第六章 魔法陣をさがそう
翌日から本格的な授業がはじまった。ニックは夢中でノートを取る。夏までは一般教養が主だ。
あっという間に一日がすぎた。放課後はツパイと剣の練習だった。最初は剣になれるためのすぶりだけだ。
ニックは剣をふりながら切り出す。
「ねえツパイ。ぼくはネコのクロの世話もあるんだ。ウィンダミアたちから魔法地区の探検にも誘われてるしさ」
「わかったニック。みなまで言うな。剣のけいこは週に三日くらいにするかい?」
「うん。そうしてくれると助かる」
「ネコか。ネコなら魚だよね。ここミルトムントは島だろ? 魔の海があるから北の浜以外で釣りはできない。みんなそう思ってる。でも北の浜は小魚しかいない。釣っても食べごたえがない。けどねニック。一カ所だけ穴場があるんだ。魔法地区の川に木の桟橋がはり出してる。知ってるかい?」
「ああ。円環校舎めぐりの途中で見たよ。それが?」
「あの桟橋は魔法地区だ。大人は入れない。子どもでもあそこで魚が釣れるのを知ってる者はすくない。あの川はね。海とつながってるんだ。あの桟橋のすぐ南が海だよ。つまり?」
「あの桟橋から魚が釣れる?」
「そう。それも海の大物がね。あそこは川でありながら海水なんだ。外の大荒れの海から避難して来る大物が多い。魔法地区は年齢制限だ。魚で十八歳なんてのはとんでもない大物に育つ。魔法地区に入れない魚はほとんどいないはずさ。釣りに行くのなら竿を貸すよ。エサは湖にいる小エビがおすすめだね」
「なるほど。じゃ貸してくれる? 挑戦してみるよ」
「そうかい。んじゃ次のけいこのときまでに用意しとく」
自称魔王のクロに新鮮な魚を食べさせてやろう。ニックはそう考えた。クロがいらないと言えば自分で食べればいい。本当に大物が釣れたら円環校舎にある魚屋に持ちこむのもありかもしれない。大きな魚は高値で売られていた。学費の足しにできるかも。
魔法学科の授業は退屈だった。呪文を必死でおぼえる。おぼえた呪文をとなえる。しかし何も起きない。鉛筆をヘビにかえる呪文を最初にならった。けど鉛筆はいつまでたっても鉛筆だ。一時間がずっとその調子だった。姿を消す呪文。おぼえてとなえる。姿は消えない。時間のむだだ。そんな気がした。
寮に帰るとクロが待っていた。
「きょうは剣の練習はないんじゃろ? われと魔法地区の探検に行かぬか?」
「ごめん。クロ。ウィンダミアたちと行く約束をしちゃった。ウィンダミアたちもいっしょでいいならクロも行く?」
「われを肩にのせてくれるなら行く。自分であるくと疲れるからのう」
「まあいいけど。ところでクロ。ぼくが学園にいるあいだクロは何をしてるわけ? 寮で寝そべってるの?」
「バカにするでない。人間観察じゃ。そなたが勉強中われは円環校舎をめぐっておる。人間という生き物には興味がつきぬ。こんな小さな島でもドロドロの人間模様はあるぞよ。恋の駆け引き。ねたみ。落胆。われがいまハマっておるのは花屋の娘と武器屋の息子の恋じゃ。これがなかなかでのう。双方の親が対立しておる。花屋は武器屋を乱暴者とののしる。武器屋は花屋を軟弱とののしる。こまったことに花屋の娘は剣のすじがいい。一方で武器屋の息子は気の弱い優しい男じゃ。どちらもひとりっ子で親は跡を継がせたい。人目をしのんでふたりは逢瀬を重ねておる。親にバレれば引き裂かれるであろう。ニック。そなたはこの恋がどう転ぶと思う?」
「あのう。ぼくまだ十五歳で好きな女の子すらいないんだ。そんなのわかるわけないよ。けどうまく行くといいね」
「さよう。では行くかい。探検の旅に」
クロがニックの肩にのる。
ニックは図書館に足をはこぶ。すでにウィンダミアたち五人が来ていた。ウィンダミアとオメガの男ふたり。アリエスとケイトとヒルダの女三人。ブレーデンはいない。呪文をおぼえられなくて居残り中だ。
ウィンダミアが口をとがらせる。腰の斬らずの剣をにぎりながら。
「遅いぞニック。ヨゼフたちに先に行かれちまったじゃねえか」
ニックは頭をさげた。
「ごめん。みんな早いね」
「あったり前だろ。誰かが先に見つけたらどうすんだよ。おれたちも行くぞ」
