第四章 ミルトムント魔法学園に入学する
船に半日ゆられてミルトムント島に着いた。船は島の北に停泊した。船長が子どもたち全員を甲板にあげる。前方の砂浜が紫色に見えた。
「あれがミルトムントじゃ。浜が紫じゃろう? ミルトムントは紫の島という意味じゃよ。さあ気をつけて行くがいい。魔法学園の係官がむかえに来とるはず」
砂浜に作られた桟橋から大人たちが上陸をする。ヨゼフたちがわれ先におりた。ニックたちはどん尻だ。
ニックたちの先頭に立つアリエスが桟橋の途中で足をとめた。海を見おろして声をあげる。
「わあきれい。この砂。紫に光ってる」
ニックも浜を見おろす。白い砂に混じって紫の粒が波に洗われている。透明な海水にキラキラと淡い紫がゆらめく。その上を小魚の群れが波打ちぎわに駆けて行った。春の海は平和だ。船長はこの浜以外は魔の海だと言った。けどこの浜を見ているかぎりでは信じられない。本当に魔の海なのだろうか?
ニックは顔をあげた。丸みをおびた建物が島の前面に立ちはだかっている。ウィンダミアが説明をした円環校舎だろう。円環校舎の向こうに山や森が見える。旧時代のすすけた校舎もだ。あれが五百年前の魔法学校だろう。山のはしから教会のてっぺんだけがのぞけた。教会は山の南斜面に建てられているらしい。ここからでは教会の本体は見えない。謎かけにあったイピタスの墓も教会の墓地にあるのかもしれない。
円環校舎はところどころアーチ型の通路が口をあけていた。建物の下のアーチをくぐって島の中心部にある魔法地区に入るようだ。こちらからは見えないが城もあるはず。きっとわくわくする冒険が待っている。ニックは胸をおどらせた。子どもたち全員がそうらしく足どりが軽い。
桟橋をおりたところに旗を持つ女の人が立っていた。旗にはミルトムント魔法学園と書かれている。二十五歳くらいの女性だ。胸に名札が見えた。キャス・キャサリン。二十五歳。魔法学科専任教諭。そう読めた。
キャスの横にチョビヒゲのおじさんがひかえている。ニックは用務員のおじさんかなと思った。しかし胸の名札には学園長とあった。モートン・モリアーティ四十歳。魔法学園学園長と。学園長よりキャスのほうがいばっているように見える。
キャスが子どもたちに呼びかけた。
「ミルトムント魔法学園入学希望者はここに集合よ! さっさと整列する!」
みんながいっせいにキャスの旗に集まる。ツパイがニックのそでを引いた。
「ボクは銀行に行く。かせいだおカネをあずけるんだ。ニック。放課後に魔法地区の図書館で会おう。剣を教えてやるよ」
「えっ? ツパイは入学希望者じゃないの?」
「ボクは新入生じゃない。ボクの剣の腕を見ただろ? すでに師範級なんだ。ボクの歳はニックとかわらない。けど大先輩だぜ。まあタメでつき合おうよね。じゃまた放課後」
「う。うん」
ツパイが円環校舎に消えた。しょぼんとしたニックの肩をウィンダミアが引きよせる。
「気を落とすなよニック。おれがついてる。ミニスカートの女の子じゃねえけどよ」
ヒルダがウィンダミアを押しのける。ニックに抱きついた。
「あたしはミニスカートよお兄ちゃん。落胆してね」
アリエスがあきれ顔でヒルダをニックから引きはなす。
「ヒルダのはロングスカート。洗濯不足のね。なぐさめてんだか力づけてんだかわかんないわ。ニック。わたしがついてます。みんなたよりにならないけどわたしは大丈夫。一番のお姉さんだからね。これもひとつの縁。何かあったらわたしに相談してよ」
旗を持つキャスが目尻をつりあげた。注意を飛ばして来る。
「こらそこ! だまりなさい! おとなしくあたしについて来るのよ!」
