第4話 主人のいない護符
その依頼は朝の工房で急に回ってきた。
「貴族の屋敷からだ」
ラグが帳面を閉じながら言う。
「出張修復。当主が亡くなって、遺品整理の途中らしい」
「ラグさんが行くんですか?」
「いや、今日は別の件が入ってる。だから――」
そこでこちらを見る。
「お前、行けるか?」
一瞬、言葉に詰まった。
(貴族の屋敷……)
自分とは全く違う貴族の世界に気後れする。
孤児院育ちの自分が行って、貴族がどう思うのかという恐怖もあった。
でも、修復係として一人前になるには断ってはいられない。
「……行きます」
「ごめんな、今度うまいものを奢ってやるからさ」
「約束ですよ」
屋敷は街から少し離れた丘の上にあった。
多くの貴族は貴族街にある別宅で生活をしているが、パーティや行事は本邸で行うのが常である。
ラグの付き添いで貴族街には行ったことがあるが、こんなに大きな屋敷は初めてだ。
門の前に立つだけで背筋が伸びる。
使用人の女性が出てきたので、名前と用件を伝える。
「修復係の方ですね。お待ちしていました」
穏やかな声音だった。
だが、屋敷の奥に進むにつれ、空気が変わる。
広間には、身なりのいい大人たちが集まっていた。
視線が一斉にこちらに向き、周囲がざわつく。
「……貧民の子どもか?」
「修復係だと?」
声を隠す気もない。
「孤児か?」
立派な服を着た貴族が話しかけてきた。
その言葉に胸が少しだけ詰まる。
「……はい」
一瞬、間があった。
「本当に、任せて大丈夫なのか?」
「時間の無駄だろう」
(……仕事をしに来ただけなんだけどな)
そう思っても口には出せない。
前に出てきた青年が、困ったように頭をかいた。
「悪い。私はエリオット。ここの当主だ」
まだ若い。二十歳そこそこだろうか。
「今日は……その、雰囲気が悪くてな」
「いえ」
「とりあえず、この護符を見てほしい」
机に置かれた護符に触れた瞬間、胸の奥に引っかかりを覚えた。
(……おかしい)
けれど、その違和感を口にする前に、
「余計なことはするな」
と、親族の一人が言った。
「簡単な修復だけだろ、さっさと終わらせて帰れ」
「……分かりました」
綴じを直し、表面を整える。
最低限の修復だけをして、その日は屋敷を後にした。
終わっても違和感は消えなかった。
帰り際に、使用人のマリアが小さく声をかけてくる。
「……ありがとうございました」
その目は何か言いたそうだった。
⸻
護符を修復しても屋敷では妙なことが続いた。
棚が倒れ、梁がきしみ、誰も触れていない燭台が落ちた。
しっかり手入れされている庭園の花壇に火が付いた。
大きな事故ではない。
だが重なるには不自然だった。
使用人のマリアは、ふと思い出していた。
――修復係のおかげで助かった、という商人の話。
昨日、品を卸しに来た商人がしていた、何気ない雑談だ。
「この前、古くなった魔法契約書を修復してもらってさ。正直、最初は気休めだと思ってたんだ」
そう言って苦笑していた。
「でも目に見えて何かが変わったのは、あれが初めてだった。道中妙に守られてる感じがしてな」
商人は行商の思い出を語りながら、帳面を軽く叩いた。
「またお願いしたいと思ったよ。ああいう修復係なら、な」
何気ない話のはずだった。
けれど、その言葉だけが妙に心に残っていた。
――修復係のおかげで助かった、という商人の話。
エリオットの朝支度をしている時に、そのことを話してみた。
「エリオット様、もう一度あの修復係を呼ぶのはいかがでしょうか……」
「先日の子か?」
「はい。エリオット様がゆっくりお話できる日に」
エリオットは少し考えてから頷いた。
「そうだな……彼の目は何かを見ているようだった。私もちゃんと話を聞いておきたい。失礼をしてしまったしな。」
⸻
改めて屋敷に呼ばれた時には胸がざわついた。
(物理修復はちゃんとできたはずだけど……何か言われるのかな)
門を叩くと使用人が顔を出した。
「来てくれてありがとう。……本当に」
屋敷内を歩きながら、彼女――マリアは小声で続けた。
「この前商人さんがいらして。旅のお守りを直してもらったって」
胸が少しだけ跳ねる。
「修復係のおかげで助かった、って」
「……それで」
「一度、ちゃんと見てもらったほうがいいって、教えてくれたのよ」
噂話をしてくれるほど、自分が役に立ったのかもしれない、と思うと少し嬉しかった。
案内された部屋に入ると、しばらくしてエリオットがやってきた。
「この間はすまなかった」
エリオットは、気まずそうに言った。
「いえ、ご依頼いただきありがとうございました。」
「親戚の連中、感じ悪かったろ」
「……少しだけ」
正直に答えると、彼は苦笑した。
「だよな」
護符を机に置く。
(……やっぱり)
「父さんが亡くなってから屋敷に妙なことが起こるんだ。違うとは思うけど、この護符の影響があるのではと考えている。」