ウィンダミアが先頭に立つ。
新入生たちはいま魔法地区の探検に夢中だ。グループごとに遺跡を調べている。その様子が円環校舎の窓から見える。一方で女教師のキャスが通達を出したため湖のカップルたちは鳴りをひそめた。
謎かけはこうだ。『腕の指輪は古城に行け。上にはないぞ。下に行け。腹の指輪はイピタスの墓にある。顔の指輪は天国に行け。光にふみ出す勇気があればよい。足の指輪は鉱山にある。爪の指輪は二の三。一の二の三の五の七の八の九。目の指輪はミルトムント三世に聞け。指の指輪は笑いの指輪。七つの指輪で笑うがよい』と。
古城。墓。鉱山。その三カ所が探検の目玉だ。各グループがわれ先に探索をかけている。
「ふふふ」
ニックは肩のクロが笑った気がした。
「どうしたのクロ?」
「なんでもない。あとで教えてやる。先を急ぐのじゃ。くくくくく」
一番に向かったのは古城だ。図書館から山を迂回して城に着く。尖塔が左右に二本建っている。二階建ての城だ。
入口でヨゼフたち七人とすれちがった。ヨゼフたちの全員が舌を出して来る。べーと。ウィンダミアが舌を出し返す。あやうくケンカになるところをアリエスがとめた。
ヨゼフがすてぜりふを吐く。
「中にゃ何もないぞ。クモの巣だらけの廃城だな。そうそうアリエス。そこの呪いのお面女。リーズなんて名前じゃないじゃないか。船の中でおれに一杯食わせただろ?」
アリエスの顔がハッとした。いまごろ蒸し返すわけ? しつこいと言うかバカと言うか。あきれた男ねえ。そんなうんざり顔だ。
「いいえ。ケトリアスのリとスをつなげてリーズなの。わたしはまちがってません。だましてもないわ。ねえリーズ?」
苦しい言いわけだとニックたちは思った。アリエスの負けずぎらいにもあきれると。その論法をつかえばアリエスだってリーズだ。
しかたがなくケイトが首をたてにふる。
「ええ。あたし小さいころはリーズと呼ばれてたわ。アリエスはそのころを思い出したのよね?」
「そ。そうよ。小さいころよくあそんだわよねえリーズ」
当のアリエスがうろたえつつ返事をした。うそをうそでかためると自爆するぞ。そうニックは思う。
ヨゼフが肩をすくめる。アリエスを言いまかすのはあきらめた。代わりに別の案を思いついた。そんな顔をしている。
「そういや中の大広間に魔法陣があったな。でもうんともすんとも言わない。呪いのお面女のほうが魔法陣みたいな顔だ。そのお面女の顔に数字を書きこめばどうだいアリエス? ちょうど七段のしま模様だ。七つの魔法陣が完成するぞ。けひひひひ」
ケイトがうつむいた。
やりこめたと得心したヨゼフたちが背中を向ける。意気揚々と。
ヒルダがヨゼフのうしろ姿に駆け寄った。
「ヨゼフちゃんいい人ね。とっても大好き。キスしてあげたいわ」
ヒルダが守らずのコテのついた右こぶしをかためた。ヨゼフの後頭部をガンとなぐる。一撃離脱。ヒルダが身をひるがえした。
ヨゼフがふり向いた。こぶしをふりあげる。
「コンチクショウ! なんてことをするんだ!」
ヒルダがニックたち全員の手を引く。城の中に逃げこむ。ヨゼフたちが追って来た。
城の一階に入ると正面に階段があった。階段は上にだけ向かう。地下室はないらしい。階段をのぼり切った踊り場から階段が左右にわかれる。踊り場に石作りの像が立っていた。客をむかえるよう左右に二体だ。
ニックたちは踊り場に到達した。ヨゼフたちがすぐ下までせまる。階段は上にしか行かない。右にのぼっても左にのぼっても二階で行き止まりだ。すぐに追いつめられる。ケンカになるのはまちがいない。
ふいにヒルダが回れ右をした。踊り場の石像に体あたりをかける。石像がゆれた。階段の下に倒れはじめる。ヨゼフたちがあわてて階段を引き返す。
「うわあっ! に! 逃げろっ!」
あとを追うように石像がドンガラガッシャン。石像は粉々にくだけた。階段をガレキがザーッと流れ落ちる。城の外からヨゼフの声が聞こえた。
「コンチクショウ! おぼえてろよぉ! かならず仕返しをしてやるぞぉ!」
声が遠ざかって行く。いますぐ仕返しには来ないらしい。
