婚約破棄されて女騎士になった令嬢がオークにとっ捕まる話
「くっ……殺せ!」
国境に広がる森の中央に建てられた城塞砦。
……その地下牢に入れられた女騎士は鎖で雁字搦めに拘束されながら悔し気に叫ぶ。
いや、もはや騎士と呼ぶのもおこがましいのかもしれない。
武器は勿論、装備していた武骨な鎧も全て奪われ、身に着けているのはその下の簡素な衣服は彼女の豊かなボディラインを際立たせ、被っていた兜も脱がされ、その下の整った横顔と輝くような金髪が露にされていた。
「憎たらしいオーク共め。どのような辱めを受けようとも私は絶対に屈さぬぞ!」
それでも強気な態度を崩さない彼女を檻の外から見ているのは、獣毛を纏わせ人と豚を掛け合わせたような出で立ちをした獣人たち、いわゆるオークと呼ばれる亜人種族だ。
「我が誇り、汚せるものなら汚してみるがいい!」
身を護るものも全て失い、只の女となったとしても、この気高さだけは失わないとばかりに、彼女は気丈に吠え続ける。
「……と、向こうはああ言ってますがどうしますか、隊長?」
「どうしようかねえ」
そんな彼女に対する彼らの反応は実に冷ややかなものであった。
囚われの身で気丈に振まう美しい捕虜に対して、敬意なんてものは無く、また嗜虐心や肉欲といったものも薄い。
ただただ面倒そうに彼女の処遇を考えるのみである。
「それなりに位も高いみたいだから、殺すのも後々面倒そうだしなあ。幸い怪我人は多いけど、死人は出ていない。……よし、頃合いを見計らって敵方に捕まった同胞と交換か賠償請求する際の材料に――」
「お、おい。ちょっと待て! 待てってば!」
なるべき穏便な方法を検討する隊長に、制止を求めたのは、なぜだか当の女騎士の方だった。
「お前ら正気か? ここにいるのは見目麗しい美女だぞ? 普通はもっと……こう……なぁ?」
先程とは打って変わって、ひどく焦った様子でオークたちに何かを求めている女騎士。
それを察したオークたちは心底からうんざりしたような目で彼女を見る。
「なぁ、じゃねえよ。なんで本人がちょっと残念そうなんだよ」
「つうか、自分から見目麗しいとか言うなや」
「それ以前に単騎で敵陣に特攻して大立ち回りしていたゴリラ女になんて発情なんてせんわ」
「俺らにだって選ぶ権利があるよな」
オークの隊長の言葉に続いて、部下のオークたちも頷きながら、女騎士のダメ出しを始める。
一方で哀れなのはダメ出しを受けて半泣きになっている女騎士である。
「き、貴様らそれでもオークか⁉ 『グヘヘ! 良い体してるじゃねえか。テメェの婚約者の前でバチクソ犯しまくってやるぜヒャッハー』ぐらい言えんのかあ!」
「は? 名誉棄損で訴えんぞ」
種族もとい戦士としての誇りを傷つけられたオークたちを代表して、隊長は睨みを利かせた。
「あ、すまん……いえ、ごめんなさい」
怒られて、素直に謝る女騎士
しかし、こちらもそう簡単に怒りは収まるものではない。
彼らは皆、さっきまでこの女騎士にフルボッコにされていたのだ。
「謝れば許されると思ってるのか? そもそも、お前のせいでこっちは住処は滅茶苦茶だし、怪我人が沢山出たんだぞ? そりゃさ。俺らがやってんのは戦争だよ? でもさ。だからっていたずらにそいつの尊厳を踏みにじるような言動をするのってどうだ?」
「す、すま……みませんでした。……うぅ……ひぐっ」
いよいよ小さく嗚咽を漏らし始めた女騎士に、オークたちも少しばかり良心の呵責が沸き始める。
せめて、ここに女オークでもいれば、『ちょっと男子―!』と言いながら、しっかり庇ってくれたかもしれないが、残念ながらこの場にいる女性は女騎士一人であった。
「……はあ、わかったよ。なにかワケがあるのなら言ってみろ。聞くだけなら聞いてやる」
やがて隊長はこのままでは取り調べもロクにできないと判断したのか、大きく溜息をつきながら話を促した。
元々、疲弊した彼女を最終的にふんじばって牢に入れたのも彼である。
この場を預かる立場に座す者としても、彼女がなぜ単身で自分たちに戦いを挑んできたのか興味はあった。
そんな彼に女騎士も、感じ入る所があったのか、ポツポツと理由を語り出した。
「うぅ、すまない……。実は私、お前たちオークに既成事実を作ってもらおうと思ってな――」
「「「……は?」」」
思わず声を揃えるオークたち。
さすがにその答えは変化球が過ぎた。
