ジンクス
皆さんは、ジンクスというものを信じているだろうか。
ちょっとしたおまじないだったり、ある出来事が起こる前に兆候があるといった話だったり、様々な迷信めいた話としてジンクスは語られている。
今回は、そんなジンクスに関する話を紹介したい。
ジンクスというのは、元々縁起の悪い言い伝えを指す言葉だったそうだ。
でも、日本だと縁起の良いものでもジンクスと呼ばれている。
迷信をそのままジンクスと呼ぶこともあり、実はこれまで雑話で書いてきたことの中にもジンクスと呼ばれているものがあった。
例えば、「数字の呪い」という雑話で書いた、4や6という数字が不吉とされていること。また、「猫の怪異」という雑話で書いた、黒猫が目の前を横切ると不吉だというもの。これらは典型的なジンクスだ。
他に伝えられているジンクスとして、北枕(北に頭を向けること)で寝ると縁起が悪い。
三人で写真を撮る時、真ん中に写った人は死を招きやすい。これは昔あった、写真を撮ると魂を抜かれるという言い伝えが基になっているのかと思う。
茶碗など、使用している食器にひびが入るのは、不幸なことが起こる兆候だというもの。
流れ星や、四つ葉のクローバーを見ると縁起が良いという話も有名だろう。他にも、朝に蜘蛛を見ると縁起が良いと言われ、反対に蜘蛛を夜に見ると縁起が悪いなんて話もある。
また、ジンクスの中には、あまり怪異と関係がないものも数多くあり、こちらの方が馴染みのある人もいるかと思う。ジャンルを問わず、色々と挙げてみよう。
流行語大賞を受賞したお笑い芸人は、翌年テレビから姿を消してしまう――いわゆる一発屋と呼ばれる芸人になってしまう。
二年目のジンクスと呼ばれる、ルーキーとして一年目に活躍したスポーツ選手が、二年目に苦労するといった話。
ある芸能人がブログで話題にした人物や企業が不幸になり、デスブログと噂されたこと。
ベートーヴェンの死をきっかけに言われるようになった、交響曲第九番を作曲すると死ぬという第九の呪い。他にも音楽関係だと、ロック歌手は早死にしやすいという話もある。
多くの人にとって身近な病気に関することだと、風邪を人にうつすと治りやすくなるなんて話も有名だ。
一般的に、これらは根拠のないジンクスと呼ばれている。
ただ、中にはしっかりとした根拠があるものも含まれている。
わかりやすいところだと、二年目のジンクスは、一年目から活躍したルーキーに対して、他から二年目以降に対策を取られてしまった結果、活躍しづらくなり、苦労するのだろうと言われている。
とはいえ、ジンクスのほとんどは、単なる偶然の一致といった形で片付けられている。
それこそ、こじつけに近いものも多いので、話半分で受け取ることをおすすめする。
ちなみに、ご存知かと思うけど、怪異やオカルトを信じていない私は、当然ジンクスも信じていない。
ただ、ジンクスと似たようなものとして、友人からもらったミサンガは、今も手首に着けている。
これは、先輩であり師匠でもあるエリさんのアシスタントを私が辞め、オカルトライターとして一人で活動することになった時、記念としてもらったものだ。
本来、ミサンガというのは、願いが叶った時に切れると言われている。
でも、友人曰く、このミサンガは着けている間、願いが叶い続けるとのことだったので、私はオカルトライターとしての活動がずっと続くようにといった願いを込めた。
そして、色々とあったけど、今もオカルトライターとして活動できているわけで、願いは叶い続けているということになる。
こうした形で、ジンクスは人によっても解釈が変わるし、気持ちの持ちようという面が強いかと思う。
不幸になると言われた後、事故にあえば、それを不幸そのものと捉える人が多いだろう。
でも、反対に幸福になると言われた後、事故にあったらどうだろうか。不幸中の幸いで、事故にあったけど無事だったなんて、前向きに考える人が多いかと思う。
先述した通り、こじつけに近いものが多いというのも、こういったことが理由なのかもしれない。
人はプラスに考えようと思えば、いくらでもプラスに考える。反対に、マイナスに考えた時には、病的なほどマイナスに考えるというわけだ。
そんなジンクスだけど、それを良い形で利用している人も多くいるので、そちらを紹介しよう。
例えば、朝のルーティーンとして、これをすると一日元気に過ごせるといったものを持つ人がいる。具体的には、単に背伸びや深呼吸をするといったものから、ペットや植物の世話をするといったものだ。
