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私は裏切りたい  作者: 柏木椎菜
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一話

 伯爵はふらふらと後ずさると、床に膝を付き、今にも倒れそうになりながら私に視線を向けた。

「な、ぜ……」

 絞ったような声と苦痛に耐える灰色の瞳が強い疑問を問いかけてくる。でも私はもう何も答えられなかった。だんだんと血の気を失ってく伯爵をぼーっと見つめ、ナイフを握った手が小刻みに震えるのをただ感じてた。その震えは次第に全身に回り、心の中まで冷たく震わせ始めた。

 力尽きたのか、伯爵の身体はぐらりと傾くと、そのまま床に倒れ込んだ。腹を押さえてる手の間から鮮血が流れる。私は、やったんだ――そんな実感を覚えた。


「はっ!」

 私は剣を振りかぶり、相手に叩き下ろそうとした。しかし相手はこれを読み、左へ避けようとする。思った通りだ。この男はさっきから左ばかりに避けてる。決まり切った動きじゃ簡単に予測されると気付いてないのだろうか。この勝利は私のものだ……!

 私は剣を振り下ろさず、左へ避けた相手に詰め寄ると、そこへ向け横薙ぎに振った。これに慌てた相手は足をもつれさせ、芝の地面に尻もちを付く。その首へ私はすかさず剣を向けた。

「降参する?」

 聞くと、相手の男性は悔しそうな目を向けながらも、小さな声で答えた。

「……くっ、参ったよ。そっちの勝ちだ」

 この言葉に私は胸の中でホッと息を吐いた。

「勝負ありだ。二人とも、ありがとう」

 微笑む試験官がやって来て、私と対戦相手は模造剣を収める。

「いい試合だったが、特にファルカン、君の腕は随分と立つようだな。本当に素晴らしかった」

「ありがとうございます」

 試合に勝ち、腕も褒められるのは素直に嬉しい。

「他の者もご苦労だった。合格者を選定してくるから、その間休んでいてくれ」

 離れたところで見てた数人の腕自慢達に言うと、試験官は建物の中へ消えて行った。それを見送ると、私を含めた皆が緊張の糸を緩めた。

「はあ、あんた強いな」

 溜息混じりに試合に負けた男性が声をかけてきた。

「まったく。俺も戦ったらボロボロに負けそうだ」

 他の男性達も集まって来てそれぞれに感想を言い合う。

「女の身で、その強さを一体どこで身に付けたんだ?」

「父に全部教わったの。小さい頃から」

「小さい頃から? なるほどな。英才教育ってやつか」

「それじゃ強いわけだ。毎日鍛錬できる環境だったんだから」

「お世辞なしに見惚れるぐらい強かった。採用されるのはあんたに決まりだな」

「それはまだわからないわよ」

「いいや、君だよ。俺達は君に比べて明らかに下だった。君が選ばれなかったら逆に文句を言ってやるよ」

 皆でハハハと笑い、あれこれおしゃべりしてると、建物から二人の試験官が出て来るのが見えて、私達は話を止めた。

「いいかな。では早速、合格者一名を発表する」

 試験官は立ち並ぶ私達をざっと見ると、にこやかな表情で言った。

「オリアナ・ファルカン、君が合格だ」

 当然だなと誰かが言うと、男性達は私に向けて拍手をする。悔しさを隠して皆笑顔で合格を喜んでくれた。

「これから君はベルデ伯爵の警護人となる。伯爵に危険が及ばないようお側に付き、身をていして守ってくれ」

「はい。伯爵様のために、全力でお仕えします」

「うむ。では伯爵が住まわれる館へ向かう予定などを話しておこう」

「それらは私が話そう。さあ、付いて来て」

 もう一人の試験官に言われ、私は建物へと向かう。その時、背後から頑張れよと声をかけられ、私は振り向いた。男性達が笑顔で見送ってた。それに応えるように私は軽く手を振った。そう。頑張るのはこの先。採用試験は受かって当たり前だ。最初の門をくぐったばかり。仕事はまだこれから。笑って喜ぶのはもう少し後に残しておこう。

 それから私は警護人として仕えるべく、館での勤務環境や給料のことを聞き、警護人の制服を作るための採寸などを受けて家へ帰った。その制服ができ上がる頃の一週間後、言われた通りに私は伯爵の館へ向かった。そこには二階建ての石造りの大きく立派な建物があった。無数の窓が並び、部屋数が尋常じゃないことがうかがえる。そんな館を取り囲むように手入れの行き届いた緑の庭が館の造形美を引き立ててる。さすが貴族の家だ。庶民はただ口を開けて圧倒されるだけだ。

