第5話 本物の「古文書」
その依頼は工房の空気を少しだけ張りつめさせた。
お昼前に、工具の手入れをしていると、ラグが奥から声をかけてくる。
「コーデ、手を止めろ。話がある」
その声音でいつもと違うと分かった。
机に並んだ道具を片づけて近づくと、ラグの前には封蝋のされた封筒が置かれていた。
封はすでに開いている。
紋章を見た瞬間、思わず瞬きをする。
「……エリオット様からですよね」
「お前への依頼の紹介状だな。久しぶりに”本物の古文書”の修復依頼らしい」
工房に持ち込まれる魔法契約文書の多くは、魔力は弱く、すでに流れが枯れかけているものがほとんど。
魔法契約文書はまとめて「古文書」と呼ばれる。
だがそのほとんどは日用品に近い。
護符、通行証、倉庫の鍵。
魔力も弱く、使われなくなれば自然に枯れる。
修復といっても実態は紙と革の補修がほとんどだ。
「貴族の蔵から出てきたみたいだ。年代も古い。魔力も強く残ってる可能性が高い」
「……危ない、ですか」
「可能性が高い」
ラグは腕を組む。
「昔から言われてるだろ。魔力が深く染みた古文書は、下手に触るなって」
「少しの修復でも契約に影響が出る」
「そうだ。たぶん、お前のほかにもう一人呼ばれているだろうな」
ラグは封筒の中身を最後まで読んだ。
「やっぱりだ。魔視者も同行する」
その一言で、空気が少し締まった。
魔視者。
魔法を使う人間とは違い、魔力の流れや滞留を“視る”ことに特化した職業だ。
魔力量は少ないことが多く、そのぶん周囲との差に敏感だと言われている。
「今回はお前は修復係として行く」
ラグは念を押すように言う。
「物理的に直せるかどうかの判断と、実際の修復。それが仕事だ」
「判断は……」
「魔視者がやる。余計なことは考えるな」
「……僕で、いいんでしょうか」
そこでラグはふっと表情を和らげた。
「お前は妙なところに気づけるだろ。それに修復の技術もどんどん身につけているから大丈夫だ。」
滅多に誉められないので、胸の奥が少し熱くなる。
「……分かりました」
「頑張れ、終わったらなにかうまいもの奢ってやるからな」
「この前もそう言って、まだ奢ってもらっていません」
「うるさいな、美味いものを調査中なんだよ」
⸻
依頼先は、街の外れにある古い屋敷だった。
元は貴族の別邸だったらしく、今はほとんど使われていない。
応接間に案内されると、すでに一人来客がいた。
修道服姿の女性。
19歳の成人になっているかどうかだろう。
落ち着いた雰囲気だが、どこか緊張しているようだった。
「あなたが修復係の方?」
柔らかい声だった。
「はい。コーデといいます」
「私はシスター・リネア。教会所属の魔視者です」
そう名乗って軽く会釈する。
「よろしくお願いします」
白布の上に置かれた古文書はひどく存在感がある。
部屋にあるだけで、空気が張りつめているのが分かる。
革装丁の分厚い本。
縁は変色し、紙もかなり古い。
だが――
(……強い)
触れる前から分かる。
魔力が文書そのものに染み込んでいる。
「これは……」
慎重に中を読んでみると、「何かを起こす」ための契約じゃないことが分かった。
地下を巡る水脈と魔力の流れを、一定に保ち続けるためのもの。
井戸が枯れず、瘴気が溜まらず、街が“いつも通り”であるための契約だ。
つまり――
問題が起きない限り、誰にも重要だと気づかれない古文書。
契約が結ばれたのは、街ができたばかりの頃らしい。
当時は誰もが必要性を理解していたはずだ。
この古文書は異様なほど丈夫だ。
厚い紙に強い綴じ。簡単には傷まずここまできたのだろう。
だからこそ、誰も修復に出さなかった。
小さな綻びが静かに進んでいるとも知らずに。
ようやく依頼が出たのは、教会が街全体の魔力の乱れを感知し、原因を探った結果だった。
「契約文そのものに手を入れるのは危険すぎる。だから今回は、物理的な修復だけを応急処置として行い、
本格的な契約の扱いは、国に一人しかいない専門家に委ねられる」
というのが、魔視者の見解を聞いた国の結論らしい。
