第92話 教団本部
「うっ・・・あああっ!」
足元の段差に躓き、私はついにバランスを崩して地面に倒れこんでしまった。
こんな山奥の村では、夜はあまりにも視界が悪かった。普段ならもっと街灯でもあったのかも知れないが、今は火事の影響か、家々の明かりはほぼない。その代わりあちこちの火が灯りにはなっているが、村の全てを照らしているわけではない。しかも周りは畑が多い。そこに足を踏み入れてしまった私は、疲労も手伝い転倒してしまったのだ。
「ヴヴ・・・アあア・・・」
「オオアア・・・」
そんな私に周囲から、何人かの呻き声が近づいてくる。顔を上げると、少し先の暗闇から意識が朦朧とした状態の患者たちが数人現れてくる。
「クッ・・・!」
私は歯を食いしばり、疲れた体に鞭打って立ち上がる。
何とか、何とかしないと・・・!
私は改めて走り出すと、彼らの手にかからないように注意しながら、その脇を通り過ぎて、さらに村の奥へと向かう。
◆
骸神松子達を治療針で混沌させた時は、まだ余裕があった。だが事態はもっと深刻であることに気づくのに、少し時間がかかってしまった。
骸神松子のような強い力を持った患者がいることよりも、大きな問題があったのだ。
それはこの患者の数だ。
村の奥の林の向こうに何かがあるはず、というジョージの推理はどうやら正しいようだ。なぜなら、その方向からどんどん患者が出てくるからだ。
意識があって私を狙ってくる人も多いが、それよりも意識が朦朧として徘徊するだけの患者の数が増えてくる。村人然とした恰好ではなく妙に小奇麗な恰好をした人が多い。
明確な意思が無いとは言え、多くの者は破壊衝動のようなものがあるらしく、彼らの目に付くと襲われてしまう。
最初は治療針を撃ち込んで治療しつつ昏倒させていた。が、すぐに問題に気づいた。
「薬があと少ししかない・・・!」
私は身に着けたカバンの中の薬の数を改めて確認する。
そう、薬も針も、数には限りがある。だがすでに何十人も細胞異常再生症の患者が出てきているのだ。全ての人の治療をしていたら、あっという間に無くなってしまう。
こんな人数の患者がいるなんて想定外だった。車の中にはもっと薬があるが、倒木に阻まれ、村の反対側にある。とても取りに行く暇はない。
だから、私は今、可能な限り患者さんを避け、逃げて、村の奥へと向かっている。
こうなると私は本当に無力だ。逃げるしかない。
山奥の村で、火事に包まれ、沢山の意識混濁状態の細胞異常再生症の患者が彷徨うその光景は、まさに、パニック映画の一幕のようだ。
(まるで本当にゾ・・・)
心の中で思わずそう呟きかけて、私は慌てて頭を振る。
ニニカさんがいたら嬉々としてそう言っていたかもしれないが、私の信念としてその呼び名は容認できなかった。彼らはあくまで患者なのだ。非科学的なフィクションの怪物の名前などで呼ぶのは失礼だ。
私は気を取り直し、また駆け出す。患者たちを避けながら、しかし患者たちが次々と出てくる村の奥へと近づいていく。
そして短い林の中を抜けた先に、大きな建物があった。
村の中の昔ながらの古い家とは全く違う、コンクリートの綺麗な大きな建物がそこにはあった。
その建物も火事の被害を受けていたようだが、ある程度消火が住んでいるのか、建物自体は今はほぼ火は消えている。村から見えた炎は、その周囲の林に燃え移った物だったようだ。
建物からは相変わらず意識混濁状態の患者が彷徨い出てくる。その中に何人か意識のある患者がいて、村の方へ行くのを押しとどめようとしているが、上手くいかないでいるようだ。
とにかく、意識のある患者や村人に見つかると面倒だ。私は人目を避けながら、建物の中に潜り込んだ。
◆
「いやぁああ!助けて!ゾンビに食べられる!」
「ゾン神様!ゾン神様はどこ!?助けてください!」
「松子様は?竹子様、梅子様も、いらっしゃらないのか!?」
「どうしてゾンビが俺達を襲うんだ!俺達は選ばれた人間じゃなかったのか!?」
「どいてよ!私が先に逃げるのよ!!」
建物の中はさらに大混乱だった。細胞異常再生症にかかっていない人々がまだ沢山いた。ゾン神教とやらの信者達だろうか。逃げ遅れたのか・・・と言っても、患者や火事で危険なので、敢えて中に残っていたのかも知れない。
しかし建物の中も、意識朦朧の患者たちが彷徨い危険な事は変わりなかった。
さらに、指導的立場の人間もいないようだ。完全にパニックになっている。
今いるのは、広い広間だった。集会所のようだ。まだ無事な人々は部屋の中央に集まり、その周りを患者たちが彷徨っている。積極的に襲ってくるわけではなく、時々気まぐれに襲い掛かられているような状態だ。
意を決して逃げ出せばこの部屋からは脱出できそうだが、恐怖とパニックからその踏ん切りがつかない様子だ。
ゾン神教とやらの正体が全く分からないので何とも言えないが、骸神松子達の口ぶりからして、私に友好的ではないことが予想される。だから、彼らにも見つからない方がいいのだろうが・・・。
「いや!いやあああああ!」
その中の一人が、突然狂暴化した患者に噛みつかれそうになっている!