アリエスがホッと息をついた。ヒルダの頭をなでる。
ウィンダミアがヒルダに顔を向けた。
「なんてむちゃをするんだ。石像をこわしたりして。おこられるぞ」
ヒルダがウィンダミアをにらむ。助けてやってその態度はなによ。そんな目だ。
「あたしがこわしたんじゃないの。ヨゼフちゃんの足はこびが乱暴だっただけ。石像はこわれたがってたのよ。だから自分でよろけた」
ウィンダミアが首をかしげた。ヒルダは事実と正反対を言っている。なのにすじがとおっている気がする。ヒルダの相手は調子がくるっていけない。
「まあいいか。友だちのために戦う。これを友情と言う。ヒルダはひねくれ者だがいいやつだ」
オメガとケイトが顔を見合わせた。ニコッと笑う。ケンカにならなくてよかった。そんな顔で階段をのぼりはじめる。
ニックもあとにつづく。全員で二階を探索した。ヨゼフの言葉どおりクモの巣ばかり。しかし謎かけは言う。上にはないぞ下に行けと。
一階におりた。階段の裏に大広間があった。石の床に四角の魔法陣が彫りこまれている。
ウィンダミアが魔法陣のふちに立つ。腰の斬らずの剣に手がかかっている。緊張したときのくせらしい。お守りをにぎりしめるのと同じだろう。
「これが七つの魔法陣か?」
マス目は九つ。上の列の左から八と一と六。中段は左から三と五と七。下段に左から四と九と二。たてよこななめ。どう足しても十五になる。最もありふれた魔法陣だ。
アリエスが魔法陣の中心をつつく。
「どうやってこれをひらくわけ? この下に地下への階段が?」
全員でいろいろためしてみた。しかし魔法陣は何の反応も返さない。ニックは肩にのるクロに訊いてみた。けどクロも首を横にふるのみ。
大広間の魔法陣をあきらめた。全員で地下への階段を探す。だがどこにもない。
オメガが廊下の突きあたりの壁をコンコンとこぶしでたたく。
「秘密通路の入口ってないかな?」
しかし音は壁全体で同じだ。空白がある感じはしない。
一階は平面だけ。くぼんでいるところもない。台所跡。武器庫跡。大広間。それだけ。居住区すらない。博物館のようだ。五百年前すでに城の役目をしていなかったらしい。
玄関の両わきに作られたふたつの尖塔を最後にのぼってみた。らせん階段をのぼりつめる。見はり部屋に出た。せまい。しかし南が一望できる。湖。川。桟橋。円環校舎。円環校舎のない時代はきっと海が見えたはずだ。川の東には円形劇場や灯台。湖の西に滝と教会と墓地。それぞれが見える。ここは物見の塔らしい。展望室以外に部屋はない。地下室もなかった。
尖塔は城の左右にふたつ建つ。しかし中身はいっしょだ。見える景色も構造も同じ。左右にふたつすえたのはデザインの都合らしい。ひとつあれば充分だ。でも見た目が悪いと考えたのだろう。まったく同じ塔がふたつでがっかり。そんな顔で全員がらせん階段をおりる。
城の出口を前にヒルダが声をあげた。
「ここに魔法陣はなかったわ。肖像画はあったのに」
ヒルダ以外の五人が顔を見合わせる。アリエスが思いあたった。
「魔法陣はひとつあった。けど肖像画はない? たしか船長が言ってたわね。ひいじいさんから聞いたって。この城の中に絵ばかりかざられた部屋がある。肖像画のひとつにとてつもない美少年が描かれてると。けどそんな絵はなかったわ。美少年どころか絵なんか一枚もなかった。どういうことかしら?」
みんなで考える。でもわからない。ウィンダミアが肩をすくめた。
「船長がおれたちをからかったんだよ。きっとそうだ。あの船長。いたずら好きそうな顔をしてたぜ」
ニックはそう思えなかった。しかし現実に絵ばかりの部屋はない。
腑に落ちないまま六人と一匹は城の外に出た。城の正面には円形の噴水跡がある。かつては滝の水を引きこんで噴きあげさせていたようだ。いまはカラカラ。干あがっている。丸い池の跡が残るだけ。
それにくらべると植えこみは不思議だ。手入れがいまも万全に見える。青々と葉がしげっていた。きれいな角形に刈りこまれた生け垣が通路をあけている。円環校舎から見たときは迷路に見えた。けど近くで見ると入口しか見えない。中にふみこむと迷うのではないか?
