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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

閻魔堂シリーズ

春宵のこと

作者: 皇 凪沙

 それは、なんとも惨い処刑だった。

 刑場の中央に太い角柱が据えられている。柱には太く短い頑丈な鎖が打ちこまれ、その先にひとりのおんなが鉄の首輪で繋ぎ止められていた。

 おんなのまわりには沢山の茅や柴が積み上げられている。役人の合図で点火役の非人がふたり、火のついた茅の束を手に近づくと、おんなは怯えた顔で一歩あとずさった。よく見れば、まだ幼さの残る垢抜けぬおんなである。

「いやだあ、やめて――」

おんなが叫んだ瞬間、足元に火が放たれ、積み上げられた茅柴がたちまち炎を上げた。

煙がもうもうと立ち込め、めらめらと炎が上がる。

 後ろ手に縛られたおんなは、立ち昇る煙や燃え上がる炎から逃れようと身をよじった。煙に巻かれてしまえば、あっという間に気を失い、苦しむ間もなく死んでしまうのだろうが、なまじ短い鎖の分だけ動けるためにそれもならず、おんなは絶叫しながら狂ったようにもがいた。

「熱い、熱いいっ、たすけてえ――」

 煙に嫌な臭いが混じり始め、あまりの惨さにさしもの野次馬達もたもとで口元を覆って顔を背ける。

 泣き叫びながら苦しみのたうつおんなを、楽にしてやろうというのか、役人が非人に命じて莚で火を煽らせる。おんなの髪に火がつき、おんなは鬼女のような形相で頭を振りたて悶絶した。

 獄衣に火が移り、おんなの体がじりじりと火に包まれていく。すでに意識は無いのだろう。おんなは首輪で柱に吊られるような格好のまま、だらりとぶら下がっている。死んでいるとは云え、ひとの体が焼け焦げてゆく様はとても見られたものではない。見届け役の役人や手下の非人たちさえ目を背けている。

 柴が燃え尽き火勢が弱まるのを待って、非人が新たな茅束に火をつける。止め焼きとして、真っ黒に焦げたおんなの咽喉と乳房を焼き、その無残な処刑は終わった。


 ほっとしたように、野次馬達が散る。

 処刑が終わってみると、そこにはうってかわって、のどかな春の日の風景が広がっている。

役人達も座を立ち、手下の非人たちも厳重に火の後始末をして去った。後には焦げて縮んだ無残なおんなの死体が、のどかな春の光を受けて柱にぶら下がっている。埋葬どころか取り片付けることさえ許されず、おんなの死体はこのまま人目に晒されるのだ。

 えんはその焼け焦げた死体を見やってため息をつく。惨い仕置きとは云え、おんなの付けた火のために罪も無い人々が大勢犠牲になっているのだから、おんなにばかり同情するわけにもいかない。えんの脳裏にもあの日の光景が焼きついていた。


 それは、強い風の吹く春の夜のことだった。

 商家の立ち並ぶ一角から火の手が上がり、小さな炎は折からの強い風にあおられ、瞬く間に轟々たる炎と燃え上がった。夜半のこともあり、半鐘が響いた頃には炎はすでに、恐れを知らぬ火消しの手にもどうする事もできないほどに燃え盛っていた。

 寝込みを襲われて、寝巻き姿のままとるものもとりあえず走り出す人々。出入りの店に駈けてゆく鳶。子どもの泣く声。子を呼ぶ母の声。

 炎にあおられ騒然とする町を、えんは川向こうから透かし見ていた。川岸にもたちまち大勢の人々が逃げ出してくる。勢いを増した炎はまもなく一町を丸ごと飲みこみ、家を、人を、貴賎貧富の別なく焼き尽しながら、夜明け方まで燃え続けた。

 翌朝を迎え、春先には珍しくからりと晴れ上がった青空の下に、焼け焦げた家々が骸を晒していた。家も家財も失った人々が呆然と立ち尽くし、家族を失ったらしい年寄りが泣き崩れている――