「く・・・!!!」
私は隠れていた物陰から駆け出し、他の患者たちをの脇をすり抜けて近づき、襲い掛かっていた患者に体当たりをする。
相手がよろめいている間に、襲われていた女性の腕を引っ張り無事な人たちの輪の中に引き寄せる。
「大丈夫ですか!?」
もうこうなっては仕方ない。無事な人たちを見捨てるわけにもいかない。みんなの無事を確認しようと声をかける。
だが、彼ら彼女たちは突然現れた私の存在にさらに困惑してしまったようだ。
「だ、誰ですか!あんたは!」
「教団の人!?」
何と説明したものか。一瞬考えあぐねていると、先ほど助けた女性が私に縋りついてきた。
「ねえ!助けて!!助けてよ!なによ、あのゾンビ達!!!」
その言葉をきっかけに、周囲の人たちの感情が爆発する。
「早く助けて!」
「安全な場所へ連れていって!!」
「何が起きてるんだ!!」
「ゾン神様はどうしたの!?」
「ちょ、ちょっと待って・・・・」
私は落ち着かせようとするが、極度の緊張に晒されていた彼らは止まらない。
「何でこんなことになってるんだ!」
「どうしてゾンビが私たちを襲うのよ!」
「ゾンビになれば幸せになれるんじゃなかったのか!!」
「こんな化け物になるなんて聞いてないぞ!!」
「信者だけは助かるんじゃなかったの!?」
「ゾン神様は!?まさか逃げたのか!?」
「アンタたちを信じて!大金を寄進したのに!」
完全にゾン神教とやらの関係者だと思われてしまっている!
最初に私に縋りついてきた女性は、さらに取り乱し涙を流している。
「ねえ!ゾンビになれば助かるんじゃなかったの!?ゾン神様を信じてゾンビになれば、病気も治って長生きできるって!そう言ってたじゃない!!」
「そんな・・・・!」
そんな事を言って、信者を集めていたのか・・・!病気で苦しんでいる人の苦しみにつけこんで・・・!?
「落ち着いてください、私がみんなを・・・」
みんなを助けます、そう言おうとした時、こちらの騒ぎに触発されたのか、周囲の意識混濁状態の患者たちの多くが、私たちの集団に向かって近づいて来た。
「うわぁ!ゾンビが、ゾンビが襲ってきたぞ!!」
「くそ!!お前達のせいだろ!お前が何とかしろよ!!」
ドンッ!!
「えっ・・・!?」
私を取り囲んで詰め寄っていた信者の一人が、私の体を掴み、迫りくる患者たちの方へ突き飛ばした。
患者たちは、目の前にいる私一人に目標を絞ったかのように、集まって来る。
それを見て、逃げるチャンスと見た信者の人たちは、悲鳴を上げながら私を置いて散るように部屋から逃げ出していった。
「ちょ、ちょっと・・・!」
私は思わず声を上げるが、それが助けを求めるためなのか、抗議するためなのか、自分でも分からなかった。
突然の事に頭が働かない。
その一瞬の間に、私は完全に狂暴化した患者たちに囲まれたしまった。
ガシッ!!!
