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その後の晴香は散々だった。三課に戻ってから葛城に叱られた。まあ当然である。
「わたしだってまさかあんな流れになるとは思ってなかったんですよ?」
葛城と中条を誹謗されたのがとにかく悔しかった。前日に取引先の相手と会っていたのも怒りにより一層火を注ぎ、とにかく何か言わなければ気が済まない。だから相手が年上だろうとなんだろうと食ってかかった。
が、しかし。
怒りの原因となった「枕営業」と言うものを知ったのは件の女優が出ていた作品からであり、そこから思い出された記憶、反応の薄い吉川、自分より年も立場も格段に上の他の面々から視線を集めている状況。それら全てに晴香の感情は振り切れてしまった。
「まあ早い話がテンパりました」
だよねえ、とテーブルの向かい側で頬杖を付いて聞いていた中条が苦笑を浮かべる。
「日吉ちゃんのおかげであの場は無事収まったけど」
「なのにあんなに怒るのひどくないです!?」
下手をすれば一課と三課で言い争いが起きてもおかしくない空気であったが、晴香の問題すぎる発言に加えて葛城の雷、と言う展開にそれどころではなくなった。何故か葛城の方から吉川に向けて「悪いな」と軽いながらも謝罪まで出て、それがまた晴香は面白くなかった。
「そこはそれ、ほら、ねえ?」
「中条先輩誤魔化しが適当すぎでは」
「あ、ビール来たよとりあえず飲もうか! 日吉ちゃんお疲れ!!」
店員が持ってきたビールを晴香に手渡し中条が軽くジョッキを持ち上げるので、晴香も頬を膨らませつつも乾杯をする。ゴクゴクと咽を通るビールが美味しいと思えるようになったのはいつ頃からだったろうか。
葛城にしこたま叱られたので課長からのお咎めは特になく、それどころかこっそりと全国チェーン店の居酒屋の割引券を貰った。場の空気を取り持ってくれたからとの事で、戸惑う晴香に代わり中条が受け取り、葛城と三人で月曜からではあるが飲み行く話となったのだが。 就業間近に葛城が取引先からの電話に捕まり、ひとまず晴香と中条の二人だけで先にここへ来た。
「わたしとしては場を和ませるとかそのつもりは全くなかったですけどね!」
「でもおかげで一課と無駄に揉めることなく終わったから。本当にありがとう」
それにしたって話の中身が酷すぎた。それを思い出したのか中条は肩を揺らす。
中条もまた葛城とはタイプの違う美形であり、社内での女子社員の人気を二分している。少しばかり茶色がかった髪は天然の髪質であるらしく、柔和な顔つきと相まって密かに「王子」と呼ばれている。それを聞いた時の晴香は「じゃあ先輩は武士って感じよね」とうっかり口にしてしまい、その場にいた女子社員の腹筋を崩壊させた事がある。
仕事の実力も葛城と営業トップを常に争っており、仕事のできる美形が同じ課に二人いるので三課は若い女性社員にとっては移動したい部署ナンバーワンだ。最初の頃は晴香としてはいつでも立場を変わってやりたい心意気だったが、今はそれとなく羨望の眼差しを流している。仕事が楽しいと思えるようになったのはもちろんだが、直近で変わりたくない理由ができた。
「ところで日吉ちゃんさ、葛城の彼女って知ってる?」
「先輩彼女いるんです!? か……?」
微妙な間が空く。そして目の前の晴香がとてつもなく気まずい顔をするのでどうしたのかと中条はその視線の先を追う。ほぼ真後ろに、いつの間に来たのか葛城が立っており、そしてこれまた謎な事にものすごく人相が悪い。
「日吉ぃ」
おっとこれはマズいやつかな、と慌てて中条はフォローに入る。