 えんは、無残に焼け焦げた町並みを見渡す。

 幸いこの度の火事は川を越えることはなく、炎はえんのねぐらまでは及ばなかった。しかし、一歩橋を越えると、その先には非日常的な風景が広がっている。命からがらとるものもとりあえず逃げ出したもの、炎にまかれて命を落としたもの、けがをしたもの。昨夜の有様はさぞ地獄絵図のごとくであったろう。

 一角では、すでに火事の後片付けが始まっている。すでに原型を留めないほどに焼け落ちているが、その敷地の広さから考えて、大きな商家であったのだろう。出入りの職人が忙しく黒く焦げた残骸を運び出している。火事は燃え広がるときには貴賎貧富を選ばないが、焼け落ちた後にはその差をはっきりと見せ付ける。

 炎の中をようよう生き残っても、何もかもを失い途方にくれる人々が、どれほど居るのだろうと、えんはそのときも深いため息をついた。


 そうしてえんはいま、あの悲惨な火事を引き起こした火付けの大罪人の無残な死体を前に、再び大きなため息をついている。

 刑場の入り口に立てられた捨て札に目をやると、黒々と書かれた『罪状火付け』の文字が目に入った。おんなは商家の下女であったらしい。近郷の在から出てきたのだろう、歳は十五とあった。

 いずれにしろ、今夜はこの惨たらしい様を晒しているおんなと顔を合わせることになるだろう。おんなの罪が捨て札通りなら、この惨い処刑も遠く及ばぬほどの責め苦がおんなを待ち受けている。

 もうひとつため息をついて、えんはおんなに背を向ける。目の前に続く小道は、背後の無残さとは対照的に穏やかで、春の草花が咲き誇っていた。穏やかな春の小道を重い足取りで踏んで、えんは刑場を後にした――。



 数日前の強い風が嘘のように穏やかな春の宵である。

 えんは心地よい春風の吹く道を、閻魔堂に向かって歩いていた。足元には柔らかな春草が茂り、空には朧月がやわらかく光っている。そんなのどやかな光景の中で、辺りに漂う異臭だけが、えんに昼間の処刑の無残さを思い出させた。

 矢来に囲まれた刑場が薄闇に沈んでいる。その少し手前には、朧月に照らされた閻魔堂。とびらの隙間からは細く灯りが漏れている。

 そっととびらの隙間から閻魔堂の中を覗く。

 揺らぐ灯りに映し出されるのは、一段高い壇上に鎮座する閻魔王。黒光りする鉄札を手にした具生神。左右に控える赤青の獄卒鬼。揺らぐ業の秤、壇荼幢。

 浄玻璃の鏡が灯りを映してきらりと光った。

「えんか。入るがよい。」

 閻魔王の声に、えんは堂の中に入る。閻魔王の前には、ひとりのおんなが額づいていた。

項垂れ震えるその様は、まるで子どものように幼く見える。

「昼間、お仕置きになったおひとだね?」

 問うと、おんなはびくりと顔を上げた。

 ――やはり、垢抜けぬおんなだ。

 昼間見たときよりもより一層強くそう感じるのは、近くで見るせいか――


「さて、具生神。」

 は、と具生神がかしこまる。

「このおんなの一生の内の善行悪行、残らず読み上げよ。」

「かしこまりましてございます。このおんなは近村の百姓家に生まれた者にございます。年若きこともあり、取り立てて善行とてございませぬが、家業を怠ることもなく、これまで百姓の娘として真っ当に生きてまいったもののようです。近頃になって、近年続く不作のために商家へ奉公に出、なれぬつとめをして居りましたが、なれぬながらも正直につとめておったようすでございます。ただ数日前の夜、なれぬ奉公のつらさからか、ふと店に火を付けようと悪心を抱きましたのが、唯一悪行と言えるかと思われます――」

「ちょっと、待っとくれ。」

 えんは慌てて具生神の口上をさえぎった。

「悪心を抱いたのが悪行って、じゃあこのひとは火をつけちゃあいないのかい?」

 おんなが、縋るような目でえんを見る。

 具生神が肯く。

「はい。火を付けようと考えることと、火を付けることは紙一重の所業にございます。まして、この者は火道具まで用意したほどにございますから、けして罪なきとは申せませぬが、火付けはこの者の仕業にはございませぬ。」