 彫刻の施された重厚な扉に近付き、私は叩いた。するとすぐに扉は開いた。

「オリアナ・ファルカンです。今日から伯爵様にお仕えさせていただきます」

「新しい警護人の方ですね。待っていました。どうぞ入って」

 使用人と思われる中年の女性は愛想よく言うと、私を中に入れて付いて来るように言った。

 館の内側もやっぱり目を見張るほどに立派だった。足下に敷かれた青い絨毯から品のある模様の壁紙、綺麗な細工の照明、飾られた美術品……。初めて見る貴族の家に私の目はあちこちを興味津々に眺めずにはいられなかった。白い花が飾られたあの大きな花瓶、あれ一つで私の何ヶ月、いや何年分の食費になるだろうか。ここにはそんなものがゴロゴロ転がってる。

 広く長い廊下を突き進んで行くと、使用人の女性はある扉の前で止まり、コンコンと叩いた。しばらくすると扉は開き、中から体格のいい男性が現れた。

「お待ちかねの新入りさんよ。……あとはこの人に聞いてちょうだい。それじゃ頑張ってね」

 そう言うと女性は廊下を引き返して行った。

「へえ、本当に女性とはね……ようこそ、ベルデ家警護隊詰め所へ。歓迎するよ」

 短髪の黒髪に爽やかな笑顔の、三十代と思われる男性は、私を見た瞬間少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに消して明るくそう言った。

「初めまして。オリアナ・ファルカンです。あなたも同じ警護人ですか?」

「ああ。俺はアントニオ・ソウザ。警護隊の隊長を任されてる」

「た、隊長なんですか? よろしくお願いいたします!」

 かしこまった私を見てソウザ隊長は笑った。

「そんな丁寧に言わなくったっていい。これからは仲間なんだ。気楽に接してくれていいよ。そのほうがお互い身がまえなくていいだろ?」

「は、はあ……そう言うのなら、わかりました」

「でも、仕事中は気を引き締めてくれよ。俺達の仕事は時に命が懸かることだからな」

「もちろんです。警護中に気を抜くことは決してしません」

 力強く言うとソウザ隊長は満足そうに微笑んだ。

「それを忘れないように。じゃあどうぞ、入って」

 促されて私は部屋に入った。

「ジュリオ、新しい仲間を紹介する」

 そこそこ広い部屋は二部屋に区切られてる。左の部屋は簡易ベッドが置かれてるから仮眠室だろうか。右の部屋には机や椅子が置かれていて、そこに座って剣を磨いてた若い男性がジュリオと呼ばれて振り向いた。

「……女?」

 いぶかるような視線が私をチクチクと刺してくる。それを気にしないように私は挨拶した。

「オリアナ・ファルカンです。これからよろしく」

「………」

 無反応の青い目が何かを見極めるようにじっと見てくる――何だか嫌な態度だ。

「ほら、お前も自己紹介しろ」

 ソウザ隊長に言われて若い男性は渋々といった感じに口を開く。

「……ジュリオ・ジルだ。ジュリオでいい。皆そう呼んでるから」

「わかった。私もオリアナでいいわ。ところで、ジュリオはいくつなの? 私と近そうに見えるけど……」

「二十二だよ。そっちは?」

「二十歳よ。二つしか違わないのね」

 これにジュリオの嫌な視線がさらに強く私へ向けられた。

「二十歳? その上女って……おいおい大丈夫なのかよ」

「どういう意味?」

「やっと二十代になったばかりで、しかも女なんて、本当にご主人様をお守りできるのかよ」

「私は試験に合格して、ちゃんと力を示したわ」

「まぐれで合格したんじゃないのか? それか、他に受けたやつらが相当弱かったとか」

「ジュリオ、試験はご主人様が直々に頼まれた元軍人の方々の目を通して行われた。そこにまぐれなどあり得ない」

「でも隊長も女の警護人なんて不安に思うだろ?」

「これまで女性はいなかったから、正直驚きはした。でも試験に合格したからここへ来たんだ。実力を疑いはしない」

「だけど俺よりも下なんだよ? 頼りになると思うか?」

「たった二歳だけだろ。頼れるかどうかは、今のところお前とさほど変わらないさ」

「なっ……俺のが警護人としての経験が――」

「言わせてもらうけど」

 私はジュリオの声をさえぎって言った。

「警護人としての力に、女も年齢も関係ないことよ。私は認められたから来たの。そしてあなたも認められて警護人になってる。同じ仲間として認め合うだけじゃ駄目なの?」

 これにジュリオはグッと言葉を詰まらせ、気まずそうに視線を泳がせた。

「ふっ、ジュリオ、素直に謝れないなら態度で示せよ。ああだこうだと突っかからず、仲間として接しろ。いいな」

「……それは、その女の働きぶりを見るまではわからないよ」

 そう言うとジュリオは磨いてた剣を持ち、部屋を出て行こうとする。

「おい、どこへ行く」

「素振りして来る」

 そっけなく言ってジュリオは去って行った。それをソウザ隊長は苦笑いで見送った。

「悪いな。気を悪くさせて」

「大丈夫です。いきなり女の警護人が来て、向こうも戸惑ってるんだと思います」

「大人な対応をしてくれて助かるよ。反対にジュリオはまだ子供っぽいところがあってな。警護隊では一番下だから、新入りになめられないよう強く当たったのかもしれない。でもそういう部分を除けば、賢くて思いやりのあるいい性格の持ち主なんだ。さっきの態度からは想像できないだろうけどね。もちろん警護のための実力もある。まあ、すぐには打ち解けられないかもしれないが、それでも仲間と思って付き合ってやってくれ」

