第2話 癒し手の少女と黒衣の剣士
朝の光が石畳を照らし、街に再び活気が戻ってくる。
セフィルの町では、昨晩の出来事が話題になっていた。
神殿広場で暴れた魔獣と、それをたった一撃で仕留めた“黒衣の剣士”。
その正体を知る者はいなかった。
ただ、その男が残した一閃と存在感だけが、噂として街中に広がっていた。
「六脚獣が一振りで真っ二つだって?」
「スキル名も言わずに、ただの一撃でよ?」
「いやいや、スキルは使ったらしい。けど、名前も聞こえなかったってよ」
「神殿の巫女がそばで見てたらしいな。なんか知ってんじゃないか?」
そんな声が市場のあちこちから聞こえてくる。
そして、その“巫女”とは他でもない――
「はぁ……またですか」
神殿の庭で、リーネ・フェリステリアは肩を落としていた。
昨晩以来、街の人間が彼女に“剣士の正体”を尋ねに来ては、肩透かしを食らって帰っていく。
「旅の剣士、としか名乗ってもらってませんし……私だって、本当に何も知らないんです」
神官たちの中には、「あの者は神の遣いか」「異端の者ではないのか」と騒ぎ始める者もいる。
だが、リーネはそんな話に与するつもりはなかった。
――剣を握った姿は、恐ろしくもあった。
けれど、あのとき少年を救った背中は、ただの“強者”ではなかった。
「……あの人は、悪い人じゃない」
リーネは、そう感じていた。
◇
一方その頃。
町外れの宿の一室で、黎はパンをかじりながらぼんやりしていた。
「噂、広まってるらしいな。まあ、仕方ないか」
昨晩、宿の主人からも何度も話を振られた。
「お前さん、まさかあの剣士じゃないだろうな?」と。
適当に笑ってごまかしたが、隠し通せるものではないだろう。
(それでも、目立たないようにはする)
もう、誰かの英雄になるつもりはない。
「さて、どうするか」
街を出ることも考えたが、情報収集くらいはしておいた方がいい。
二千年後のこの世界――“イリスティア”が、どうなっているのか。
と、そのとき。
「失礼します。旅の剣士様はいらっしゃいますか?」
扉の向こうから、控えめな声が聞こえた。
「……あんたか。リーネだったな」
「はい。昨晩のお礼をきちんと伝えたくて。迷惑でしたら……」
「いや、別にいい。入ってくれ」
扉が開き、リーネがそっと入ってくる。
彼女の手には、小さな布包みがあった。
「これ、差し入れです。神殿の厨房で焼いたパンと、リンゴのジュレです。保存もききますので」
「気ぃ使わなくていいのに」
「いえ……私、あの場で何もできなかったから。せめてものお礼です」
そう言ってにこりと微笑むリーネに、黎は少しだけ目を細めた。
(礼を言うだけなら、昨晩で終わってるはずだ。……何か、目的がある)
だが、それを口にはしなかった。
「この部屋、狭いが座れる場所はある。そこにでも」
「はい、失礼します」
リーネはおとなしく腰を下ろすと、まっすぐ黎を見つめた。
「……あなた、本当に“ただの旅の剣士”なんですか?」
「そう名乗ったろ」
「ええ。でも、昨日の斬撃は……並のスキルじゃありませんでした」
「好奇心か? それとも、神殿からの命令か?」
「……どちらでもありません。私は、あのとき救われた人間として、あなたに礼を言いたくて来ました」
リーネの声に嘘はなかった。
むしろ――そのまなざしの奥に、ほんの少しだけ“期待”のようなものがにじんでいた。
「あなたは、何のために旅をしているんですか?」
「さあな。目的なんか、今はないよ」
「じゃあ……もしよければ、少しだけこの街にいてくれませんか?」
黎は少しだけ眉を上げた。
「癒し手が、剣士を引き留めるのか」
「この街は、外れの小さな町です。騎士団の数も少なくて、防衛も不安定です。昨日のようなことが、また起こるかもしれません」
「それを俺に何とかしてほしいって?」
「違います。ただ、いてくれるだけでいい。……あなたがいてくれると思うと、それだけで、皆の心が落ち着く気がするから」
「……ずいぶん人を信じるんだな」
「信じてるわけじゃありません。でも、あの一撃を見たら……放っておけないなって思ったんです」
リーネの言葉は、不思議と胸に響いた。
利害や名声ではない。彼女はただ、この町の人たちを想っている。
その素直さに、黎は少しだけかつての仲間の姿を重ねた。
「……しばらくは、この辺りにいるつもりだった」
「本当ですか!?」
「ただし、何かの役に立つつもりはない。ただ、いるだけだ」
「それで十分です!」
リーネはぱっと笑顔になった。
その無邪気な喜び方が、少しだけ眩しかった。
◇
午後、街に再び騒ぎが起きる。
今度は、近くの森で“異形の獣”が目撃されたという情報だった。
街の守備隊が対応に出るが、規模が読めないため、急遽リーネが癒し手として同行することになった。
「……俺も行く」
「えっ?」
「何、暇つぶしだ。あんたが倒れると、面倒だからな」
「ふふ、了解です。旅の剣士さん」
リーネは小さく笑って、礼を言った。
その日、森で出会ったのは、かつて黎が戦った魔族の名残だった。
そして、リーネの中で、ある“仮説”が芽生え始める。
――この人は、いったい何者なのか?