第13話 王都散策
朝の光は、思った以上にやわらかかった。
宿の食堂に差し込むそれは、夜の名残をわずかに引きずりながら、白木のテーブルに細い影を落としている。
王都セレスティア――ルミナス王国の中心地の朝は、もう少し張りつめたものだと想像していたが、実際には驚くほど静かだった。
コーデは一人朝食の席についていた。
焼きたてのパン。薄く切られた燻製肉。豆と野菜のスープ。
特別豪華ではないが、どれも丁寧で、宿の格を感じさせる内容だ。
(……落ち着かないな)
味は悪くない。むしろ美味しい。
だが、意識がどうしても窓の外へ引っ張られてしまう。
ここは王都セレスティア。
昨日まで地図の中にしか存在しなかった場所。
昨日は王との謁見という非日常に巻き込まれていたが、こうして一人になるとようやく実感が追いついてきた。
(代表は……夕方までには戻る、だったな)
朝起きると、アルスの姿はすでになかった。
代わりに机の上に、短い書き置きと小さな革袋が置いてあった。
――急ぎの用事ができた。夕方までには戻る。
――街を見るなら、これを使うといい。
革袋を手に取り、中身を確かめるまでもない。
(……完全に一人で放り出されたわけじゃない、か)
どちらかと言えば、「一人で過ごす時間」を意図的に用意された気がした。
スープに手を伸ばそうとした、そのとき。
「おはよう」
柔らかな声が、横からかけられた。
顔を上げると、食堂の入口に青年が立っている。
整った服装だが堅苦しさはなく、どこか親しみやすい雰囲気をまとっていた。
視線が一度だけ店内を巡り、それからコーデに戻る。
「ああ……君はアルス様の同行者だね」
断定ではなく、確信に近い調子。
「はい」
「やっぱり」
青年は軽く微笑んで歩み寄り、断ってから椅子を引いた。
「書記官長のヨークだ。よろしくね」
「コーデです」
「僕も朝食をご一緒してもいいかな?」
「はい」
「ありがとう。お邪魔するよ」
そう言ってから給仕を呼び、軽めの朝食を注文する。
「アルス様を探して来たんだけどね。お部屋にいらっしゃるのかな?」
「僕が起きた時には、もう出発していて、、、夕方まで戻らないそうです」
「あぁなるほど。なかなかつかまらない人だからなぁ・・・」
ヨークはそう言って、小さく息を吐いた。苦笑しているようにも見える。
「実は僕昨夜は徹夜でさ。今日は休みなんだ。往生から出るついでに、アルス様に伝言があったんだけど、、、」
その言葉には愚痴も誇張もなく、ただ事実を述べる響きがあった。
「君は今日は何をする予定なんだい?」
「特に予定は……」
「ならちょうどいい」
そう言ってヨークは肩をすくめる。
「王都は初めてだろ?もしよければ案内するよ」
「ありがとうございます」
「一人で歩くには、ちょっと情報量が多い街だからね」
朝食を終え、二人は宿を出る。
セレスティアの朝は、静かに、しかし確実に動き始めていた。
石畳を行き交う人々。店の扉を開ける商人。巡回する兵士たち。
どれもが過不足なく、整っている。
ヨークは自然に先を歩くが、歩調はコーデに合わせてくれていた。
「この辺りは商業区だよ。昼になると人が一気に増える」
通りを折れると小さな広場に出た。
中央には噴水があり、水は一定の形を保ちながら、微妙に模様を変えている。
「観賞用の魔法噴水。王都名物の一つだね」
「……綺麗ですね」
「でしょ」
それ以上の説明はなかった。
だが、コーデの視線は自然と水面の奥へ向かっていた。
(……整いすぎてる)
魔力の流れは滑らかだが、どこか不自然だ。
わずかな歪みが、周期的に修正されている。
「あ、、補正が入りました」
無意識に口にしていた。
ヨークは少しだけ驚いたように瞬きをしたが、すぐに笑う。
「分かるんだね」
「……なんとなく」
「へえ」
それ以上は聞かない。
だが視線が一瞬だけ、鋭くなった。
二人はさらに街を歩く。
魔導台車が通り過ぎ、建物の外壁に刻まれた紋様が淡く光る。
一つ一つは小さな仕組みだ。
だが、それらが積み重なって街を維持している。
一台の台車が、ほんの僅かに傾いた。
光が走り、即座に元へ戻る。
誰も気に留めない。
「今のは?」
「自動修復」
ヨークは穏やかに答える。
「王都セレスティア全体には、都市維持の契約が張られてる。小さなズレは、勝手に直る」
「全部、修復してるわけじゃないですよね」
ヨークは一瞬だけ考え、それから苦笑した。
「壊れないように支えてる、が近いかな」
「……修復とは違う」
「うん。違う」
運河沿いに出る。
水は澄んでいる。
だが、底を流れる魔力は忙しなく、無理やり流路を固定されているように見えた。
(……この街、ずっと踏ん張ってる)
コーデの視線に気づいたのか、ヨークが足を止める。
「コーデ君」
「はい」
「君には魔法契約がよく見えているんだね」
責めるでも、試すでもない言い方だった。
「普通の観光客は、ここまで気にしない」
「……すみません」
「いや、謝ることじゃないよ。でもさすがアルス様のお弟子さんだ」
ヨークは少し困ったように笑った。
「休みの日なんだ。難しい話は、休みの日にするものじゃないね」
昼近くになり、二人は小さな工房街へ足を運ぶ。
そこで、ちょっとした出来事が起きた。
老職人が扱っていた紋章板が、突如として光を乱し、作業台からずり落ちたのだ。
「まずい……!」
周囲がざわつく。
ヨークが前に出ようとしたその瞬間。
コーデの体が先に動いていた。
(……あ、これ)
壊れかけている構造。
だが、完全には崩れていない。
直せる――いや。
(支えれば……)
コーデは、無意識のまま手を伸ばした。
イメージは、極めて曖昧だった。
「元に戻す」ではない。
「壊れきる前の形」をただ思い浮かべる。
次の瞬間、紋章板の光が安定する。
歪みがゆっくりと収束していった。
周囲が静まり返る。
「……え?」
老職人の声が、遅れて聞こえた。
ヨークは、何も言わずにその光景を見ていた。
(今のは――)
呪文ではない。
紋章でもない。
構造を理解しきっていないまま、イメージだけで成立したように見える。
「……コーデ」
ヨークの声が少しだけ低い。
「今のは何をしたんだい?」
「……わかりません」
それは嘘ではなかった。
ヨークはそれ以上追及しなかった。
ただ、いつもの優しい表情の奥に、はっきりとした緊張が宿っていた。
夕方、宿の前で別れる。
「今日は、ありがとう」
「こちらこそ」
ヨークは少しだけ苦笑する。
「次はアルス様がいるときに街を歩こう」
宿に戻り、コーデは深く息を吐く。
楽しかった。穏やかだった。
それでも――
(……踏み込んだ)
見てしまった。
触れてしまった。
イメージだけで世界に手を入れてしまった。
アルスの言葉。王の言葉。
ヨークの言わなかった言葉。
すべてが、静かに繋がり始めていた。