「落ち着けって、おれが勝手に訊いてるだけだし。それよりまあほらお疲れ様だろ座れよ」
葛城が晴香の隣の席にドカリと座るのを目の端に捉えつつ、中条はタブレット端末で葛城の分のビールを追加で注文する。すぐに店員がジョッキを持ってきてくれたので改めて三人で乾杯をし、一息入れた所で改めて中条は質問を投げた。今度は当人へと。
「お前さ、彼女いるならいるでそりゃよかったなって話だけど、せめて日吉ちゃんには教えてやれよ。二年も支えてくれる上に、お前の酷かった時期モロ被りしてるんだぞ」
「いや……あの、中条先輩……」
「おれはてっきり日吉ちゃんとデキてるのかと思ってたけど」
葛城が酷かった時期に晴香のフォローをしていたのは中条だ。フォローしつつも晴香の為人も見ていたわけだが、おかげでどういう人物であるのかはよく知っている。この子なら葛城も少しは、と思うようになり、そうして葛城の態度がどんどん変わっていくのも目の当たりにした。後輩に対する感情だけではないのでは、と見ていたのだが。まさか晴香の他にそう言う相手がいたのか、できたのか、と不思議でならない。
そんな中条の疑問に葛城は不機嫌そうに答えた。
「俺もそのつもりなんだけどな」
え、と中条が固まる。ついでに晴香も。葛城は小皿に盛られた白菜の漬け物を食べ、それをビールと共に飲み込んでからゆっくりと横に体を向けた。
「なあ日吉」
「……ソウデスネ」
「え待て待て待て、二人って付き合ってるのか!? いつから!?」
中条は喰い気味にテーブルに身を乗り出す。無理もない。晴香と同じく中条も葛城が荒れていた時期に常に隣りにいたのだ。葛城がそういう気になったというのも驚きだし、その相手が自分が思っていた晴香であった上に、その二人が付き合っている事を今の今まで知らなかったのだから。
「あれ? でも日吉ちゃんもビックリしてたよな?」
嘘を吐いていたようには見えなかった。もしあれが演技だとしたら相当だけれども、と中条は葛城と晴香を交互に眺める。
「いやあれはですよ、ほらなんて言うかですね、それですよ」
「日吉ちゃん誤魔化し方が適当どころじゃないけど」
「一回ヤッたくらいで彼氏面してんなってさ」
「わーっっ!! なんてこと言うんですか! てかそもそもまだ」
「あーっっ! 待ってごめん良く知る相手のそのテの生々しい話はちょっと無理!」
晴香と中条が同時にテーブルに突っ伏すのに対し、葛城は平然とビールを飲み干す。手早く追加の注文と、ついでにいくつかの腹にたまる品を注文していると、いち早く中条が復活した。
「で、いつから付き合ってるんだよ?」
「……一昨日?」
「直近」
「そう! そうなんですよ!! 直近すぎるからまだそういう自覚がですね」
次いで復活した晴香が叫ぶ。葛城はそんな晴香に冷ややかな視線を向ける。
「なんて言うか彼女を見る目付きじゃないぞ葛城」
「言ってやってください中条先輩」
「あれだけ言ってもヤッても彼女が自覚してくれねえもんだからなあ」
「葛城の話は無視するとしてどうなの日吉ちゃん?」
「なにがですか?」
「あの驚いてたのはフリ? それとも本気のヤツ?」
「……ほぼ二年間先輩と後輩でいた関係性に、新規の関係性が太刀打ちするにはまだちょっとこう……ってなりますよね中条先輩!」
「そういう問題じゃないと思うけどなー」
なんとか自分サイドに引き込もうと晴香は必死だが、中条は巻き込まれるのは勘弁、と華麗に逃げる。流石営業トップを競う相手だ、場の空気を読むのが上手い。
「付き合い始めも始めなのに全然そういう雰囲気ないなと思ったけど……なるほどね」