 えんはおんなを見やる。おんなは相変わらず縋るような目でえんを見つめている。

「ほんとに、あんたがやったんじゃないんだね。」

 おんなは、はあ、と肯く。

「じゃあ――じゃあ、なんだってあんた、火あぶりになんかなったのさ――」

 おんなは悲しげに目を伏せた。

「だれも、信じてくれません――。」

 火道具を持って、火をつける為に夜、部屋を抜け出したおんな。実際に火が出た場所は、おんなが火をつけようとした場所と寸分たがわなかった。

「――でも、あたしではありません。」

 火をつけようと火道具を出して、おんなは二三度試してみた。しかし、手が震え、膝が震えて、火などつけられそうにはなかったのだという。そうこうしている内に、憑き物が落ちたとでもいうものか、急に自分のしていることが恐ろしくなった。火をつける気も失せ、誰かに見られないうちにと慌てて部屋へ逃げ帰ったのだと、女はそう云った。

 それからまもなくお店から火が出て、おんなは何が起こったのかもわからないまま、逃げ出した。炎が町を飲み込んで行く様は、まるで悪夢を見ているようだった。火の中をどうにか逃げおおせて、行く当てもなく焼け落ちたお店へ戻ったところを、おんなは捕らえられた。

「それからは、あっという間で。違うと言ったところで、火をつける道具はそのまま持っていたし、その夜火の出る前に部屋を出たのも間違いないから、何を言っても信じてもらえません――」

 責め問いにかけられて、おんなは仕方なくやってもいない火付けの罪を認めた。おんな自身、もうなんだか判らなくなっていた。もしかしたら、自分が火をつけたのかもしれない、怖くなってやめたというのが本当は夢だったような気さえした。どうせ信じてくれないのなら、どうにでもなれとも思った。

 ――でも、怖かった。

 おんなはそう云った。

 半ば自棄になって犯してもいない罪を認めたものの、いざ刑場へ引き立てられて、火刑柱に繋がれると、怖ろしさで歯の根が合わなかった。

火が放たれたときの恐怖。火に炙られ煙に巻かれる、熱さ、苦しさ――。

 ――本当に、ほんとうに怖かった。

そう云って、おんなは涙をこぼした。


「事情はわかった。」

 閻魔王が肯いた。

「しかし、罪は罪。先に具生神が云った通り、火をつけることと、火をつけようとすることは正に紙一重。」

 ごう。という音ともに、浄玻璃の鏡に燃え盛る火炎が映し出される。火炎地獄の様であろう、炎に追われて逃げ惑う亡者たちが悲鳴を上げている。

おんなが震えながら目を逸らした。

「怖ろしいか。火に炙られて焼け死ぬのは、さぞ苦しかったことと見える。しかし、それもおのれの心から出たこと――けして他を恨むでないぞ。」

 閻魔王が睨み付けると、おんなはか細い声で、はい、と答えて項垂れた。

「よかろう。具生神――」

 呼ばれて具生神が、は、と答えてかしこまる。

「この者に他に罪は無いか。」

「はい。取り立ててあげるべき罪もないようでございます。」

「善行の方はどうだ。」

 具生神が鉄札に目を落とす。

「――善行と申すわけではございませんが、身を惜しまず働き、神仏へも折節手を合わせておった様子にございまする。」

 うむ、と閻魔王が肯く。

「その方、本来なれば火をつけようとの悪心を抱きし罪にて、地獄にて火炎の苦しみを受けるべき身なれども、現報を受けしことから相殺してこれを免ずることとする。この後は再び人の世に生まれ、心強く生きるよう努力するがよい。」