こういった“安易に手を加えてはいけない古文書”は、簡易な修復をしたのち、専門家に持ち込まれる。
「では、始めましょうか。コーデ、よろしくね。」
「はい」
古文書を前にすると、自然と背筋が伸びた。
(……強い)
魔力が深く染み込んでいる。
生きている、という表現が一番近い。
「触れる前に止まって」
リネアが静かに告げる。
「中央の契約紋に歪みがある。でも今は動いていない」
コーデはうなずいた。
「物理修復のみ。文字も配置も、絶対に動かさないで」
「分かりました」
道具を手に取る。
紙の繊維を整える。
裂け目を補強する。
作業自体は、何度もやってきたことだ。
――けれど。
(……少し、危うい)
無意識のうちに呼吸を整えていた。
自分の魔力がわずかに指先から滲んでいるのが分かる。
抑え込むのではない。流し込むのでもない。
ただ、契約に余計な負荷がかからないように、周囲をなだめるような感覚。
「……」
リネアは、息を止めた。
彼女の魔視には見えている。
古文書を取り巻く魔力が、細かく整えられていく様子。
それは、彼女が指示したことではない。
(この子……)
自分の魔視には自信があるが、まだ完璧ではないことも自覚していた。
経験不足から判断に迷うほどの差を、彼は拾っている。
「……そのままでいいわ」
短く、そう告げた。
「魔力の調整が上手なのね!」
「え?」
コーデは一瞬だけ顔を上げた。
「ごめんなさい、集中しましょう」
その後の作業は、静かに進んだ。
リネアが魔力の流れを読み、危険な箇所を伝える。
コーデはそこに魔力を染み込ませ、暴れを抑える。
やがて、修復は終わった。
古文書は形を保ち、魔力の流れも安定している。
契約が変質した様子はない。
「完了ね」
リネアは、深く息を吐いた。
「とても助かったわ」
「いえ。僕は言われた通りに」
⸻
数日後。
リネアは教会の机で、報告書を書いていた。
古文書の状態。修復内容。判断経過。
ただ、事実だけを書いている。
――ただ一つを除いて。
修復中、魔力が微細に調整されていたこと。
それを行ったのが、修復係の少年だったこと。
(書けば……この子の将来が変わってしまうかも)
それが良いか、悪いか。
今は分からない。
リネアは、静かに首を振った。
「……今回は修復係としての働きだけ」
報告書に封をして、そっと机に置く。
(いずれ、隠しきれなくなるわよね)
それでも――今ではない。
⸻
真夜中の工房に灯りが灯っていた。
最上階の執務室の机の上には書類が積まれている。
その中の一通を、初老の男はゆっくりと手に取った。
教会からの正式な報告書。
古文書の状態、魔視者の立ち会い、修復の経過。
静かな部屋で、紙を繰る音だけが響く。
「……そうか」
途中までは何度かうなずきながら目を通していた。
だが、最後の修復内容に目を落としたところで、動きが止まる。
――物理修復のみで、文書の崩壊を防止。
「物理修復のみで、あの古文書を支えた……」
驚きというより、確かめるような声だった。
椅子にもたれ、天井を仰ぐ。
ふっと口元が緩む。
「やはり、か……」
名簿のように添えられた名前に、視線を戻す。
まだ工房の隅で、与えられた仕事を一つずつこなしているだけの少年。
――あの時、孤児院で会ったときも、似た気配を感じた。
「無理はさせたくないが……」
誰に向けるでもなく、穏やかな声でつぶやく。
「ちゃんと、自分の足で歩かせてやらないとな」
報告書を丁寧に重ね、山の一番下に戻す。
特別な指示は出さない。
今はまだ見守るだけでいい。
また次の仕事に向かうため、外套を手に取る。
工房を出る前に一度だけ、振り返った。
「帰ったら……顔を見に行くか」
誰もいない部屋で、そう静かに言ってから、
初老の男は、再びどこかへと旅立っていった。
読んでいただいてありがとうございます!
初投稿なので、投稿設定など至らぬところがあるかもしれません…。
ファンタジーファンの一人として、面白い物語を書いていきたいので、ご愛読いただけると嬉しいです!
週に1話は投稿していきたいと思います!