構えていた砦に突然一人乗り込み、大立ち回りをしたこの女戦士が、まさかそんな倒錯した欲求が目的でわざと捕まったというのだろうか。
やはり人族は恐ろしい。
「あ。いや違う、違うんだ。実は先日婚約者に婚約破棄されてな――」
恥ずかしそうに、彼女は改めて理由を語り出す。
「貴族が集まるパーティーの最中で突然宣言されたんだよ。理由を問うたら、女の癖に剣だけは一丁前で生意気とか脳筋ゴリラは自分の妻に相応しくないとか、とにかく、衆目の前で散々罵倒されちゃってさ……。しかも婚約者の新しい相手は私の妹で。元々、妹を可愛がっていた両親もやたら乗り気みたいで、私の方は用済みとばかりに政略目的で嫌な噂の絶えない中年貴族に嫁がされる羽目になっちゃって……ホント私の人生って何だっただろう……」
「それで自棄を起こして、俺らの所へ特攻してきたのか?」
確認を取る隊長に女騎士はコクンと首肯する。
「懇意にしていた騎士団長に頼んで、転属願いを通してもらったのだ。来てしばらくは最前線で暴れていたけど。最近ここらでオークの拠点があるって耳にしてさ。『お前らが女として利用しようとしていた私はもうオークの慰み者になっちゃいました、ざまぁ!』みたいにいければな、と」
「もう少し自分を大切にしろよ……」
そういえば、単騎で一軍を壊滅に追い込んでるヤベー騎士がいると報告を受けた覚えがあったが、まさか目の前にいるこの女がそれだったというのか。
それほどの実力を持つ騎士がそんな理由で特攻して捕虜になるとか……、被害を受けた同胞らが聞いたらどんな顔をするだろうか。
なんにせよ、婚姻を避けるのも、仕返しするのも、もっと他に穏便かつ確実な方法があっただろうに。
呆れ返るオークたちをよそに、女騎士は切り替えるように提案する。
「そういうわけで、私のざまぁのためにどうか結婚してくれないだろうか」
「いや、何がそういうわけでだ! さり気に結婚まで飛躍させんな。というか、なんでそんな理由でOKが貰えると思ったんだ?」
いつの間にか、慰み者から一転して婚姻に発展している事に寒気を覚えながら、隊長は皆を代表してお断りを入れる。
仏心を出すのはあくまで相談相手としてだ。
なにが悲しくて、敵方の、しかもいわくつきの貴族令嬢と肉体関係を作らねばならないのか。
敵云々を別にしても、こんな暴れ馬と夫婦になるなんて御免被る。
「頼む、後生だ! こっちも頼みの綱の婚約者にまで裏切られて、もう限界なんだ! 同期の令嬢友達はもう皆結婚しちゃって、残っているのはもう私だけなんだよ!」
「本音はそっちか?」
どうやら婚約破棄や望まぬ結婚は、あくまできっかけに過ぎなかったらしい。
「ち、違うぞ。婚約破棄されたのは本当だ。破棄されたその場で元婚約者はボコボコにしたけど……。中年貴族からも顔合わせ早々に命だけは勘弁してほしいと土下座されたけど……」
「お前、さっきさも自分が被害者みたいな口ぶりで話してなかったか?」
非難を込めた目で女騎士を見るオーク隊長、女騎士は慌てて弁解を始める。
「だから違うってば! 妹の件は本当だぞ。アイツとは昔から折り合いが悪くてな。しかも、人をたぶらかすのも逃げるのも上手いときたものだ。毎回私にちょっかいかけては失敗すると『これで勝ったと思わないでくださいましね、姉様』って言ってトンズラしやがって……絶対それも含めて楽しんでるぞ、アイツ!」
「この姉にして妹ありだな」
こんな姉妹の諍いに巻き込まれた顔も知らない元婚約者に対して、オークたちはもう同情の念しか抱けなかった。
「だからその目はやめてくれ! なんだ、私の何がいけないんだ⁉ 私はこれでもこれと決めた相手には一転して尽くす女だぞ? そこらの雑兵ぐらい百だろうが千だろうがいくらでも返り討ちにできる自信はあるし、敵将の首だっていくらでも獲ってきてやるさ!」
「……女としてはともかく、戦士としては百点だな。もう普通にウチに寝返って、一兵卒として就職するとかじゃダメか?」
普通に戦力としては有用っぽいし、なんなら紹介状を書いてもいいと思う。
女としては論外だが。いやマジで。
「いやー、できれば、女としても見てほしいというか……」
「せめて自分の立場自覚しろよ」
一体どの口で選り好みしているのだろうか。
「うぐっ! そ、そうだ! お前らの方からも要望とかあるか? できるだけ寄り添うぞ」