植えこみの入口には立て札が立っている。入口のひとつずつに番号がふられていた。正方形の迷路の一辺に三つずつ入口があるらしい。噴水跡から進んだ正面は一と二と三だ。
仮面のケイトが手をあげた。
「これって迷路よね? 入口は十二あるみたいよ。誰が一番にまん中にたどり着くか競争しない? たしかまん中にハート印の花壇があったわ。六人で入口が十二よ。いっせいに奇数の番号に入らない?」
ウィンダミアがいやな顔をした。迷路は謎かけに登場しない。先に鉱山か墓に行こうぜ。そんな顔をしている。しかしオメガがウィンダミアを押しのけた。
「ぼく賛成。一番になった人の晩ご飯代をみんなで出すってのはどう?」
「それっていいわね」
アリエスがニックを見た。あなたが一番になるのよ。ニックはそうハッパをかけられた気がする。
ウィンダミアもしぶしぶうなずいた。くじで入口を決める。ニックは五番入口だ。
「よーい。スタート!」
ウィンダミアのかけ声でニックは迷路に駆けこむ。クロを肩に。
すぐにふたまたがあらわれた。ニックは右をえらぶ。ふみこんですぐクロが鳴いた。
「ふふふ。こちらではない。この道ははずれじゃ。引き返せ」
ニックは足をとめた。肩のクロを見る。
「なんでそう言えるのさ?」
「われはこの迷路に何度も来た。道はすべて知っておる。われは五百年この世界に生きておるのじゃぞ。知らぬことのほうがすくない」
「あのうクロ。ぼくがまちがえたら道を教えてくれるつもり? それってズルじゃない?」
「何を言うか。そなたはあの中で一番の貧乏人ではないか。夕飯をおごってもらうと助かるであろう? それにわれはズルはきらいじゃ。そなたがまちがえたときだけ口をはさむにすぎん。人間のすることに口出しするのは本意ではない。さ。はよう行け。一番を取らねば晩飯がまずしくなってしまう」
「本音はそれかよ。自分がいいものを食べたいだけだな?」
「貧乏なそなたが悪いのじゃ。われの口を封じたければうまいものを食わせろ。さあさあ。さっさと走るがよいぞ。われは高見の見物である」
「勝手なやつ」
ニックは走った。ふたまた道を進んでは引き返しつつ。まちがった道を選ぶとクロが口を出すせいで一番に迷路をぬけた。中心部の広場にはまだ誰もいない。ニックはベンチに腰をおろす。
すぐに息を切らせたアリエスがあらわれた。動かずの胸あてを手で押さえながら。
「あちゃ。てっきり一番だと思ったのに。ニックって足が速いの?」
アリエスがニックのとなりにすわる。ふたりでみんなを待った。しかし誰も来ない。案外まよっているらしい。ときおり植えこみの中から声が聞こえる。
「やーん。なんでぇ」
「どうなってるんだよぉ?」
「右は左よ。左は右なの。だから下は上よね。上に行けばきっと出口があるわ」
「おかしいなあ。ここをこう来てこうだろ? どうして行きどまるんだろ?」
アリエスがニックをつつく。
「最初のはケイトね。次がウィンダミア」
ニックはアリエスにうなずく。
「わけのわからないことを言ってるのはヒルダだ。最後のがオメガだね」
ふたりでクククと笑う。四人の声は近づくどころか遠ざかって行く。
「まだしばらく来ないみたいね」
手持ちぶさたにアリエスとニックは顔を合わした。ふたりっきりだ。どちらともなく顔をそむける。
ハート形の花壇に白や赤の花が咲いている。手前にはチューリップの茎がのびていた。もうすぐ咲くらしい。つぼみがふくらみかけだ。花壇の中心の敷石に魔法陣がきざまれている。城の大広間にあったのと同じ九マスの単純な魔法陣だ。
ニックは腰を浮かせかけた。
「あの魔法陣。ためしてみる?」
アリエスがニックをとめる。
「ううん。みんながそろうまで待ちましょう。もし入口がひらいたらみんなからおこられるわ」
「なるほど」
ニックは腰を落ちつけた。待つ。しかし誰もあらわれない。退屈だ。
そのうち花壇を見つめていたアリエスが深いため息を吐いた。眉間のしわが深刻げ。
「どうしたのアリエス? なやみごと?」
「なやみと言えばなやみだわ。知り合いのお母さんが人殺しのうたがいをかけられてるの。わたしはね。アストラル王国のお姫さまの侍女だったわけ。しばらく前わたしたちはラテマグナ大公国に行ったの。ラテマグナ大公国のラテマグナ大公が新しい奥さんをもらうってんで結婚式に呼ばれたのよ。ラテマグナ大公はすでに奥さんがいるんだけどね。ラテマグナ大公国は奥さんをふたりまでゆるされてる国なの。ラテマグナ大公の正妻のデオドラって人がアストラル王国の王妃さまの遠縁でさ。その縁でわたしたちはデオドラ邸に滞在したわ」