キャスを先頭に円環校舎に入る。校舎は二階建てだった。学園都市なので校舎と呼ばれている。しかし実体は中世の城塞都市に近い。一周が二十キロのドーナツ状の建物だ。一階に入ってすぐ島の全体図が貼ってあった。円環校舎の大部分を学園の教室が占めている。ほかには居住区や商業地区が描かれていた。
キャスが受付の前の部屋に全員を入れる。学園長はどこかに消えた。出むかえに来ただけらしい。子どもは全員で三十人だった。世界の各地から来ているらしく服装も年齢もまちまちだ。いやみなヨゼフたち七人とニックたち七人は部屋の両端にそれぞれ陣取った。
キャスが全員に用紙を二枚くばる。一枚は希望学科の選択と書かれていた。さまざまな課目がならんでいる。すべてこの学園で教える項目だろう。二枚目は誓約書となっていた。
「まず最初に言っておきます。魔法学科はあります。けど魔法つかいにはなれません。魔法をつかえるようにもなりません。いいですかみなさん。この世に魔法などないのです。くれぐれもかんちがいをしないように。魔法学科は魔法を教えるのではありません。かつて魔法と考えられていた技術を解説するだけです。役には立ちません。魔法学科を選択するのは自由です。しかしひと月もすればがっかりするでしょう。魔法はまるでかからない。魔法陣はひとつも見つからない。いいですかみなさん。この世界に魔法なんてないのです。魔法つかいになりたいと思ってここに来た人もいるでしょう。けどそれはかないません。魔法つかいなんてこの世にはいないのです。よくおぼえておくように」
キャスがジロッとオメガをにらむ。いかにも魔法つかいというローブを着ているオメガは首をすくめた。オメガのとなりのケイトもブルっと身ぶるいをした。仮面をつけたおかしな女。そうキャスから目をつけられたにちがいないと。
次にキャスがニックに目を向けた。ニックのすり切れた服を指さす。
「そこのあなた。おカネがないのなら学生課に行きなさい。仕事を紹介してくれます」
金髪のヨゼフがニックに顔を向けて笑った。
「やーい。しかられた。ざまあみろコンチクショウ」
キャスがヨゼフをにらむ。ヨゼフは口をつぐんだ。
「私語はゆるしませんよ。さあ必要事項を書きこみなさい。二枚目の誓約書は魔法地区に入りたい人だけが書けばよろしい。魔法地区に大人は入れません。あんたたちがどんな危険なことをしても大人が助けに行けないの。だから魔法地区で死んでも苦情を言いません。そういう誓約書よ。魔法地区には湖もあるし鉱山もある。七つの魔法陣を探そうとおぼれ死ぬ子どもが出ないともかぎりません。さいわいまだ誰も死んでませんけどね。魔法地区ではくれぐれも危険な行為をしないように。あたしたちは助けることはできないの。いま決められない人は保留でよろしい。魔法地区に入りたくなったときにそれを提出しなさい。魔法地区には十九歳以上の人は入れません。大人は入れないの。よくおぼえといてね」
ニックはどの教科を取るかなやんだ。なりたい職があって来たわけじゃない。刺客からかくれるためだけに来た。祖父のムスタキはこう判断したはずだ。十九歳以上の者が入れない魔法地区にかくれれば安全だと。
うしろのウィンダミアが背中をつついて来た。
「なあニック。お前も魔法学科に入るんだろ?」
「えっ? ぼくは別に魔法つかいにならなくてもいいから」
「おいおいニック。せっかくミルトムントに来たんだぜ。話のタネにでも魔法学科に入るべきだ。ここにしかねえ学科だぞ。ミルトムントの魔法学科を出たと言えば女の子たちも話を聞きたがる。酒場の与太話にだって持って来いだ。ここはひとつ魔法学科しかねえ」
「それってさ。ウィンダミアがひとりで心ぼそいってだけじゃ?」
「そんなことはねえ。横を見ろ」