「古くなった魔法契約は、本来の目的とは異なった出来事を起こすとも言われています。見た目の修復だけでは事足りないことも…だから修復係はそこまで重要視されていないのかと…」
「形式的になってしまっている点は否めないな。しかし物事には必ず意味があると思うんだ。何かできることはないだろうか?」
「完全には直せないと思います。」
エリオットは少しだけ目を伏せた。
「やっぱり、そうだよな」
責めるような声ではなかった。
「たぶん、ですけど……」
言葉を選びながら続ける。
「この護符は先代当主様の想いが、すごく強かったんだと思います。家を守りたい、ここで暮らす人たちを守りたい、って」
護符に触れると今でもその感触がわずかに伝わってくる。
「でも、その……今は」
「父さんはもういない」
エリオットが静かに言った。
「はい。それに……」
相続を巡る親族たちの空気。
屋敷の中に溜まった、落ち着かない感情。
「周りの人たちの気持ちとか、そういうものにも影響されてる気がします。だから、護符の力も、うまく巡らなくなってるんじゃないかと」
あくまで感覚の話だ。
証明できるものじゃない。
「じゃあ、どうすればいいと思う?」
「……役目を、終わらせるのがいいかもしれません」
「終わらせる?」
「護符としての最後の仕事をしてもらう、というか……。うまく言えないんですけど」
コーデは少し困ったように笑った。
「たぶん、もう守り続けるためのものじゃない。でも、最後に一度だけなら……」
エリオットはしばらく考えてから、うなずいた。
「やってみてくれ。後悔はしないし、ダメで元々だ。」
⸻
護符を部屋の中央に置いて修復の準備をする。
自分だけがやっている事を、ラグ以外に見られるのは初めてなので少し緊張した。
文字には触れない。契約も書き換えない。
ただ、全体にゆっくりと魔力を染み込ませる。
先代当主の想いがまだ残っている気がした。
それを無理に引き延ばすのではなく、ほどいていく。
しばらくすると、護符が淡く光り始めた。
「あぁ……」
エリオットが息をのむ。
光は強くならず、広がらず、ただ、満ちていくように部屋を照らした。
最後に一度だけ、脈打つように輝き――そして静かに消えた。
護符はもう魔力を帯びていない。
「終わった……のかな」
エリオットの目には先ほどの優しい光がまだ映っていた。
光が当主としての決意を伝えたのかもしれない。
「たぶん、ですけど。護符は最後の役目を果たしたんだと思います。」
エリオットは護符を手に取り、震えた声でつぶやいた。
「父さんらしいな………」
「最後まで私たちを見守ろうとしてくれてたみたいだ。だから、ここから先は私が引き継いでいくよ。」
当主として。この家の主として。
その決意は護符がなくても揺らがないように見えた。
夜遅くになってしまったので、その日は客間に泊まるように言われた。
(正直、緊張で寝られないや)
それでも先ほどの温かい光に包まれている気がして、気づいたらぐっすり眠っていた。
⸻
翌朝、屋敷を発つ前にエリオットが呼び止めてくる。
「これを受け取ってくれ」
差し出されたのは、琥珀色の水晶で作られたペンだった。
光に透かすと内部に小さな模様が浮かんで見える。
「父さんのコレクションの一つだ。使ってなかったけど、なんとなく捨てられなくてさ」
「……いいんですか?」
「もちろん。依頼金とは別に、個人的なお礼だ」
ありがたく受け取る。
「君には感謝しているんだ。他に欲しいものはあるかい?」
少し考えてから答えた。
「もしよければ……孤児院に、絵本を一冊」
「絵本?」
「文字が読めなくても楽しめるやつだと、嬉しいです」
エリオットは一瞬きょとんとして、それから笑った。
「そんなのでいいのか?」
「はい。十分です」
「分かった。お安い御用だ」
その数日後。
孤児院に届いたのは、数冊が束になった絵本だった。
「……多くない?」
思わず声が漏れる。
紙が貴重なので、絵本は高価な品のはずだ。
「エリオット様からだって!」
子どもたちは目を輝かせて、本を抱えた。
それからというもの、エリオットからは定期的に絵本が孤児院へ届けられるようになった。
琥珀色のペンをポケットの中で握りしめながら、コーデは思う。
あの護符は、確かに役目を終えた。
けれどその想いは、ちゃんと次へ渡ったのだ。
それなら――きっと、悪くない。
笑い声の中でポケットの中の琥珀色のペンが、ほんの一瞬だけ、温かくなった気がした。
読んでいただいてありがとうございます!
初投稿なので、投稿設定など至らぬところがあるかもしれません…。
ファンタジーファンの一人として、面白い物語を書いていきたいので、ご愛読いただけると嬉しいです!
週に1話は投稿していきたいと思います!




