夢と現実
前回から引き続き、今回も逆の意味を持つ二つの言葉をテーマにして、書いてみたいと思う。
今回は、夢と現実という二つの言葉にまつわる話をしていこう。
まず、夢という言葉は、難しい言葉だと思っている。
それは大きく分けて、二つの意味があるからだ。
寝ている時に見る夢と、叶えたいものという意味の夢。
まったく異なるのに、どちらも夢という言葉で表現されていて、時には混乱する人もいるだろう。
ただ、これは時代の流れとともに意味が変わったというか、意味が追加されたそうで、元々の意味だと寝ている時に見るものを夢というだけだったそうだ。
寝ている時に見る夢は、現実と異なるものであり、目覚めれば消えてしまうものでもある。
そうしたところから、非現実なものといった意味を持ち、絶対に叶えられない非現実なものを指す言葉としても、夢が使われるようになった。
それから、叶えるのは非現実といえるほど難しいけど、叶えたいもの――将来の目標などにも夢という言葉が使われるようになり、結果、夢という言葉は二つの異なる意味を持つようになったらしい。
さて、今回は特に寝ている時に見る方の夢について話していきたいと思う。
何故、寝ている時に夢を見るのか、実のところは、よくわかっていないと言われている。
記憶を整理する際に見るとか、何か悩みがあると見るとか、様々な説があるものの、はっきりとしたことはわからないそうだ。
だからこそ、夢にまつわる不思議な話というものは色々ある。
例えば、今回は夢と現実というタイトルだし、夢が現実になるという、いわゆる正夢の話からしよう。
この話は、女子高生のMが体験した話だ。
その晩、Mは現実そのものといった感じの夢を見た。
夢の中で、Mは目を覚ますと、朝食を食べた後、いつも通り学校へ向かった。
途中、待ち合わせ場所で友人のAと一緒になると、何気ない会話をしながら歩いていた。ただ、交差点を渡っている時、ブレーキを踏む気配のないトラックが目の前まで迫ってきた。
その瞬間、Mは目を覚ました。
普段、夢を見ても内容を覚えていないことが多かったけど、この夢は衝撃的だったこともあり、はっきりと覚えていた。
Mは朝から嫌な気分になりつつも、さすがに休むわけにもいかず、学校へ向かった。
いつも通り、待ち合わせ場所でAと一緒になり、何気ない会話が始まったけど、そこでMは違和感を覚えた。というのも、会話の内容が夢でした会話とまったく同じだったからだ。
そして、夢の中だとトラックが勢いよく向かってきた交差点が近付き、Mは足を止めた。
Aも足を止めて、どうしたのかと聞いてきたけど、Mはどう答えていいかわからず、黙ってしまった。
すると、トラックが交差点の近くにあった電柱にぶつかり、大きな音をあげると、辺りは騒然となった。
ただ、不幸中の幸いで、トラックの運転手が軽傷を負ったものの、他に怪我をした人などはいなかった。
また、後で聞いたところによると、トラックのブレーキが突然利かなくなってしまったため、このような事故が起きたとのことだった。
もしもMが足を止めていなかったら、そもそもでMがトラックにひかれそうになる夢を見ていなかったら、MとAは無事じゃなかっただろう。
あの夢が何なのか、何で見たのか、はっきりとしたことはわからないものの、恐らく未来で起こることを予知したものだったんじゃないかとMは考えているそうだ。
こうした、夢で見たことが現実になるという話は多く、正夢や予知夢と呼ばれている。
何故、正夢を見るのかという部分には様々な説があり、順に挙げていこう。
まずは否定的な説として、単なる偶然とするものだ。
かなり乱暴な説だけど、正夢というのがどういうものかと考えてみると、この説は結構有力とも言えてしまう。
というのも、覚えているかどうかという違いがあるものの、人は毎晩のように夢を見ているわけで、それはつまり数え切れないほど、多くの夢を見ているということになる。
そのうちの一つが現実になったとして、それは別に珍しいことでなく、むしろ当然のことだ。
また、先述したような事故にあう夢などは衝撃的なので、記憶に残りやすい。
夢を見た翌日に事故があったのは珍しいけど、例えば数日経過してから同じように事故があっても、正夢じゃないかと感じただろう。
そうして、強く印象に残った時、夢が現実になったとして、そのことを正夢と捉えるわけだ。
次に怪異やオカルト的な説だと、予言や未来予知と呼ばれるものが関連しているんじゃないかと言われている。