「……それ以前に人間の方に相手がいないからっていう妥協で選ばれるのが気に入らないんだよなあ。この際、お前らの言う汚らわしいオークでも良いってか?」
「え、さっき発言はシチュエーション的にお決まりのセリフを言ってみただけだぞ」
「そうかい。二度と言うなよ。言われる方は結構傷つくんだからな」
「えっ、あっ、……うん、ごめん」
さっきもそうだが、変な所で素直な女である。なんでこの殊勝さを他でも生かせないのか。
「い、いやでも、最近はお前らオークはこっちでも結構人気出てきたんだぞ? よく見ると精悍な顔つきで、たまらない筋肉しててストイックな戦闘民族って感じだし。贅肉だらけか、逆に線の細いガリガリの貴族連中よりも遥かにマシだっていう声も多いんだよ」
取りなすように、昨今のオークの評判を語る女騎士。
あからさまな世辞を言うタイプにも見えないので、おそらく嘘ではないのだろう。
「お、おい。マジかよ……」
「ワンチャンあるんじゃね?」
「こ、今度思いきってナンパしてみようかな?」
なんだか、こっちの部下たちも一部の連中がまんざらでもなさそうな顔で色めき立っている。
所詮は彼らも男、異種族だろうが何だろうが異性から高評価を貰えば、悪い気はしないのだ。
部下たちのあまりのチョロさに、隊長は思わずもう少し異性との出会いの場でも用意してやるべきかと考えてしまう。
「で、どうだ? 結婚するか?」
「だから、いちいち飛躍してブッ込んでくるのはやめてくれないかなあ!?」
どうやら、この女騎士の辞書には諦めるという言葉はないらしい。
「案ずるな。ちゃんと愛するぞ。特にお前はこの私を屈服させて見せたからな。私の伴侶として相応しい実力者だ!」
「ここまで嬉しくない求愛初めてなんだが……」
いつの間にかロックオンされていた事に寒気を感じながら、隊長は既に脳内で切り替えていた。
この様子ではいくらこっちが否定しても、この女はグイグイと迫ってくるだろう。
ならば、これ以上の問答は時間の無駄だ。
とりあえず、隊長は同席していた部下の一人へこっそりと合図を送る。
次にその部下から既に準備はできたという折の返事を貰って、隊長は女騎士へ向き直る。
「とりあえず、お前の処遇に関してはもう少し時間をくれ」
「うむ、仕方ないな。色よい返事を期待しているぞ」
なんかもうOKを貰った気になっている女騎士の言葉を無視して、隊長は部下たちを伴い、地下牢から出ていった。
「まだかなー、まだかなー」
牢の中でウキウキしながら待つ女騎士。
……それから、しばらくの時間が経過した。
「おーい。まだかー? そろそろ待ちくたびれたぞー!」
牢の中が飽きてきた女騎士は呼んでみるが、返答はなかった。
……さらに時間が経過する。
「おーい。せめて夕飯ぐらいは持ってきてくれないか? 今日はカレーがいいなあ」
……そこからさらに時間が経過。
「――あれ? もしかして、置いてかれた?」
既に日は沈みきった深夜、ようやく気付いた女騎士は鎖を引き千切り檻を蹴破る。
「うわあっ、本当に誰もいないしっ! おいコラ、逃げるなああああああああ!」
既にもぬけの殻となった砦で女騎士の慟哭が木霊する。
――その頃、砦から撤収したオークたちは帰路の途中にて野営のキャンプをしていた。
「隊長! アイツ檻を強引にぶっ壊してきましたよ!」
「チッ、やっぱりいつでも出てこれたのか。よし、急いでこの場を出立するぞ! 足止め用のトラップの設置も忘れるな!」
砦に使い魔を見張りに忍ばせていた部下の報告を受けた隊長は矢継ぎ早に指示を送る。
元より、あの女騎士の襲撃で砦が半壊した時点で、あそこは放棄するつもりだったのだ。
むしろ、砦に火をつけたり、爆破しなかっただけ、ありがたいと思ってほしい。
「逃がすかあああああああああ!」
しかし、数十キロ近く離れているはずなのに、聞こえてくる女騎士の咆哮。
隊長を含めたオークたちは戦慄した。
「隊長……」
「急いで森を抜けるぞ。ここには屈強な魔物も多数生息している。そう簡単には追いつけんだろう」
「そこらの魔物では太刀打ちできそうにないんですが……」
「心配するな、その時は最悪俺が囮になる」
こうして女騎士とオークたちによる数週間にも渡る苛烈な鬼ごっこが催されることとなった。
――数か月後。
人間とオーク族を含めた亜人連合の両国は休戦協定を結び、戦争は一時的に休戦となった。
