土曜日の出来事・1
目覚めると見た事のある天井だった。
あれ? と晴香はゆっくりと体を起こす。外が明るい。どうやらすでに朝を迎えているようだ。
朝……なんで? だって昨日先輩と――
ボフン、と頭から湯気が出る。噛みつく様なキスの後、執拗にそれを繰り返しながら触れられた身体。そこからもたらされた初めての感覚。翻弄されて、訳が分からないまま懸命に葛城に訴えていたが、何を口にしていたのかは正直覚えていない。
うわあああ、と無言で叫びつつ再びベッドに倒れゴロゴロと転がると、そこでようやく隣が無人なのに気が付いた。
「……先輩?」
「起きたか?」
なにやら昨夜のやり取りを繰り返しているような気がしつつ晴香はガバリと起き上がる。
「え、先輩!?」
「どうした?」
これまた同じ。しかし違うのは葛城が昨夜と同じく半裸なのではなく、スーツに着替えてネクタイを締めているという所だ。
先輩がスーツを着ている、と、言うことは? と考えれば即座に浮かぶ答えは「本日仕事」という四文字で、晴香は慌ててベッドから飛び降りた。
「わ、わた、し!」
「落ち着け。今日は土曜日、休みだ」
そんな晴香の額をペシリと叩いて葛城が動きを抑え込む。
「でも先輩それ」
「あー……呼び出しかかった」
「え?」
「二課がやらかした。そのケツ拭い」
「えっ!?」
「今中条が俺を迎えに来てる途中」
「ええええ!!」
厳密な垣根があるわけではないとはいえ、基本その課内で解決するのが通常だ。そこに何故葛城が呼び出されるのか。さらには中条まで。三課のツートップが呼び出されるとは、つまりはそれだけ問題が大きいと言う事かと晴香の顔色も悪くなる。
「なにをやらかしたんですか……?」
「今日の椿のイベントで納品ミス」
「は!? 椿って、椿文行堂の!?」
そう、と頷く葛城の顔には隠そうともしない呆れが浮かんでいる。そりゃそうだ、と晴香も呆れるしかない。
椿文行堂は店舗の規模や数はけして多くはないけれども、その分歴史は古く今年で創業九十九年の老舗文具店だ。来年には三桁にいくという事で、今年から来年にかけて大規模なイベントを計画している。
老舗中の老舗という事で文具業界では知らぬ者はいない。顧客も数多く抱えている上に、十年程前に代替わりした新社長がSNS等のツールを上手く使いこなし若い層にも人気を得ている。で、あるからして、昨今のネットでの炎上やら何やらを鑑みても仕事でのミスはそのまま会社へのダメージに直結する。
「納品ミスって……」
「今日のイベントって二カ所であっただろ」
「支店と本店ですよね? それぞれの店舗独自の記念品を先着配布って」
「それ」
「うわあ」
配布先を間違えて届けるという、凡ミスも凡ミスをやらかしてしまった。
「でもまあそれはちゃんと間に合わせて持って行ったらしい」
「だったら先輩がわざわざ出向かなくても」
「朝からコッチがバタついてたのは椿側にもバレてるからな。あそこの社員は人当たりはいいけど目は厳しいだろ」
「……早い話がご機嫌伺いに行けと?」
「そもそも椿のイベントの話を取ったのは俺と中条だしな」
葛城と中条がメインで引っ張ってきた話を最終的にかっ攫って行ったのは二課だ。なのに失敗した時は躊躇なく二人を巻き込む。二課のプライド、と晴香が思ってしまうのも仕方がない、が、会社としてはそれで済ますわけにはいかないのも事実だ。
「来年の分は当然として、次からのは三課に取り戻してくる」
「ひゅー! 先輩かっこいー!」
つい会社のノリで囃し立ててしまったが、では尚の事自分もゆっくりしているわけにはいかないと晴香は慌てる。
「先輩もう出るんですか?」
「そうだな、中条ももう着く頃か」
「ええと、そしたらわたしも着替えたら後で合流しますね」
「着替えるってなんにだよ」
「なんに、って……え? わたしの服……」
「ねえぞ」
「は?」
「朝イチでクリーニングに出した」
「はあっ!?」
思わず大きな声が出る。愕然となる晴香に対し葛城は平然としたままさらに言葉を続けた。
