朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり ④
『聖水』。
昔から聖職者が主に儀式や祝福する際などに用いる、聖なる水の事である。これがあれば悪魔など邪悪なものを祓うこともできる。そのため、悪魔と契約を交わしている魔女にも聖水は良く効くそうだ。実際に孔も二回程試したことがあるので事実なのだろう。中身も調べてみたがなんてことない、ただの水のようだった。つまり、重要なのは聖水の清い部分なのだろう。しかし、一度体の中に入った聖なる力というものは、魔女にとっては呪いと同等であり、頑張れば解決できるものではない。
「…そもそもどの文献を見たって、人間目線で書かれてるのが当たり前なんだから、聖水で退治された奴がどうやって逃れるのかなんて書かれてるはずがないんだよな」
だから、聖水を付けた刃物で自分を傷つけた時点で魔女である彼は、初めから行き詰っているも同然だった。
半分諦めて何気なくパラパラとページをめくってみる。聖職者が悪魔に十字架を突き付けている挿絵や製法、種類などが丁寧に羅列されている。人間や他の術者からすればただの水や油でも、魔女の彼にとっては魔女の本能からなのか、まるで大きな虫の写真が載せられた図鑑を見ているような、背筋にぞわぞわとした感覚が走る。その写真に触れでもすれば全身の鳥肌が止まらない人も多いことだろうが、まさにそのような感覚である。
「ダメだ…やめよう」
気分が悪くなってきて、無意識に本を閉じる。その日は天気も良かったので、散歩でもしようかと外に出てみるが、今度は庭の雑草が荒れ放題な様子を見て肩を落とす。仕事を辞めてから一度全ての雑草を抜き、薬も撒いて大事な材料たちを守ってきたはずなのだが、一体いつからこのようになってしまったのか。ここでも自分の横着ぶりが発揮されてしまったと認めざるを得ない。
白衣を脱いで袖を捲り、細々と邪魔な草を抜いていく。土は直に触れるのが好きなので軍手はしない。虫は好きな方なので気にならない。ただし、カメムシは撲滅するべきだという信念は決して折れない。いずれは、ペットの食虫植物たちにカメムシを食べさせても平気なように進化させてみせる。
ようやく自生した雑草と自分が愛情をこめてきた植物たちの区別がついてきた頃、命が訪ねてきたのが見えてその場から声をかけた。
「命ちゃん、こっちだよー」
「道心さん、こんにちは!」
「こんにちは。今日は平日だけど、学校は行かなかったの?」
「うん。今日は遠足だから行かないの。どうせひとりぼっちだから、それなら道心さんといた方が良いもん」
「そうなんだ。残念だけど、道心さん今泥だらけだから何も教えられないよ」
どれだけ気を付けていても、何がきっかけなのか土や泥というものは知らないうちに汚していくものだ。孔もその時になってやっと気づいたが、手だけではなくシャツから靴まで土で汚れてしまっていた。
「ここら辺、薬の材料になるような花とか草とかを育ててたんだけど、雑草だらけになってたのに気づいてさ。大体片付いたんだけど、向こうにも畑があるから今日はまだまだかかるな」
「じゃあ、私も手伝っていい?道心さんの使う植物、見てみたいもん」
「それは構わないけどそれじゃあ汚れるよ。お母さんも洗うの大変だと思うけど…」
まさか洗剤を作れと言われたらどうしようかと、彼は内心焦っていた。しかし命はそんな素振りも見せず、屈託のない笑顔でやりたいやりたい、とわがままを言う。
「…わかった」
孔は根負けし、先ほど脱ぎ捨てた白衣を彼女に着せ、未使用の綺麗な軍手をはめさせた。彼女にはまだ大きい白衣は、裾の方をグルグルと巻き付けて固定した。まるで小さな可愛らしいおばけのような姿に笑いそうになったが、これで彼女の服を汚して伊織に苦労を掛けさせることはないだろう。
気兼ねなく作業の続きを始めると、命は突拍子もないようなことを言い始めた。
「ねえねえ、この畑にもマンドラゴラとかってあるの?」
「ええ?もちろんあるけど…どうして?」
「魔法使いがよく使う植物ってマンドラゴラが多いなあと思って。本当にあるなら、本物を見てみたいなって思ってたの!」
「それならこの辺に…」
話を聞いた孔は、手探りで足元の育てられた植物を探し当て、容赦なく引き抜いた。