アリエスがニックを見た。ニックの目の焦点が遠ざかっている。
「ごめんニック。退屈だった? ぼうぜんって顔をしてるわね? もうやめようか?」
「えっ。う。ううん。つづけて。ぼく聞きたいな」
ラテマグナ大公国はニックの国だ。ラテマグナ大公が二番目にもらう新しい奥さん。それがニックの母のメアリだった。父はラテマグナ大公国の先王だ。父の死因に疑問はない。しかし母は黒服たちに殺された。ニックの心臓が速まる。アリエスは母が殺された理由を知っているのだろうか? 知っているのならぜひ聞きたい。
「ニックがいくら田舎者でもこの世界の地理は知ってるわよね? この世界は右が欠けた三日月状に大陸がならんでるわ。三日月の欠けた部分と各大陸間は海よ。三日月の北の先端に浮かぶはなれ小島がこのミルトムントね。ミルトムントから三日月の南端のあいだは深い海が広がってる。いまの技術じゃ深い海をわたる船は作れない。大陸は六つでそれぞれが王国になってる。北からアストラル王国。ワインランド王国。ローズキエ王国。ルガノ王国。ラテマグナ大公国。リングラスト王国。各国間を移動する方法は知ってるわよねニック?」
「いちおうね。ふたつあるでしょ? 船で沿岸沿いに航行する。または陸路を馬車で移動して海峡だけ船でわたる」
「そう正解よ。船旅のほうが時間がかかるわ。優雅だけどね。ミルトムントは小さな島の学園都市。わたしのアストラル王国は山岳国家で燃料大国。すぐ南のワインランド王国は穀物大国。そのワインランド王国は平原の国でこの世界で最もゆたかだわ。ワインランド王国の南はローズキエ王国。花と果物の大国と呼ばれてるの。その南が昔リングリン大陸と呼ばれてたところ。いまは大陸が三つ。国も三つ。一番北西のルガノ王国は宗教大国。岩と渓谷が多い。旧リングリン大陸の中央がラテマグナ大公国。軍事国家で山や大河を持つ雄大な国よ。南東のはしがリングラスト王国。軍事大国で砂漠と草原の国。肉の一大生産国だわ。三日月の一番下ね。わたしたちは船でラテマグナ大公国に行ったの。ラテマグナ大公国はいまリングラスト王国と戦争中でさ。ねえニックその話は知ってる?」
「あ。うん。でもどうして戦争になったのかは知らない」
「ふむふむ。では説明してあげちゃおう。ルガノ王国。ラテマグナ大公国。リングラスト王国。その三つは五百年前ひとつの大陸だったの。国もひとつだったわけ。魔法大戦争でまず大陸がふたつにわれた。魔法大戦争後リングリン王国には三人の王子が生まれたの。お兄さんができた人で弟ふたりにゆたかな北西の大陸をゆずったわけ。長兄の彼は当時はまずしい砂漠と草原のリングラスト王国を自分の国とした。南東のはしね。次に地震でゆたかな大陸はさらにふたつにわれた。国をどう相続するか次男と三男で協議をしたの。その結果。次男はゆたかだけどすくない領土しかない旧大陸の中央を。三男は岩と渓谷だけど広い領土の北西部分を取った。次男の国がラテマグナ大公国。いまのこの世界では最も小さな国ね」
「三男の国がルガノ王国?」
「そうよ。それからときがゆっくりとすぎて人の心はかわった。ラテマグナ大公国に大商人があらわれてさ。リングラスト王国やルガノ王国より金持ちになったわけ。リングラスト王国はそれがおもしろくない。もともとはひとつの国だと思ってるからね。ルガノ王国は宗教がぜいたくをいましめてるから不満はないみたい。リングラスト王国とラテマグナ大公国はこの二百年間小競り合いをくり返して来たの。ラテマグナ大公国の先王ハイド・ラテマグナって人がすばらしい王でさ。国内はみごとに治める。戦いは常勝って人だったわけよ。ところがそのハイドが二年前に死んだ。奥さんと息子の三人であそんでる最中に崖から転落してね。跡を継いだのは弟のライル・ラテマグナ。いまのラテマグナ大公よ。問題はこの人にあってさ。できすぎた兄を持った悲劇と言うか。兄コンプレックスなわけ」
ハイド・ラテマグナがニックの父だ。ニックにはほがらかな男という印象しかない。お調子者で母といつもふざけていた。ある日。風が飛ばした母の帽子をつかみそこねて崖から転落死した。父らしい最期だとニックは思った。だが王としてのハイドは別の顔を持っていたのだろう。ニックは家族としての顔しか知らない。ニックは当時十三歳だ。国政はわからない。叔父である現ラテマグナ大公のライルとは年に二度の公式行事でしか顔を合わす機会がなかった。ほぼ他人と言っていい。叔父ライルはどちらかと言えば暗い男だ。子ども好きでもなさそう。