「認めてもらえるように努力します」

 些細なことでも波風は立てるべきじゃない。仕事は落ち着いた環境でこそ上手くいくから。

「警護人はもう一人いるんだが、今はご主人様に付いて仕事中だから紹介はまた後だ。我々警護隊は全部で四人。時間や日によって四人が交代しながら警護に当たる。今日は館の各部屋を案内するだけで詳しい説明は後日するが……そうだ。大事な物を忘れてた」

 何かを思い出した素振りでソウザ隊長は右の部屋奥の棚へ向かうと、そこに置かれてた大きめの箱を持って戻って来た。

「これを」

 渡され、私は受け取る。

「何ですか?」

「開ければわかる」

 笑顔でそう言われ、私は蓋を取った。見るとそこには綺麗に折り畳まれた深緑色の服が入ってた。

「これって、制服ですか?」

「ああ。俺達と同じものだ。これから警護の際はこれを着てもらう」

 私はソウザ隊長の服を見た。箱の服と同じ、深緑色の上着とズボン。銀色のボタンに襟にあしらわれたつた柄の刺繍が少しおしゃれに見せてる。伯爵様に付き添うんだ。警護人と言えども、それなりの格好が必要なのかもしれない。

「向こうの部屋で着てみろ。サイズは合ってると思うが、確認のためにな」

 私は真新しい制服を持って簡易ベッドの置かれた部屋へ移動する。

「衝立があるだろ。それを使ってくれ。ちなみにそっちは夜勤だったり連日警護に当たる時のための宿直室だ。仕事に慣れてきたらオリアナも泊まることになる」

「家に帰れないほど長く警護することがあるんですか?」

 私は着替えながら聞いた。

「そう多くはないが、ご主人様のご予定次第じゃそんな時もある。泊まるのは大体夜勤の場合だ。……制服、どうだ?」

「ちょっと待ってください……うん、ぴったり。どうですか?」

 衝立をどかし、私はソウザ隊長に姿を見せた。

「サイズは問題ないな。動きやすくなってるか?」

 両腕を動かし、足を上げ下げして動きを確かめてみる。

「……いい感じです。大きな動きもしやすいです」

「よし。じゃあいいな。あとは剣だが、オリアナには明日から仕事をしてもらうから、その時に渡す。今日はまず館内の部屋を一通り覚えればいい。付いて来い」

 部屋を出たソウザ隊長の後を私は付いて行く。

「俺達はここを詰め所と呼んでるが、正しくは警護隊待機室だ。館へ来たらまずここに来てその日の予定を確認するんだ。そこから仕事は始まる。そして隣のこの部屋は――」

 廊下を歩きながらソウザ隊長は各部屋の説明をする。仕事に無関係な部屋には入らないようにと注意を受けながら正面玄関へ向かってた時だった。

「君が噂の新しい警護人か」

 穏やかな声に視線を上げると、二階へ続く階段の上から微笑みを浮かべて男性が静かに下りて来た。

「ご主人様」

 ソウザ隊長はそう言って頭を下げた。すらっとした体形、後ろに流した茶の髪、鋭さも感じる切れ長の灰色の瞳、けれど浮かべる表情は柔和だ。確か二十七歳と聞いてる。この人が、オリヴェイラ・アルバレス・デ・ベルデ伯爵――そう知って私もすぐに頭を下げた。

「これからお出かけですか?」

「ああ。気晴らしの散歩だからすぐに戻るよ。……君、名前は?」

 階段を下りて私の前に立ったベルデ伯爵はにこやかに聞いてきた。

「オリアナ・ファルカンです。お見知り置きを」

「ふむ……今から私の警護をしてみるか?」

「え……」

 答えに戸惑ってると、横からソウザ隊長が言った。

「彼女は今日来たばかりで、まだ何も教えていません。いきなり付き添いの警護はさせられませんよ」

「ふっ、それもそうだな。敷地内だし、カミロだけで十分か」

 そう言ってベルデ伯爵は背後へちらと視線をやった。そこには私と同じ制服を着た金茶色の髪の男性が控えていた。あれが四人目の警護人か。

「今後の警護に期待しているよ」

「はい。お任せください」

 自信を見せて言うと、ベルデ伯爵はにこりと笑って正面玄関へ向かった。その背中をソウザ隊長と一緒に見送る。あの人が私の仕事の目標なのね――それを改めて確認して、私の気持ちは強く引き締まった。

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