ニックは横を見た。オメガ。ケイト。アリエス。ヒルダ。四人が期待顔をニックに向けている。
革帽子のオメガがニックの腕をつかんだ。
「ねえニック。ニックも魔法学科を取ろうよぉ。せっかく知り合ったんじゃないか。一日一時間の授業だよ。息ぬきと思ってさ。ねえねえ」
仮面のケイトとアリエスとヒルダもうなずいている。そこへブレーデンが参加した。
「みんながそうするならわしも魔法学科を取ろう。よろしくニック」
「ま。一日一時間ならいいか。ぼくも魔法学科に参加するよ」
全員のほほがニコッとゆるんだ。
書類を提出した。三十人の生徒全員が魔法学科を選択した。やはりミルトムントまで来た以上魔法学科は経験しておくべきだ。そういう判断らしい。先に入学した者と合わせて現在五十六名が魔法学科を選択しているそうだ。
初日の手つづきが完了した。一階の出口にキャスがニックたち三十人を引きつれる。アーチ状の通路を前にキャスが解散のあいさつをはじめた。石づくりの円環校舎にアーチ型の鉄の門が口をあけている。門は中心から左右にひらく方式だった。カギがかかるらしくカギ穴が片がわの扉に見えた。
「あしたは一周二十キロの円環校舎を案内します。体調の悪い人はもうし出てね。学生寮で眠れない人は円環校舎にも寮がありますよ。何かあったら円環校舎の学生課まで来なさい。わかりましたか」
三十人が思い思いに解散をした。ニックたちはアーチ状のトンネルをぬけて魔法地区の学生寮に向かう。そのニックたちをキャスが複雑な表情で見おくる。学生寮は魔法地区にふみこんですぐだ。旧魔法学校の校舎も寮の横に見える。円環校舎から十メートルもあるかない距離だ。なのに門の下に立つキャスは永遠のわかれのような顔で手をふっている。
ニックはウィンダミアの顔を見た。
「キャスはどうして学生寮までついて来ないの? あんな心配そうな顔をするなら来ればいいのに? キャスはまず学生寮の寮長に会えって言ってたけど? 大人がついて来ないのは独立心を養成するためかいウィンダミア?」
「バカだなあニック。おれの説明を聞いてなかったのかよ? この魔法地区に十九歳以上の人間は入れないんだ。キャスは最初に念を押したよな? 魔法はねえって。けどそりゃうそだ。魔法はある。たしかにあるんだ。アーチをくぐった先には魔法がかかってる。十九歳以上の人間がふみこめば回れ右をしちまうんだとさ。一方で魔法地区の中にいて十九歳の誕生日が来る。そうすると外に押し出されるんだ。外から魔法地区に物は持ちこめる。しかし魔法地区に元々ある物は外に持ち出せない。そんな話も聞くぜ。魔法学科がすたれないのはそのせいなんだ。魔法は本当にあるんだよ」
「へえ。そうなんだ」
ニックは魔法地区をこう想像していた。大人たちが監視をして十九歳以上の人間を立ち入らせない区域だと。しかしそうじゃないらしい。
円環校舎のアーチを通りぬけるとすぐに石碑が立っていた。石に文が彫られている。『世界を戦いの炎がつつむとき七つの魔法陣をあけよ。すれば究極の魔法が手に入る。腕の指輪は古城に行け。上にはないぞ。下に行け。腹の指輪はイピタスの墓にある。顔の指輪は天国に行け。光にふみ出す勇気があればよい。足の指輪は鉱山にある。爪の指輪は二の三。一の二の三の五の七の八の九。目の指輪はミルトムント三世に聞け。指の指輪は笑いの指輪。七つの指輪で笑うがよい。最後の扉は決意の扉。戦いの炎を消すもよし。世界を焼きつくすもよし。この魔法はどちらもできる。七つの指輪を持つ者よ。ふたつにひとつを選ぶがよい。迷いは禁物。迷えば七つの指輪はくだけ散る。心をひとつに扉をあけよ』と。
署名はガレリア・ガレリーとなっていた。この石碑が謎かけの大元らしい。