「兄コンプレックス?」
「そう。兄のハイドにどうしてもかなわない。兄といつも比較される。兄を越えたい。兄が持ってたものをすべて手に入れたい。そんなふうにねがってるみたい。そのライルが第二の妻にほしがったのが兄の妻だった人なの。兄ハイドの妻。つまり前王妃のメアリなわけ。メアリにはニルスって現在十五歳の息子がいてね。もしそのニルスが二十歳を超えていればニルスがラテマグナ大公国の王になってたはずなの。ライルの正妻のデオドラには女の子しかいない。しかも現在十四歳。修道院で花嫁修行中って聞いたわ。もしメアリがライルの第二夫人になれば次期王にはニルスが就く。ニルスがデオドラの娘より年上だからね。現王のライルとしては兄の息子を王にしたい。けど正妻のデオドラはおもしろくない。せっかくたなぼたで夫が王になった。娘が次のラテマグナ大公だ。そう思ってる。さらにね。デオドラは王族の出なの。一方のメアリは居酒屋の娘。下賤の出のメアリの息子に王位をうばわれてなるものか。そんな怨念がデオドラ邸に滞在してるわたしたちにひしひしと来るわけ。屋敷中がピリピリしてたわ。その複雑な空気の中で事件が起きたの」
「事件?」
「ええ。王宮の中でメアリが殺されたのよ。結婚式の一週間前に。その場にいたわたしの母が犯人だとして逮捕された」
「アリエスのお母さんが?」
「あっ。いえ。わたしの主人であるお姫さまのお母さまがね。お姫さまのお母さまはデオドラと遠い遠い親戚でしょ? 正妻の座をうばわれるとデオドラがかわいそうとメアリを殺した。そううたがいをかけられたの。メアリが刺し殺された場にたまたま通りかかったしね。メアリが殺されてるって助けを呼んだのが母。いえお姫さまのお母さまだったの。でも母。いえお姫さまのお母さまは殺してないわ」
「どうして? 何か証拠があるの?」
ニックはドキドキしながら訊く。母のメアリがなぜ殺されたのかニックはわからない。アリエスがそれを知っているかもしれない。
「残念ながら証拠はないわ。あればとっくに母。いえお姫さまのお母さまの無実をはらしてる。あとでわかったことがひとつあるのよ。メアリが殺されたその直前にラテマグナ大公国の国宝が盗まれたらしいの。王宮から国宝がね。わたしが思うに泥棒が国宝を盗んだのよ。泥棒は逃走中メアリに見つかった。それでメアリを殺したの。そのときメアリといっしょにいたはずのニルスもそのまま行方不明。わたしはニルスを探させたわ。ニルスの証言があれば母。いえお姫さまのお母さまが無実だと証明できるもの。でもニルスは見つからなかった。どこに消えたのかいまもわからない。そのあとわたしと母。いえお姫さまとそのお母さま一行はアストラル王国に送り返された。デオドラの口ぞえもあって罪は問われなかったの。でもラテマグナ大公国には永遠に入国禁止よ。アストラル王国とラテマグナ大公国の関係もぎくしゃくしはじめたわ」
「犯人はわからない。そういうわけだね。じゃその国宝って何? どんなもの?」
「それがさ。教えてくれないのよ。罪人に国の内情を話すわけにはいきませんってさ。ケチよねえ。わたしが思うにはさ。きっとキンキラキンの冠よ。成金趣味の。宝石だらけで光りかがやいてるんだわ。だからはずかしくって教えられない。わたしたちはアストラル王国に無事にもどれたけどさ。無罪放免じゃないの。王妃だから送り返されただけ。だからわたしは母。いえお姫さまのお母さまの無罪を証明したい。ミルトムントに来たのはそのため。過去を見る水晶玉でもないかと思ってね。それがだめなら究極の大魔法を手に入れてラテマグナ大公国をぶっつぶしてやる」
アリエスがこぶしをかためた。
クロがニックの耳元でささやく。
「危険な女じゃ。こういう女と結婚すると苦労がたえないぞニック」
「いや。ぼくが結婚するんじゃないって」
アリエスがニックとクロをにらんだ。
「とにかくね。国宝を持ってるやつがメアリを殺したのよ。ラテマグナ大公国の国宝が見つかるかニルスが見つかれば母。いえお姫さまのお母さまの無実は立証できる。けどいまはまだどちらも見つかってないわ。戦争中のラテマグナ大公国は母。いえお姫さまのお母さまが殺人犯で解決に落ちつけたいみたいだし」
「ふうん」