「下着は洗濯機の中に洗ったのが入ってっから」
「あらったまま」
「乾燥機付きだ」
「高給取りー!」
そりゃお前よりは、と葛城は洗面所の扉を開け姿を消す。真新しいタオルを持ってすぐに戻るとそのまま晴香に放り投げた。
「遅くても夕方には帰るから、それまでにお前は全身舐め回されてもいい様に風呂に入ってろ」
「な……っ!」
突然の暴投に晴香は真っ赤になって固まった。朝から何て事を、というか、その話は昨日の時点で
「終わってるわけねえだろ」
「な、んでですか!」
「お前が寝落ちってくれたからだよ」
仕事終わりで酒の入った状態で、あげくあれだけ羞恥と混乱の中にいたものだからして晴香は見事に意識を失った。
「さあこれからだって時に寝落ちられた俺のあれやこれやが分かるか?」
若干恨めしそうな視線を向けられて晴香の口からは反射的に「すみません」と飛び出る。
「いっそこのまま突っ込んだ方がお前も痛み感じなくて済むかなと思いもしたけど」
「先輩いいいいっ!?」
「さすがにそこまで下衆じゃねえ。てかむしろそんな状態でお前を着替えさせてもナニもしなかった俺を褒めろ」
素直に褒めるには憚られる様な単語が含まれていた気がしつつ、着替え、というさらに気になるワードに晴香は己の姿を見た。着ていたTシャツが、いつの間にかゆったりとした開襟のパジャマの上だけになっている。
「着てたのはお前ので濡れてたから着替えさせたんだよ」
なにに? と首を傾げれば途端に蘇る恥ずかしすぎる記憶。最終的に寝落ちしてしまったが、あれは眠気よりも気疲れの方が原因だ。意識を失うまで晴香を追い込んだのは、葛城が与えた苛烈なまでの快楽で、その火種は晴香ですら触れたことの無い場所だった。
一瞬にして顔だけでなく耳や首までも朱色に染める晴香を、葛城はニヤニヤと楽しそうに見ている。こちらの反応で遊ぶ姿が憎たらしいにも程がある。ぐぬぬと唇を噛み締めながら、晴香は葛城のからかいを無視して別の問いを投げ付けた。
「……昨日も思ったんですけどこれなんで上だけなんですか!?」
「お前のサイズだと別に上だけで足りるだろ。あとは俺の趣味」
即座に打ち返される残念の極みな回答である。晴香はたまらず叫ぶ。
「真顔で残念なこと言わないでくださいよ!」
「なにが残念だ、男のロマンだ浪漫」
「最低だこの人ーっ!」
「好きな女の全裸を目の前にして二回も耐えてんだぞコッチは」
「そ……そもそも先輩が全部脱がせるからなのでは!?」
濡れたり汚れたりしていたわけでもないのだから、下着まで脱がせてしまう必要はなかったはずだ。晴香の渾身の突っ込みに口を開きかけた葛城であるが、胸ポケットの内側に入れた携帯の振動に気付き画面を見る。中条からの到着の知らせだ。
「とりあえず俺はもう出るから、お前は良い子で留守番してろ。冷蔵庫の中は勝手に喰っていいし、足りなきゃ出前でもなんでもしていい。金はソファの所に置いてあるからそれ使え」
「ちょ、先輩!」
「テレビはネット配信も観られるから暇つぶしになるだろ」
「や、やったー?」
「パソコンも使いたきゃ使っていい。特にパスワードとかもかけてねえし」
「え、わたしほんとに留守番なんですか!?」
「その格好で外に出られるなら俺は構わねえけど?」
「とんだ痴女じゃないですか!」
「AVの企画物みたいだよな」
「だからああああ!」
にこやかにネタを振られて晴香は頭を抱える。くっそこの先輩め、と恨みを込めて睨み付けるも効果は悲しいまでにない。
「わたしに留守番させるってことは、部屋中漁って先輩のえっちな本探し出しますからね!」
「残念だったな、俺はそのテのやつは電子派だ」
「……拡大できるからですか?」
「そう」
「あーっっ!! もう! パソコンの履歴漁ってやるーっ!」
晴香の叫びを葛城は「やれるもんならやってみろ」と鼻先で笑い飛ばす。そして逆に晴香に向けて宣告する。
「昨日の続きは夜にするから。それまでに腹を括ってろよ、日吉」
ビシリと固まる晴香を残し、そうして葛城は仕事へ向かった。




