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レオンハルトの提案で二人は執務室を出て、長い廊下を歩く。行きの重々しい足取りとは違い、石畳の上で足音が柔らかく響く。


高い天井、並ぶ石柱、壁に掛けられた古い絵画や鎧の展示。澪は息を飲む。


「……すごい。」


「初めてだと、大きく見えるだろうな。」


レオンハルトは肩を軽くすくめ、微笑む。

中庭に出ると、冷たい空気が顔を刺す。冬の匂い、雪の匂いが混ざる。


「寒い……。」


レオンハルトは外套を取り、澪に差し出す。


「これを羽織っておけ。」


すっぽりと体を包み込むと温かさが伝わる。

その時、カン、と金属音。訓練場で剣を交える音が響いた。


「騎士団の朝の訓練だ。」


澪は目を輝かせる。


石畳を抜けて見えるのは、雪の白に映える黒い鎧の騎士たちの姿。剣がぶつかる音、掛け声、雪を蹴る馬の蹄。緊張と秩序、そして規律が同時に感じられる。


レオンハルトは微笑みを浮かべ、澪の肩に軽く手を置いた。


「見たいか?」


「はい、見てみたいです。」


朝日が雪の地面に反射し、訓練場は眩い光に包まれていた。鎧の金属音、馬蹄の響き、剣がぶつかる鋭い音が空気を震わせる。


騎士団たちは列を作り、息を合わせて動く。雪を踏む音がリズムとなり、城の静寂とは対照的な活気が満ちていた。


「レオンハルト様!」


騎士たちの声が一斉に上がる。視線の先には黒い外套を澪に渡して、訓練中の見習い騎士から模擬戦用の木剣を借りたレオンハルトが立っていた。


レオンハルトは軽く手首で木剣の重さを確かめる。澪はそっと距離を取ってそのやりとりを眺めた。


「少し、付き合え。」


「はっ!」


指名された若い騎士が一歩前に出る。緊張で肩がわずかに強張っている。


周囲の空気が、すっと張り詰めた。

澪は思わず息を呑む。


───次の瞬間。

乾いた音が、鋭く響いた。


「……え?」


目で追えなかった。

気づいた時には、若い騎士の剣は弾かれ、雪の上に転がっている。


レオンハルトの木剣は、ぴたりと相手の喉元で止まっていた。しん、と降り注ぐ静寂を破ったのは、周囲のどよめきだった。


「今の……」


澪は呆然と呟く。


速い、という言葉では足りない。無駄がなく、迷いがなく、まるで最初から結果が決まっていたかのような一太刀。


レオンハルトは剣を下ろし、何事もなかったように言う。


「踏み込みが浅い。雪に足を取られるなら、最初からそれを計算に入れろ。」


「は、はい!」


若い騎士は顔を赤くして剣を拾い、深く頭を下げた。その様子を見て、レオンハルトはふっと表情を緩める。


「だが、悪くはない。今の反応は速かった。」


厳しさの中に、わずかな温度が滲む声。澪はその横顔を見つめたまま、しばらく動けなかった。


(この人……)


ただ優しいだけじゃない。

ただ強いだけでもない。

この場にいる誰よりも厳しくて、そして───


「どうした。」


視線に気づいたのか、レオンハルトがこちらを見る。澪ははっとして、慌てて首を振った。


「い、いえ……すごいなって思って……」


レオンハルトは一瞬きょとんとしたあと、小さく笑った。


「これくらいで驚くな。騎士団には、もっと上がいる。」


そう言いながらも、その目の奥にはほんの少しだけ、照れのような色が浮かんでいた。


そんな穏やかな空気の中、門番に支えられた騎士がふらふらと広場に入る。皮膚の裂け目から黒ずんだ血が流れ、澪の胸はぎゅっと締めつけられた。


よく見ればそれは最初に森で外套を渡してくれた若い騎士だった。周囲に一気に緊張が走る。澪は纏っていた外套を脱いで負傷した騎士を包む。


「何があった?」


視線だけで他の騎士へと救護隊を呼ぶように指示し、自らも雪の上に膝をつき視線を合わせて尋ねるレオンハルトに、途切れ途切れの言葉が返る。


「……ど、く、…え、い……」


言葉を聞き取ったレオンハルトの目が大きく見開かれるのを、そばにいた澪だけが見た。


「毒影か、森の入口には出ないはずだが……。どういうことだ。」


山菜を取りに行ったはずのうちの1人がこのような状態だと残りの騎士たちの安否も気遣われる。独り言のような呟きに説明を、と口を開いた若い騎士が突然激しく咳き込んだ。


若い騎士の体が大きく揺れる。


「っ……げほっ……!」


口元を押さえた手の隙間から、黒ずんだ血が雪の上に落ちた。澪の背筋がぞくりと冷える。


「血が……黒い……?」


それを見たレオンハルトの表情が一変する。


「触れるな!」


鋭い声に澪の手がぴたりと止まった。


「毒だ。皮膚からも回る可能性がある。」


その言葉に、周囲の騎士たちが一斉に息を呑む。


「救護隊はまだか!」


「ただいま!」


駆け寄ってくる数人の騎士。だが、レオンハルトは首を振った。


「素手で触れるな。布越しでも長時間は危険だ。すぐに解毒薬の準備を───いや、待て。」


一瞬の逡巡。助けたい思いと領民を守る立場がせめぎ合う。そして、低く淡々と呟く。


「……間に合わん可能性がある。」


僅か数秒、レオンハルトの言葉には迷いが見え隠れしているようだった。再び澪の胸がぎゅっと締めつけられる。


澪は外套に包んだ騎士の腕をそっと握り、心の中で強く祈る。


どうか助かってほしい──。

その瞬間、北の森から風のざわめきが駆け寄る。


冷たいはずの風は、春風のように温かく、吹き荒れながら倒れた騎士に、そしてその場にいる者の間を吹き抜ける。


苦しげだった呼吸が、わずかに落ち着く。

澪は思わず外套を捲り、手を伸ばした。自分でも驚くほど自然に、素手で騎士の腕に触れると脈が伝わる。


「……寝て、る…?」


レオンハルトの視線が澪を捉える。その目は一瞬、何かを訝しげに疑っているように見えた。


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