苦笑を浮かべる中条に対し、葛城は苦虫を潰したような顔をしている。隣りに座る晴香はいたたまれず無駄にジョッキに口を付ける。
「日吉ちゃんに自覚がなかったとか」
どうしたって笑いが込み上がる。店員が持ってきた追加の品をテーブルに置いていくが、箸を付けるのは葛城だけだ。
「でもまあお前の態度も普通すぎると思うけど」
「今日は朝から忙しかっただろ。昼からは会議もあったし」
「さらにはあの騒ぎ、となったらまあたしかに職場でいちゃつく余裕はないか」
「明日から見せつけてやるよ」
「え!? しませんよ!!」
ぶは、と中条は吹き出した。葛城も本気で言っていたわけではないのに、それに反応する晴香があまりにも本気すぎる。
「なんで? 少しぐらいならいいんじゃないの? ウチは社内恋愛禁止ってわけでもないし」
「いやバレたら色々面倒くさそうじゃないですか」
真顔で即答する晴香に中条はさらに吹き出す。
「バレたくない?」
「もちろんです。だから中条先輩もこのことは内緒にしててくださいね」
「周りに紹介できない男だったのかおまえ」
「可哀想だろ。俺との付き合いが面倒になったらフラれるから頼むぜほんと」
「いやだからそのあたりは大丈夫ですって! たぶん!!」
「語尾がいらねえなあ!」
葛城は晴香の頭を掴むとそのままギリギリと締め付ける。会議が終わった直後にも同じ様に罰を喰らった晴香のこめかみはすぐに悲鳴を上げた。
「痛い痛い先輩痛いです!!」
「俺のガラスのハートも痛いんだが」
「先輩のハートなんて強化ガラスだからどうってことないじゃ痛い痛いごめんなさい十代も真っ青の繊細なハートの持ち主です痛い!!」
笑ってはいけない、と思えば思うほどに笑いたくなるのは人の心理だ。中条は必死に吹き出すのを堪えたが、吹き出す代わりに「ひあ」と言うなんとも間の抜けた声が漏れる。
「ちょ……腹筋がしぬからやめて……」
薄ら涙まで浮かべ、それをおしぼりで拭いて中条はひとまず気を落ち着かせた。目の前の皿に並んだ料理が気になるが、それよりもっと気になるものが目の前にある。
「それで、付き合い始めが一昨日ってことだけど、葛城はいつから日吉ちゃんが好きだったわけ?」
「それが聞いて驚いてください中条先輩」
「先週。の、金曜日」
今度こそ堪えきれない。ファーッ!! と大声を上げて中条はテーブルに突っ伏した。バシバシと手がテーブルを叩く。
「マジか! おまえ、あれだけ日吉ちゃんに執着してたくせに、自覚したのが、先週! 金曜!! そっちも直近かよ!」
「え、なんですかそれ」
執着されていた覚えは晴香には無い。葛城も怪訝な顔をしている。それがまた中条の笑いのツボを刺激して中々笑いが引かない。
「だっておまえ、吉川もだけど二課の連中相手でも日吉ちゃんに絡んでるとすげえ目付きしてたくせに……! 飲み会の時だと自分の傍から離さねえし!」
「あれはコイツが酔っ払いに絡まれるのが面倒だからって」
「そうですよ単に面倒くさい人を避けてるだけなのでそういうのじゃないです」
平然と言い放つ二人に対し、揃いも揃って無自覚! と中条は息も絶え絶えだ。
「まあなんだ……ほら、とりあえずうん、お似合いの二人でよかったよ」
「中条先輩誤魔化しが雑です」
「無理矢理話まとめんじゃねえ」
突っ込みのタイミングも息がピッタリで、これは本当に似合いの二人だなと中条は思う。
「でも今はとりあえずおれの腹筋にこれ以上ダメージ与えるのはやめてくれる?」
「知るか」
「別に中条先輩を笑わせようとして言っているわけじゃないのでですねえ」
しかしながら同期と後輩の返しは冷淡だった。