ニックは思案をした。ニックの母のメアリは黒装束の男たちに襲われた。アストラル王国の王妃さまが殺したのではない。それはたしかだ。しかし証明はできるか? ニックは一部始終を目撃した。けどそのまま黒装束に追われて祖父のムスタキの手引きで王宮を逃げ出した。いまでもミルトムントを出れば刺客が襲って来るはず。あの黒装束たちは泥棒だったのか? ニックは名前をかえて逃亡をつづけた。いまここでアリエスに真相を打ち明ける。でもアリエスが信じてくれるだろうか? みすぼらしい貧乏人のニックが実はラテマグナ大公国の先王の息子だと? さらに盗まれた国宝はどこにある? ニックはそんなキンキラキンの冠など持っていない。
ニックは肩を落とす。アリエスに信じろと言うほうがむりだ。ニックはひらきかけた口をとじた。
アリエスがのびをした。
「あーあ。ニルスって子に会ってみたかったなあ。わたしさ。十年前にもラテマグナ大公国に行ったことがあるの。そのとき五歳の男の子とあそんだわ。王宮の花壇でね。ちょうどチューリップが咲きほこってた。男の子は粗末な服を着てたわ。宮廷の使用人の子だと思った。けど服の手入れは行き届いてた。きっとお母さんができた人だったのね。その子と結婚の約束をしたんだけどさ。名前も聞かなかった。可愛い男の子だったのよねえ。いま十五歳になってるはず。ニルスって子と同い年。もしその子がニルスだったら。そんなあわい期待を抱いてたのよ。うまく行けば玉のコシ。なんてね。いやあ。初恋の男の子がどうなってるか興味があったのよねえ。けど殺人騒ぎで男の子を捜すひまはなし。まあ十年がたってるからさ。会ってもわからないかもね。わたしなんかすっかり女の体型になってるし」
アリエスがニックのえりに目をとめた。左右がゆがんでいる。アリエスが手をのばす。ニックのえりをととのえた。
ニックはふとなつかしさに駆られた。昔もこんなことがあった気がする。十年前にあそんだ三つ年上の女の子は世話好きだった。
そのときベンチのうしろで身じろぐ気配がした。ニックとアリエスはふり返る。いつの間に来たのかウィンダミアたち四人がしゃがんでいた。
アリエスがいきり立つ。
「何よ! 来たなら来たと言いなさい! 盗み聞きなんて卑劣だわ!」
ウィンダミアが頭をかく。
「いやあ。いい雰囲気だったからさ。邪魔をしちゃ悪いと思ってね。それに興味深い話だったしな。ニック。今回の戦争をしかけたのはリングラスト王国だ。常勝将軍のハイドが死んでこれを機にと大攻勢をかけた。リングラスト王国はこの世界最大の軍事国家だ。ただしだ。すぐれた指導者がいない。軍の強さだけで言えばリングラスト王国は強い。最初ラテマグナ大公国は劣勢だった。けどある日をさかいに一転した。いまはラテマグナ大公国がリングラスト王国を併合すると見られてる」
ニックは気にかかる点を問いただしてみる。逃げ出したとはいえラテマグナ大公国は母国だ。戦況は気になる。
「ある日って?」
「あくまでうわさだけどな。ラテマグナ大公国にすご腕の軍師がついたらしい。子どもくらいの背たけで黒いローブを頭からかぶった男だそうだ。そいつが最前線で指揮を取った。たちまちリングラスト軍は総くずれだ。ラテマグナ大公国の圧倒的な優勢にかわったとよ。噂じゃ軍師は人間じゃないって話だ。ラテマグナ大公国のライル大公はすご腕じゃない。しかしその軍師をえたことでこの世界の統一を視野に入れたという。先王のハイド大公ができなかった偉業を達成するために」
考え顔のオメガが黒ぶちメガネを指で直す。
「そうなんだよな。ぼくのルガノ王国はもともとラテマグナ大公国とひとつだった。ラテマグナ大公国が勝てば王国の統一を目ざしてルガノ王国も攻めるはず。ルガノ王国は戦いに慣れてない。簡単に攻め落とされそうなんだ」
ケイトが自身の仮面のひたいをたたく。
「となると次はローズキエ王国ね。うちも戦争は強くないわ。ラテマグナ大公国が攻めて来たらどうするのかしら?」
ウィンダミアが胸を張った。
「心配いらねえよ。おれのワインランド王国が守ってやるって。ワインランド王国はこの世界一の大国だ。軍隊の規模もでかい。ラテマグナ大公国は小国だ。ルガノ王国とローズキエ王国はワインランド王国のお得意さまだからな。ワインランド王国が守ってやる。星占いで未来を決めるアストラル王国はたよりにならねえけどよ」
アリエスがひたいに青すじを浮かせた。