それに科学的根拠があるかというと、そうでないケースの方が多く、それこそジンクスと呼ばれるようなものばかりだ。
ただ、それを行う本人が信じれば、そのジンクスは現実になり、実際に毎日元気に過ごせている。
こうした、習慣の中にジンクスを入れると、気持ち的にも前向きになり、結果として毎日が良いものになりやすくなる。
また、何か大きな選択をする際、色々調べてもどうしていいかわからない時は、ジンクスに頼るのもいいかと思う。
ジンクスというのは、これまでの人生経験で、こんな時はこうすればいいといった知識によるものが多い。
だからこそ、最終的には自分自身の勘に頼るといった行動も、結果的に正解を選択することになりやすいわけだ。
反対に、こんな時は選択しない方がいいといった、嫌な予感というものも知っておくべきで、実際にそうしたものを理解している人は、ここぞという時に危険を回避している。
ジンクスというのは、こうなったらこうなるという迷信と言われているけど、そうしたことに敏感な人にとっては、迷信じゃなくて根拠のあるものになっているのかもしれない。
かくいう私も、オカルトライターという怪異やオカルトを扱う仕事をしているわけで、未知であるからこその危険を意識していないわけじゃない。
でも、先述した友人からもらったミサンガを着けているという事実が、何だか私に安心感を与えてくれて、この気持ちを私は大事にしているし、これからも大事にしたい。
こうした考えを持っていないと、気持ちが落ち込み、ありもしないことを信じたり、ありもしないものを見たりしてしまうと、私は思っているからだ。
未知というのは、どんな風にも解釈できるというわけで、人によっては今すぐ自殺したくなるような何かがあるかもしれない。
そうしたものを扱うからこそ、私はこんな考えを持っている。それは、怪異やオカルトが存在すると考えた時、私に何か危害が加えられる状況になったとしても、友人からもらったミサンガが何とかしてくれるだろうから、安心だといった考えだ。
これはずるい考え方かなと、私自身思っている。
ただ、ミサンガというのは単なる紐なわけで、いつか切れるはずのものだ。でも、このミサンガは着けてから十年近く経過した今も、未だに切れる気配がない。
だから、このミサンガが、お守りのような形で守ってくれるだろうと、私は強く思っている。
矛盾しているかもしれないけど、こうした気持ちを持っていないと、精神的に病んでしまうのが、オカルトライターという仕事だ。
だから、根拠などなくても、大丈夫だろうと思える何かを用意している。
この辺りもエリさんから習ったことだけど、私にとってのそれは、友人からもらったミサンガだというわけだ。
それに、同じ友人からミサンガを受け取った人は結構いて、そのほとんどが夢を叶えているという事実がある。
私がわかっている限りの話だけど、友人のミサンガを着けて夢を叶えられなかったのは、ただ一人。その一人は、心霊好きの男友達Yと結婚したいと願った、恋人のMだけだ。このYとMが既に亡くなっているというのは、「心霊好きの男友達」という雑話で伝えたことだ。
二人の死について、これまで何度も触れてきた「名前を付けられた怪異」と何かしらか関係があるんじゃないかといった考えを私は持っていて、そのことも既に伝えている。
今思い返してみると、YとMの二人が亡くなる直前、Mの着けていたミサンガが突然切れたという話を聞いて、私は何だか不吉だと感じた。でも、それから色々とあって怪異を信じなくなり、こうしたことはいつの間にか忘れてしまっていた。
一旦、「名前を付けられた怪異」から離れようと思い、前回からちょっとしたネタを扱うようにしたのに、結局戻ってきてしまった。
離れようと思ったのに、こうしてまた近付いてしまった。
こんなことがあった時、何をやっても「それ」から離れることはできない。
それは、良い意味でも悪い意味でも、縁があるという意味のジンクスだと聞いた記憶がある。
だから、これもジンクスの一つだろう。
それを承知のうえで、改めて私は「名前を付けられた怪異」に……いや、「シロという名前を付けられた怪異」に近付こうと決めた。
私は怪異を信じたいけど、信じられない。
でも、友人からもらったミサンガは、信じたいし、信じられる。
何度も言うけど、矛盾していることはわかっている。でも、これでいいとも思っている。
そんな雑話でした。




