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「……お前なにやってんだ」


 トイレから戻り明かりの点いたリビング、の端から寝室を覗き込む晴香に葛城は呆れた様子を見せる。しかしその顔が完全に面白がっている物であるのは暗がりの中でも明らかで、やはり我が身に起きている事は先輩が、と改めて認識した途端晴香の膝から力が抜けた。

 ズルズルと壁を伝いながら両膝を付き、そのまま両腕も付いてついには叫びを上げる。


「先輩いいいいい!!」

「やっと気付いたか」

「ちょっと! あの! これは!!」

「トイレに行くまで気付かねえとかお前どんだけ」

「だって!」

「鈍いにもほどがあんだろ」

「だってまさかこれの下が全裸だなんて思わないじゃないですかーっ!!」


 着ていたスーツを脱がされてTシャツ一枚。これだって充分羞恥心を煽ってくる。それでもまだなんとか、皺ができるからとか酒臭いから、などという理由で脱がされたのだと納得できないこともない。だが、身に付けていた下着が丸っと全部脱がされているのはどう考えたところで


「わけが分からないんですけど!?」

「いやわかんだろ普通」

「なんですか!? なんの普通ですか!? 先輩の普通とわたしの普通にとんでもなく広くて深い溝がありません!?」

「日吉」

「なんですか!」

「そのシャツな、俺が着てもでかいんだけど」

「はい!?」

「お前が着るとさらにでかいわけだ」

「そうですね!?」

「そんだけ差がある状態で、ンな格好してっとな」

「先輩回りくどい!」

「見えるぞ」

「なにが!」

「胸。あと後ろからだと尻も丸見えじゃね?」

「あああああああ!!」


 慌ててシャツの裾を限界まで引き伸ばし、そして晴香は小さく丸まった。服が伸びてダメになろうがもうそんなこと知ったことではない。穴があったら、とはまさに今だ。でもそれと同じくらい羞恥で死ぬ。そしてこの状況を作り出した原因をこの手で消し去りたい。そんな物騒な思考に辿り着くまで秒すらかからなかったが、諸悪の根源はそんな晴香の思惑など知るものかと丸くなった晴香を抱え上げるとそのままベッドに放り投げた。


 ぎゃ、と可愛らしさからほど遠い叫びをあげつつ、それでも急ぎ体勢を立て直そうとした晴香であるが、ベッドの縁に腰をかけた葛城に両腕で体を挟み込まれては身動きがとれない。


「……先輩」

「おう」

「これはもしかしてですよ」

「世間で言うところの」

「襲われそうというやつですか?」

「まあそんなところだな」

「……と、思わせておいて、ほんとうのところ」

「と思いたい気持ちは分からんでもないが、残念ながら答えは同じだな」

「嘘でしょおおおおおおお!!」


 ジタバタと暴れると容赦なく頭を押さえつけられた。


「婦女暴行!」

「まだしてねえよ」

「これ! 今まさにわたし暴行うけてるー!」

「お前がうるせえからだよ少し静かにしろ。お前のボロアパートと違って壁は厚いけどそれにしたって限度があるんだ」

「うちだってそこまで薄くないです-! それにボロじゃないですし!」

「お? ならそのうちお宅訪問させろよ」

「前もって言ってくれたらまあ先輩ならいいですよ……って違う! そんな話じゃなくて!」

「日吉」

「はい!」


 ふいに声の質を低くされ、まるで職場にいる時の様な雰囲気を出されれば即座に従ってしまう己の反応が憎い。話を聞く体勢になってしまったせめてもの反抗にと、晴香は目一杯眉間に皺を寄せてみた。そんな晴香を気にするでもなく、葛城は「お前さ」と口を開く。


「俺となに話したか全く覚えてねえの?」

「……なんか……仕事きつかったですねとか……」

「それは店に入ってすぐ辺りだな。その後は?」


 あと、と懸命に記憶を探る。なにしろ現状を打破するにはそれしかない、ようだ。別に先輩に襲われるのがいやだとかそういのじゃないけどでもわけもわからずそういうことになるのはなんていうか一応乙女心的なのが、と一瞬の内に駆け巡った思考に晴香は愕然とする。


「思い出した……って感じじゃねえなその顔。なんでそんなこの世の終わりみたいな面してんだ」

「いや……いやいやいやちょっと待ってください先輩落ち着きましょう」

「俺は落ち着いている。お前が落ち着け」

「わたしだって落ち着いてますー!」

「酔っ払いと同じだな。そう言うヤツほど落ち着いてない」

「それを言うなら先輩だって!」

「なんだよ俺に襲われるのが別にイヤってわけじゃねえな、ってのに自分で驚きでもしたのか?」

「なんでわかるんですか!?」

「お、マジか」

「あーっ!! 嘘! 嘘です!!」

「いや嘘じゃねえだろ」

「じゃあ間違えた!」

「間違いでもねえっての」

「なんで先輩がわたしの気持ちを」

「だってお前言っただろ」

「なにをですか!?」

「俺にお前の処女くれるって」


 言葉が耳から入って脳に届いて意味を理解するまでたっぷり数えて二十と少し。

 顔どころか全身を朱に染めて晴香はベッドの上で身を捩った。


 全てを思い出した――とはまだ言い切れないけれども。

 とんでもない問題発言をした事だけははっきりと思い出した。



「先輩――処女って面倒くさいんですかね?」


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