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第4話 《聖印》の巫女と月下の影

夜のセフィルの町は、昼とは打って変わって静かだった。

人の声も途絶え、灯りはまばら。

街の外れにある宿の窓からは、かすかに風に揺れる木々の音だけが聞こえてくる。


黎はその窓辺に座り、月を見上げていた。


二千年前と変わらない夜空。

だが、ここに生きる人々も、町並みも、歴史もすべてが別物になっていた。


(……二千年)


目を閉じれば、かつて共に戦った仲間たちの顔が浮かぶ。


剣士、魔導具使い、拳闘士、そして癒し手。


(……リーネ)


ふと、今のリーネと昔の彼女が重なる。

面差しや立ち居振る舞いは違うはずなのに、なぜかふとした瞬間に“同じ匂い”を感じる。


(記憶や魂の転生――そんな話は信じるつもりはない。けど、もしも……)


考えかけて、黎は自分を笑った。


「何を、未練がましく」


彼は過去を切り捨てたはずだった。

この世界に戻ってきた理由もわからないまま、ただ目の前にあるものを斬るようにして生きている。


それでも、再会してしまったのだ。

かつての面影に、似た存在に。


そしてその夜、黎の元を静かに訪れたのは――


 



「こんな時間に……?」


扉を叩く音がした。


開けると、神殿服の上にマントを羽織ったリーネが立っていた。


「悪い、起こしたか?」


「起きてました。というより……眠れなくて」


彼女の顔には少し疲れがにじんでいた。

昼間の森での出来事が、想像以上に精神にこたえていたのかもしれない。


「入っていい?」


「もちろんです。……その、あまり人に聞かれたくない話があって」


リーネが腰を下ろすと、部屋に静けさが戻る。


彼女は、少しの間ためらってから口を開いた。


「実は、最近神殿の《聖印石》が、少しずつ濁ってきているんです」


「……聖印?」


「神聖属性の結晶で、結界の核になるものです。瘴気や魔族の影響を受けると、色が濁るんですけど……」


「つまり、この街の“聖域”が、侵されつつある?」


「はい。魔族が完全に消滅した今、ありえないはずのことなんです。でも、現実に起きている」


黎は黙って聞いていた。

瘴気と聖印の異変――そして歪んだ森。全てがつながっている。


「……誰かが、意図的に何かをしていると考えた方が自然かもしれない」


「私も、そう思っています」


「他に、この件を知っている者は?」


「高位神官に報告しましたが、“気のせいだ”と取り合ってもらえませんでした。……むしろ、それ以来妙な視線を感じます」


「神殿の中に、敵がいる可能性もあるってことか」


リーネはこくりと頷いた。


「だから……あなたに相談しようと思ったんです。きっと、あなたなら何か知ってるかもしれないって」


「買いかぶりすぎだな」


「そうでしょうか? あなたが黙っていても……私には、わかります。普通の人じゃないって」


黎は軽く目を伏せた。


「……夜風が冷たいな」


話題を変えるようにそうつぶやき、窓を開けた。


そして、次の瞬間だった。


 


――す、と空気が変わる。


「伏せろ!」


黎の声が響いた瞬間、リーネは身をかがめた。


直後、窓を破って何かが飛び込んできた。

それは黒いローブをまとった細身の影。手には短剣が握られている。


「刺客……!」


黎が剣を抜くより早く、相手の刃が彼の喉元を狙う。


だが、その瞬間――空気がひとつ、切り裂かれた。


「遅い」


黎の手の中に、既に《虚ろなる剣》があった。


目にも止まらぬ速さで振るわれたその一撃は、刺客の腕ごと短剣を“断ち切った”。


呻き声と共に倒れ込む影。

血は出ない。というより、そこに“腕がなかったことになった”ように、空間がねじれていた。


「リーネ、下がってろ。こいつは……ただの刺客じゃない」


倒れた者の顔から、ローブのフードがずれる。


現れたのは、異形の顔。

人ではない。――魔族の気配を帯びていた。


「……やっぱりな。魔族の残滓どころじゃない。復活の兆しか」


黎は、剣を静かに振り払った。


そのとき、倒れた刺客の体が突如として黒い瘴気に包まれ、ぐずぐずと崩れていった。


「……自壊」


「そんな……!」


リーネが思わず口元を押さえる。


「情報を渡さないための仕込みか。連中の手口は昔と変わらんな」


「……本当に、何が起きてるんですか? この街に……世界に」


「わからない。ただ、今の一件で確信した」


黎は静かに、けれどはっきりと告げた。


「これは、偶然じゃない。何者かが動いてる」


「……戦い、が始まる?」


「始まりか、再来か。いずれにしても、これはもう“ただの旅”じゃ済まないかもしれないな」


リーネは、そっと彼の横顔を見つめた。


月明かりに照らされたその横顔は、どこか寂しげで、それでいて――強かった。


「もし……この街に、もっと危険が迫るのなら」


「?」


「私も、戦います。癒し手として、できることはあります」


「……無茶はするなよ。癒し手ってのは、本来そういう役目じゃない」


「でも、守りたいものがあるんです。私、この街が好きだから」


その言葉を聞いて、黎は微かに目を細めた。


(昔も、そう言ってたな)


仲間の中にいた一人の少女。

戦いを嫌いながらも、誰よりも前に出て仲間を癒していた少女。


(やはり……お前に、少し似ている)


けれど、名前を口にすることはなかった。


今の彼女は、今を生きる人間だ。過去とは違う。


それでも――彼の中の、何かが少しだけ動き始めていた。

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