何人かの手が私の体を鷲掴みにする。強化された腕力で掴まれた体が悲鳴を上げる。
「あああ!!」
私は悲鳴を上げながらもニードルガンを構えようとする。だが、その腕も掴まれてしまい、思うように動かせない!!
これでは彼らを治療することは出来ない!!
このままじゃ・・・!!
だが、もがいているうちに、さらに患者は集まって来る。さらに増えた狂暴な手によって、私はどんどん押し込められていく。
そんな、こんな所で・・・・!彼らを救う事も出来ずに・・・!
Dr.アシハラを見つけて、世間に広げられた細胞異常再生症の患者を治せると思って、この村に来たのに・・・!
ジョージ、メアリさん、ニニカさん・・・!
みんなも巻き添えにして、こんな所で・・・!
お母さん・・・・お姉ちゃん・・・・!私は・・・!
痛みのせいか、集中が出来ない。色々な考えが頭名の中を駆け巡る。いけない、この場を切り抜ける方法を考えないといけないのに!
でも、もう意識が・・・・!
・・・ドドドドド・・・・!
意識の端に、聞きなれない音が響いてくる。
気のせいかと思ったが、音は段々と近づいて大きく聞こえてくる。
部屋の扉の向こう、廊下の方から・・・?
痛みに耐えながらかすんだ目で、先ほど信者たちが逃げ出して開け放たれたままになっている扉の方を見る。
次の瞬間そこから人影が飛び込んできて・・・。
「ああああああーーーーー!!!」
ドッシャアアア―――――!!!
現れた人影はそのままこちらに向かって《《吹っ飛んできた》》。
なんで吹っ飛んできたかと言うと、彼女は水に押し飛ばされてきたのだ。
ホースの水を十倍くらいにしたような太い水流と共に吹っ飛んできた彼女は、私を取り囲んでいた患者の集団にそのまま突っ込み、まるでボーリングのように彼らをも吹き飛ばす。
そのおかげで私はようやく解放されたが、吹っ飛んできた彼女に私も激突されてしまった。しかも、彼女を押し出していた水流がそのまま私を襲う。
「えええ!?」
「ぎゃああーーー!」
彼女は酷い悲鳴を上げている。私たち二人は、弾かれた事でようやく水流から逃れることが出来た。私の上に覆いかぶさった状態の彼女は、ようやく私がそこにいることに気づいたようだ。
「あれ、アピリス先生!?」
「・・・ニニカさん、何やってるの!?」
そこにいたのは、まぎれもなくニニカさんだった。骸城村に一人で訪れて、後から来た私たちがずっと探していた。
どんな目に遭っているかと心配していたが、彼女は相変わらずの様子で、街中を散歩している時に偶然知り合いを見かけた、程度のリアクションで私を見ていた。
私たちが次の言葉を思いつく前に、部屋の入り口の所から叫び声が聞こえる。
「うわーーー!!ニニカちゃん!何やっとると!?」
「ニニカさん!ホースの前に立っちゃダメだってあれほど!!」
「ナツさん、水止めて!!」
「あああ~!!あーちゃんさん、手を離しちゃだめですよ!!ああああ~~!!」
バシャアアアアア!!
そこにいたのは、これまた何故かここにいる小南レイ刑事と、見知らぬ博多弁の女性。その二人は消防士が持つような放水ホースを持っており、私たちを襲った水はそこから出ていたようだ。
あーちゃんと呼ばれた女性は、廊下の向こうにいる誰かに水を止めるよう言っているが、未だ水は止まっていない。
水の勢いが強すぎて、ホースは釣り上げられたウナギのように暴れまわる。その力に翻弄されたレイ刑事と女性はついに転んでしまい、自分たちもびしょ濡れになりながら引きずり回される。コントロールを失った激しい水流は部屋の中を縦横無尽に駆け巡り、周囲の狂暴化した患者たちを再び吹き飛ばし・・・・
「うあああああ!!」
「きゃああああ!!」
ついでに私とニニカさんも吹き飛ばした。
水浸しになった部屋の中で、私たちも患者たちも全員地面に倒れ込み、その中をホースだけが元気よく水を吐きながらのたうち回っていた。
・・・・色々言いたいことはあるが、疲れ切った私が口に出せたのは一言だけだった。
「・・・これはひどい」