ニックたちは男子寮で五人部屋をわりあてられた。ニック。ウィンダミア。オメガ。ブレーデン。四人でひと部屋をつかえ。そう最上級生の寮長に指示された。ブレーデンが大人をしのぐ体格をしているせいだ。ブレーデンひとりでふたりぶんと。
ニックは荷物なんてない。ウィンダミアたちが荷物を整理するのを待った。次に外に出てツパイを探した。
ツパイは子どもたち相手に剣のふり方を指南していた。十歳前後の少年少女だ。寮長の説明では魔法学園には十歳から十八歳までがいるらしい。魔法地区の学生寮に入れるのは十四歳以上だ。十歳から十三歳までは円環校舎の寮で生活をする。年少者は立ち入りも図書館にかぎられる。魔法地区は大人の目が届かないからだろう。
「やあ。来たねニック。まず剣のにぎり方からはじめようか」
ニックはツパイのさし出す剣を押し返す。
「いや。ツパイ。やっぱりぼく剣は」
「ニック。きみさ。守りたい人ってないわけ? 身近な人が危ない。そんなときのためにおぼえといたほうがいいよ。素人が剣をふるとすぐに殺しちゃう。けどさ。熟練すれば殺さずに無力化できる。ニックの勇気は認めるけどねえ。技術がともなってないと思うんだ。おせっかいだけど剣の練習をしてみろよ。きっと役に立つからさ」
ニックは思い起こす。剣の技術があれば母のメアリを守れたろうか? 祖父のムスタキを死なせずにすんだろうか? 相手の黒装束は熟練の暗殺者だ。きっと守れなかった。けど無抵抗で殺される事態にはならなかったのではないか。母だけでも逃がすことはできたのでは? ニックは腕輪を見た。この腕輪を母がつけてさえいれば。もっと早く腕輪の力を知っていれば。後悔はとめどない。ニックの目から涙がこぼれた。
ツパイがウィンダミアたちに目を転じる。
「きみたちはどう? 剣を習いたい?」
オメガが最初にいやいやをした。
「ぼくはだめ。重くてとうていむり。剣にさわるのもこわい。血が出るでしょ」
ブレーデンが首を横にふる。
「わしもけっこう。わしの怪力じゃ剣がすぐ折れる」
ウィンダミアが腰の斬らずの剣を見おろす。
「おれもいいや。間に合ってる。剣よりツパイとならダンスがいいな」
「ボクにダンスが踊れるかよ。ボクはそんな軟弱者じゃないぞ」
ウィンダミアがそこでひとつ思い出した。
「そういやさ。どうしてツパイはボクって言うんだ? 何か理由があるのか? 女だよな? 女として生きたくないとか?」
ツパイが一瞬考える。
「そんなたいそうな理由じゃないよ。いちおうボクは女だけどね。ボクってド田舎の出身でさ。いまこの世界は標準語をみんな話してるよね? けどボクの部族は独自の言葉をつかってたんだ。標準語の場合はさ。自分をあらわす一人称が男と女で別でしょ? ボクの部族は男も女もひとつしか持たなかった。おれだとかぼくだとかわたしだとかあたしだとかはなかったわけ。そこへ標準語圏の人間がやって来た。最初に翻訳した者が自分を示す言葉を『ボク』って訳したんだ。それでボクの一族が標準語をしゃべるとき男も女もみんな自分をボクと表現したわけ。男もボク。女もボク。ボクの田舎じゃそれがふつうだったの。いまさらあたしって言えなくってボクなわけ。一種の郷愁なんだ」
「ふうん。そんな理由があったのか。ファッションじゃないんだ」
「まあそういうこと。ウィンダミアたち。ひまならこの子たちを遊んでやってよ」
ツパイがガキどもをウィンダミアに押しつける。ウィンダミアがいやな顔をした。しかしブレーデンが子どもたちを抱きあげる。ブレーデンは子ども好きらしい。オメガは自身がまだ子どもだ。ブレーデンの太い腕にぶらさがって遊びはじめた。ガキたちもブレーデンの巨体によじのぼる。その間にツパイがニックに剣の手ほどきをした。