「なんて失礼な。ワインランド王国の王さまはニンジンすら切れない剣を腰にさしてるって噂よ。そんな国にラテマグナ大公国がたたけるはずはないわ。この世界の平和を守るのはアストラル王国です」
「ふん。アストラル王国の王女はスチャラカな女らしいぜ。胸だけでかくて頭は空っぽ。いつもずっこけてるって話だ」
「まあ! どこのどいつがそんなうわさをまいてるのよ! アストラル王国の王女はとーってもおしとやかな淑女です! この世界で一番の美女よ!」
アリエスとウィンダミアがにらみ合う。
オメガがウィンダミアのわき腹をつついた。
「論点がずれてるよウィンダミア。アストラル王国の王女をけなしてどうするのさ? アストラル王国の王さまの悪口を言うのがすじじゃない?」
「おれはオッサンはきらいだ。オッサンの情報なんかこれっぽっちも持たねえ。けどスチャラカ王女の父親ならスカポンタン王だろうぜ」
アリエスが顔全体をまっ赤にそめた。ひたいの血管がいまにも破裂しそうだ。
「スカポンタン王ですって! なんてことを言うのかしら! このごくつぶしの尻軽男が!」
アリエスがウィンダミアにつかみかかった。爪でウィンダミアの顔を狙う。ウィンダミアがアリエスの両手をつかんで防御した。ニックはわって入る。
「まあまあふたりとも」
オメガとケイトがアリエスたちをうしろから引きはがす。どさくさまぎれにヒルダがウィンダミアの尻を蹴る。ウィンダミアがヒルダに顔を向けた。
ニックは強引にウィンダミアのほほを両手ではさむ。ウィンダミアの顔を花壇にねじまげた。
「ウィンダミア。あのハート形の花壇の中心にも魔法陣があるよ。あれもためしてみない?」
ウィンダミアの注意が花壇にそれる。ヒルダが一番に花壇にふみこんだ。
「えい!」
ヒルダが魔法陣をふんづけた。思い切り。けど石の魔法陣はびくともしない。
その後もいろいろとためしてみた。しかし魔法陣はまったく反応をしない。
そうこうするうちに日暮れがせまった。全員が肩を落とす。帰路につく。
途中でクロが笑いだした。
「ふふふ」
「何を笑ってるんだよクロ?」
「五百年も見つからん魔法陣じゃぞ。そんな簡単に見つかるはずがなかろう。くくくくく」
あっ。ニックは思い出した。
「最初に笑ってたのはそれか?」
「さよう。新入生はみんなためみることじゃ。そなたたちだけが見つけられぬのではない。がっかりするな」
だが六人とも足取りが重い。寮に集まる新入生たちも全員ががっかりした顔をかくせない。いちにち足を棒にしてまるで収穫なし。そんな顔ばかり。ヨゼフたちの姿はない。けどヨゼフたちもきっと発見できなかったに決まっている。
寮の部屋の隅でニックは肩のクロをにらみつけた。
「じゃぼくのきょう一日はむだ? おいクロ。きみ。最初から知ってたな? ぼくらの探索がむだに終わると」
「知っていると言えばそうじゃろう。われは五百年この世界を見て来た。この魔法地区もなじみ深い。そなたの先輩たちがどんなことをためしたかも知っておる。そして七つの魔法陣のひとつとして見つかっておらんのもな。しかしのうニックよ。そなたたちが発見できぬとは知らぬ。幾百の先輩とちがってそなたたちが発見するかもしれぬではないか。われの予想として簡単に発見できぬと思っただけじゃ。われは予言者ではない。未来を知る魔法はつかえぬ」
「なるほど。じゃ先輩たちがどんなことをためしたか教えてくれる?」
「いやじゃ。そんなズルはこのまぬ。自分たちでためすがよい。もっとも。そなたたちのしたこととほとんど同じじゃよ」
「じゃぼくらのやってることはまるでむだ?」
「そうでもなかろう。きょうはわれのおかげで晩飯代が浮いた。アリエスにえりも直してもらえた。まるっきりむだではなかったろうさ。それにまだ一日目であるぞ。最初からむだと決めては見つかるものも見つからぬ。あきらめずに探すことじゃ。見つかるとは思えぬがのう。ふふふふふ」
「きみって人の悪いネコだねえ。あのさひとつ聞いておきたいんだけど。きみ。七つの魔法陣のあけ方をもう知ってるわけ? 知ってて知らん顔をしてるの?」
「バカを言う。われが知っておればネコの姿でおるものか。究極の魔法でとっくに元の姿にもどっておる。もしくは世界中の美少年を集めて美少年の城を築いておるわ。ふはははは。われも七つの魔法陣についてはまるでわからぬ。そなたが見つけてわれの封印をといてくれるとありがたいんじゃがのう」
ニックは思った。見つけたってきみの封印はとかないよーだと。