予言というのは、一部の人にしかない特別な力とする説もあれば、無意識ではあるものの、多くの人が持っている力だとする説もある。これは単に嫌な予感とか、虫の知らせとか、第六感と言われるものだ。
こうしたものは意識していなくても、記憶のどこかに残るのかもしれない。それが夜寝ている時に夢として見ることになり、それが正夢になるというわけだ。
また、夢と現実は異なるものと考えるのが、そもそもで間違っているという説もある。
現実には、思いや念といったものがそこら中に存在し、それが怪異になるといった話があることは、以前から書いている。
そうしたものを認識するのは、霊能力者といった霊感を持つ者に限られるけど、寝ている時は一般の人でも怪異に触れることがある。
そうして怪異に触れると、その影響から夢を見ることがあるそうだ。つまり、夢というのは、普段認識できない現実に存在する何かを認識した結果、見るものだと解釈できるわけだ。
例えば、先述した話だと、悪意を持った怪異がいて、意図的に事故を起こそうとしていたと仮定しよう。その怪異に触れたMは、そうした怪異の悪意を感じ取り、夢としてそれを見た可能性が考えられる。
こうした形で、夢と現実というのは、異なるようで近い――あるいは同じとも解釈できる。
夢に関する不思議な話として、以前書いた「世界線」という雑話との関連もある。というのも、この世界とは別の世界線を夢として見ているんじゃないかといった説があるのだ。
例えば、こことは異なる世界で生きている夢を何度も繰り返し見るといった体験をしている人は多い。
これは、別の世界線で生きる、もう一人の自分の記憶が何かしらかの理由で入ってきて、それを夢として見ているといった説がある。あるいは、寝ている間に精神だけが別の世界線へ行ってしまい、それを夢と認識しているといった説も存在している。
後者の場合、別の世界線から元の世界線に戻れないと、そのまま寝続けた状態になってしまい、一生目覚めないなんて話もある。
これらの話は、夢を見ることによって、別の現実を見ていると表現することもできる。
実をいうと、私は最近、別の世界線じゃないかと思えるようなことを夢で見ている。
せっかくなので、その夢の内容を紹介しよう。
私には心霊好きの男友達Yがいたけど、既に亡くなってしまったということをこれまでも何度か伝えてきた。
それに対して、私の見る夢は、Yが亡くなることなく、今も生き続けている世界の夢だ。
しかも、Yと私は恋人同士どころか結婚までしていて、可愛い娘もいるという、絵に描いたような幸せな家庭を築いている。
さらに興味深いこととして、夢の中にいる私は、Yとの関係が進展した経緯を全部しっかり覚えているのだ。
簡単に説明すると、中学を卒業する時、ちょっとした誤解から別れてしまったというのは、現実と同じだ。でも、この世界ではその後、Yから唐突に連絡があり、そこでお互いの誤解が解けるとまた交際するようになり、そのまま大人になって結婚まで発展したといった、そんな経緯になっている。
こんな夢を見るようになったのは、「心霊好きの男友達」という雑話を書いた後ぐらいだったかと思う。
あの時も、私は不思議な夢を見た。
それは、Yが「名前を付けられた怪異」に近付こうとしているのを私が止める夢だったわけだけど、その夢と私が最近見ている夢には、何か関係があるんじゃないかと思っている。
これは、現実的な視点だと、あんな夢を見たことが、そもそもでYと今も一緒にいられる――Yと家庭を持つことができる世界線を望んでいることの表れであるというものだ。そう考えると、最近になってYと一緒にいる夢を見るようになったのも、同じくそうした願望が私の中にあるということになるかと思う。
そして、怪異的……というより願望込みの視点だと、あの日私は別の世界線に行き、Yが「名前を付けられた怪異」に近付くのを止めることに成功したとも考えられる。その結果、今もYが生きていて、しかも私と一緒にいてくれる世界線を生み出したという解釈も一応できる。さすがにこれは夢を見過ぎかと思うけど、そうなっていたら嬉しいという気持ちがあるので、完全に否定することをしないでおく。
ただ、そんなYと一緒にいられる世界線が実際に存在しているとしても、私にとってそれは夢でしかない。
私にとっての現実は、今いるこの世界線で十分……というより、この世界線でいい。
確かに、幸せな家庭というのも魅力的だけど、私はオカルトライターとして、怪異やオカルトを調べることに強いやりがいを感じている。
だから夢など見ずに、この現実で生きていくことにする。
そんな雑話でした。