元々は一部の若い王族が功績欲しさのためにふっかけた戦争で、その王族も王位継承権で敗北……というか勝手に自滅したらしい。
上に振り回されるのはどこも一緒という事だろうか。
その中で隊長は執務室にてお呼びを受けていた。
「……私に縁談ですか?」
「うむ」
呼び出された隊長は机に座るオーク将軍の言葉に困惑する。
「君たちの部隊は先の戦いで多大な功績を挙げた。その長である君に適任だとされたのだ」
「功績……?」
自分らそんな大した事したかな、と隊長は考えて思い出す。
おそらく、あの女騎士との追いかけっこの事だろう。
実は彼女、祖先が古の勇者とかで、先祖返りを起こしており、その気になれば単騎で魔王級の魔獣をシバキ倒せるほどの戦闘力を持っているとかなんとか。
「君たちがあの怪物を足止めしてくれたおかげで、こちらの被害は最小限に留まれたのだ。礼を言う」
(よく生きてたなあ、俺ら……)
彼女も彼女で加減してくれていたのかもしれない。
無論、それで感謝するつもりもないが……。
「色々と思い出しているようで悪いが、話を続けさせてもらってもいいかね?」
将軍に咳払いされて、隊長は我に返った。
「とにかく、やっと戦争は終わったのだ。我々としても、この平穏をできる限り長く続けていきたい」
――ここまで聞いて、隊長はなんとなく察する。
亜人族もオークだけでも様々な部族に分かれ、部族の長を始めとした階級があるが、自分は出自も特に高くない、いわゆる叩き上げである。
つまり、他種族へ婿に出しても、しがらみもわだかまりもないというわけだ。
「一応聞いておきますが、拒否権はありますか?」
「なに。我々から見ても十分に器量の良い女性だ。きっと君も気に入る」
どうやら拒否権はないようだ。
こっちの言葉を無視して、どんどん話を進めていく将軍は机の棚から写真を取り出す。
「向こうの方は何と言っているんですか? 普通の人間の女なら、オークの男なんて嫌でしょう」
「いやいや、実は向こうの方から君がいいと指名してきたのだよ」
「は? どういうことで――」
そこまで言いかけて、隊長は将軍から渡された一枚の写真に視線を移そうとして止まった。
なんでだろう。
無性に嫌な予感がする。
見てはいけない気がする。
「ど、どうしたね。急に硬直して……、顔色も悪いぞ?」
流石の将軍も心配げにしている。
――ええい、ままよ!
覚悟を決めた隊長はギギギと首を写真の方へと動かす。
「うわぁ……」
やはりというべきか、そこには余りにも見覚えがあり過ぎる金髪の美女が映っていた。
以前の鎧姿とは違う。
見るからに豪奢かつ綺麗なドレスで着飾っており、写真だけ見るなら普通に美しい御令嬢様だ。
「そこに写っている彼女は先の戦いから王都へと帰還するや否や、第二王子を取り立てて、国内の継戦派や亜人排斥派を一掃し改革を為した立役者だ。無礼は許されない」
「チェンジで」
「この婚姻には両国との関係がかかっている。頼んだぞ」
「チェンジで」
そのまま二人は不毛なやり取りを繰り返すが、根負けしたのは将軍の方だった。
「なあ、頼むよ。向こうの方からの立っての願いなんだ。ほら、美人さんじゃないか。何が不満なんだね。たしか君は独身で恋人もいなかったろう?」
「失礼ですが、閣下はチートアマゾネスと数週間森の中を鬼ごっこした経験がありますでしょうか? そのアマゾネスが改めてこちらを指名しているのです。恐怖を感じるのが普通では?」
「かつての仇敵が和解して、手を取り合い愛を育む。……良いシュチュエーションだと思うがねえ」
「そこまで把握済みかよ! じゃあ、わかるだろ!? 俺は絶対に会いませんからね!」
やがて、部屋の向こうでドタドタと慌ただしい音が聞こえてくる。
「会いたかったぞダーリン! 待ちきれずにこちらから来てしまった。感動の再会だな!」
扉を開いて出てきたのは、例の女騎士である。
ちなみに鎧ではなく、白いウェディングドレスを着用していた。
「来るなあああああああああああっ!」
対して、オーク隊長は絶叫しながら、両手をクロスさせて窓へと走り出す。
そのまま窓をぶち破り外へと飛び降りる。
「逃がすかああああああああああっ!」
綺麗な着地を経てから走り出すオーク隊長を追いかける女騎士。
人生をかけた二度目の追いかけっこを始める二人の姿をオーク将軍は『若いっていいなあ』と呟きながら見送った。