥に宿る、自分たち武人とは質の違う「覚悟」を。
だが、ここで押し問答をする時すら惜しいという焦燥。何より、たった今起こった「毒の弱体化」という奇跡。
澪が何かしたようには見えなかったが彼女と出会ってから起こる不思議な現象がレオンハルトの判断を迷わせた。
「……わかった。ただし、決して無茶はするな。」
その決断に周囲がざわめき立つが、レオンハルトの言葉は絶対だった。彼は差し出された黒毛の愛馬の手綱を掴むと、ひらりと鞍に跨がる。
騎士から恭しく差し出された愛剣を受け取り、鞘に収める音を合図に、レオンハルトは一気に地を蹴った。巻き上がる雪の礫を割り、彼を追って一人、また一人と精鋭たちが馬を走らせる。
澪は護衛の騎士に抱え上げられるようにして馬の背に乗せられた。必死に騎士の腰にしがみつき、揺れる視界の中で遠ざかるレオンハルトの背中を追う。
頬を打つ風は痛いほどに冷たい。
けれど自分のために、不慣れな自分を元気づけるために森へ向かった彼らが、今、死の淵に立たされている。その事実が、凍てつく風よりも鋭く澪の胸を刺した。
(どうか、どうか──無事でいて。)
強く握る手のひらに、先程通り過ぎた春風に似た暖かさがまだ残っていた。