 おんなはほっとしたのか、ぼろぼろと涙を流し、ありがとうございます、と頭を下げた。

 赤青の獄卒鬼達が、まだ泣き止まぬ女の背をそっと押して、奥の闇に消えて行った。


「で、いったい、どうするんだい――?」

 おんなが去ったのを見届けて、えんは閻魔王に問う。

「――どうすることもできぬ。」

 閻魔王がさらりと答えた。

「たとえ極悪人といえど、命数の尽きぬことには我々には手が出せぬ。具生神――」

「はい。」

「火をつけた者のことは判るか?」

 具生神が肯く。

「はい、もちろんでございます。この度の大火を引き起こしましたのは、先程のおんなと同じ店に起居いたして居りました下女。火をつけようと部屋を出たおんなの後をつけ、おんなが臆して火をつけずに立ち去るのを見て、おのれが火をつけたものにございます。もともと火をつけようという気持ちがあったのでございましょう、この度は千載一遇の機。おんなが火をつければよし、火をつけなければ自分が火を放っておんなに罪を着せるつもりで罪に及んだもののようです。」

「ひどいやつだねえ――。」

 えんはあきれて言った。

「そいつは今どこにいるんだい?」

 具生神が再び手にした鉄札に目を落とす。

「火事の後は近くの寺に身を寄せております。どうやら火をつけたどさくさに、何分かのものを店から持ち出したようでございますから、ほとぼりが冷めるのを待ってどこぞへ落ち着くつもりでございましょう。」

 ――そうかい。

 具生神の言葉に、えんはそう呟いた。



 暗い道である。

 月もぼんやりと傘をかぶり、なにやら不気味に中空にかかっている。

「まったく……」

 強がりに舌打ちしてみるが、おんなの心内には抑えきれぬ不安が湧き上がっていた。


 ――今夜、川向こうの刑場へおいで。

 焼け出された人々がひしめき合う寺の境内で、すれ違いざまに、おんなの耳に囁いた者があった。空耳かと思い、振り返ると、女が一人にやりと笑って往き過ぎて行った――

 誘いに乗ることはない。

 誰も、知るはずのないことだ――。

 そう思いながら、しかしおんなは、ぼんやりとした月の照らす夜道を、刑場へと向かっていた。

 あの世とこの世を分けるような橋を渡り、しばらく行くと竹矢来に囲まれた刑場が見えた。わずかに吹く風が異臭を運ぶ。

 本当にこの世ならぬ場所へ足を踏み入れたような気がして、おんなはぶるりと身を震わせた。


「来なさったね。」

 不意に声がして、おんなはびくりと足を止めた。

 昼間の女が竹矢来を背に立っていた。

「どういうつもりだい、こんなとこへ呼び出してさ。」

 睨み付けると、女は涼しげな顔で笑った。

「なにを笑ってるんだい、馬鹿にしてんのかい。」

「心当たりがあるから、こんなとこへ来たんだろう。語るに堕ちたってもんだ。馬鹿にされたってしかたないねえ――」

 女はまたくすりと笑って、真顔になった。

「――あんたが、火を付けたんだろう?」

 ぽつりと、しかし有無を言わせぬ調子で女が言う。

「なにを――なにを藪から棒に。だいたい、あんたは何なんだい? ひとを、こんなとこへ――」

――図星のようだねえ。

 女は呟くように言った。

 おんなは、そんな女を正面から睨み上げる。

「そう睨むんじゃないよ。別に今さら訴えて出ようなんて思っちゃいないさ。あんなのが――」

 そう言って、女は背後を見る。女の後ろには刑場の闇の中に、火あぶりになった死体が黒く沈んでいた。

「――増えたところで仕方がないからねえ。」

 女はそう言って、再び向き直ると薄く笑った。


「さて、その代わりと言っちゃあなんだけど、ちょっと付き合ってもらうよ。」

――きたか。

 おんなはそっと懐に手を伸ばす。来る前に、匕首を忍ばせてあった。

「やめときな、あたしだってそうそう明るいとこばっかり歩いてきたわけじゃないんだよ。なにも取って食おうってわけじゃないんだ、ちょいとそこまで付き合ってくれりゃいいのさ。」

 そう言うと、女はおんなに背を向けて、ぼんやりとした闇の中を歩き出した。


 ほんのりとした明かりが漏れる堂の前で、女は足を止めた。

「お入りよ。」

 そう言って、女が堂の扉を開ける。

 うっすらとほこりをかぶった木像が、ゆらめく灯りに照らし出されている。

 どうやらそこは、閻魔堂であるらしい。とすれば、正面に見えるのは閻魔王、黒い札を手にしているのが具生神、赤青に塗り分けられているのは獄卒鬼、傾きかけた業の秤、青く塗られたのっぺりとした板は浄玻璃の鏡のつもりか――

「なんだっていうんだい?」

 胡散臭げな道具立てに、おんなは思わずそう言った。

「ここが、どうしたって云うのさ。」

 女が薄い笑いを浮かべる。

「どうもしやしないさ、ここは閻魔堂だ。お仕置きになる罪人が、最期に罪を悔いるとこだよ。」

 おんなはふんと鼻をならす。

「怖がって、恐れ入るとでも思ったのかい。こどもじゃあ、あるまいし。ただの木彫りじゃないか。」

 ――そうかい。

 女が言った。

 おんなは女の顔を見る。

 ――ほんとうに、そうかい。

 急に不安になって、おんなは正面の木彫りの像に目をやった。

 ゆらりと明かりが揺れる。

 正面の高い壇の上には鮮やかな衣の裾を翻す閻魔王。

 黒々とした鉄札を手にした具生神。

 左右に赤と青の獄卒鬼達。

 業の秤がぎしりと軋み、浄玻璃鏡がきらりと灯りを映してきらめいた――。



 ざわりと場がざわめく。

「な――」

 生気を持った異形の者達の視線を浴びて、おんなが息を呑む。

「ご苦労であったな、えん。さて、おんな――」

 閻魔王の声が響いた。

「何だっていうんだい、これは――」

 おんなが、震える声で叫んだ。

 ――見ての通りさ。

「閻魔堂にいるのは閻魔様と決まってるだろう。具生神に赤鬼青鬼。浄玻璃の鏡に業の秤と道具立てもそろってるじゃないか――」

「なんの茶番だいっ――」

 おんながえんを睨み上げる。

 えんは涼しげな顔で笑う。

「そうさ、茶番さ。あんたの命が尽きないうちは、こんなものはただの茶番さ――。でもねぇ、いつか必ず茶番じゃあ済まなくなるときがくるんだよ。」

 ――見てごらん。

 えんはそう云って、鏡の面を指す。

 滑らかな鏡の面に、火を付けるおんなの姿が映っていた。

「覚えがないとは言わせぬ。」

 赤の獄卒鬼が吼え、おんなが震えながら後ずさる。

 鏡の面に映し出される、炎の中を逃げ惑う人々、焼け落ちる家々、そして自分の代わりに火あぶりになる女の姿――

「見るがいい、お前のしたことだ――」

 思わず目を覆うおんなに、青の獄卒鬼が冷たく言い放つ。

「具生神。」

 閻魔王の声が響く。

「これらはすべて、この者の罪に相違ないか。」

 は、と具生神がかしこまる。

「これらの罪は、すべてこの鉄札にも刻み記してございます。またこの他にも加うる罪が数多刻み記してございますれば――」

 ぎいっ、と、業の秤が軋んだ。

「――地獄行きは免れますまい。」

 ごう、という音と共に、浄玻璃の鏡の面に一際高く燃え上がる火炎が映し出される。

その色は、地獄の炎である。

 ――きゃあああっ。

 紅に燃え盛る炎の中に自身の姿を見て、おんなは悲鳴を上げた。鏡の面に、地獄の炎に焼きたてられ、苦しみのたうつおんなの受苦の様がありありと映し出される――

「いつか、それがほんとになるのさ――ひとは、必ず死ぬんだからねえ。」

 えんが言う――。

 不意に、おんなが閻魔堂の戸口に向かって駆け出した。その目は恐怖に見開かれている。

 戸口を抜けて外へ駆け出そうとするおんなに、すれ違い様、えんが囁く。

「――逃げられや、しないよ。」

 こぼれるばかりに見開いた目を、瞬間えんに向けて、おんなは戸口から走り出ていった。

 えんはゆっくりと、外を見遣る。

 そこには既におんなの姿は無く、深い闇が静かに広がっていた。

「あとは――知らないよ。」

 えんは呟いて外へ出る。

 背後はすでに闇に沈んでいる。 

 見上げると、わずかにぼんやりとした月だけが、闇を薄く照らしていた。


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