置き土産の中身 ⑦
じっと顔を見てみると、至るところにガラス片が刺さって血は滝のように流れ続けているのが分かる。目を瞑ってはいるようだが、単なる痛みからなのか、それともここにもガラス片が入るか刺さるかしているのだろう。薬品はすっかり肌に染み込んでおり、よく見れば顔色がおかしい。
その薬品は元の毒性は残し、気化せず液体のまま使えるようにとまだ構想していた途中のものだった。だが、ここで早くも効果が見られるということは、彼の手直しも完璧だったということだろう。だが、この状況でそんな悠長な事を本気で考えているのなら、もはや自分は魔女ではなくて悪魔なのではないか。
これだけ怪我をしていても、相手はまだ意識がはっきりとしていたようだ。孔の足音や話を聞いて怯えた様子を見せていた。
孔は立ち上がると、今度は遠入に向き直って渡した薬を指さした。
「それ、早めに飲ませてやってくれ。じゃないとこいつ死ぬぞ」
「あ…はい…ええ!?」
「そうだな、もう三十分で完全に毒が回ると思う」
「ええええ!?ちょっなんで僕に!!」
「そいつの顔はもう二度と見たくないんだ」
「ったく、人遣いが荒いんだから…」
「先生!こっち、早く!」
遠入が渋々倒れている生徒に近づいたとき、先ほど教室を飛び出した女子生徒が教師を連れて戻ってきた。無理やり手を引かれて息も絶え絶えに教室に飛び込んできたのは、担任の教師だった。中年の男性であるためか、職員室からここまで大した距離も無いのに汗だくで物も話せない様子である。
「な…なんだねこれは…」
「だから言ったじゃん!神崎がやったの!」
「神崎、本当なのか」
「いつもは問答無用で術者が悪者のくせに珍しい」
「じゃあ、本当なんだな?」
「本当ですよ。俺が殴りました。教室も、俺がやりました」
「…最近、話は聞いていたんだ。だが…お前のことは信じていたのに」
「勝手に偏見で物を判断して勝手に噂話で信用して勝手に信用できなくなって勝手に迫害でも何でもしてくれれば良いですよ。善良な魔女より不良の人間のほうが優先順位は高いですもんね。退学でも何でも受け入れます」
しかし、最終的に彼に言い渡された処分は、『無期限の謹慎』だった。
突発的とはいえ、自分の立場を知っていながら問題を起こしたために、退学でも逮捕でも何でも覚悟はしていた。なのに、言い渡されたのは『謹慎』のみ。後日呼び出されはしたが、これまでのように罵倒されるなどのことはなく、事情聴取に付き合わされたのみ。実際に政府の人間が学校に来て調査する程大事になったはずなのに、それ以上の咎めを受けなかった。
部活もこのまま続けることも可能だったが、気味が悪いのでそのまま廃部にしてしまった。遠入ともその後それなりに関係は持っていたものの、それも徐々に微弱なものになっていった。
その約一年後に孔は高校を卒業し、遠入は進級することになる。
「これで俺があの時言ってた言葉の意味も分かるだろ」
「うん…でも、ありったけの薬って、話を聞く限りじゃそれほどの量でも無かったような」
「うーん実は一本目以降、数本追い打ちかけてんだ」
「えええ!!??それでなんで謹慎で済んだの!?」
「それが未だに分からないんだよ。たぶん遠入がなんかしたんだと思うんだけど、周囲からのことも考えて、もうあいつとは関わらないことにしていたから聞く機会も無くてさ。向こうも察してか俺に近づこうとしなくなったし」
「ふうん…まあつまり、そういうことがあったから、国の方に通報すると担当の人が大挙してくるってこと?」
「そ。俺の事を探してるから」
「あー…まあ確かに、僕なら探して殺処分なりすると思うけど」
「だろ?けど、俺はもう雲隠れしたし、家だって見えないように結界張ってるから、術者の血を引いてない奴は見えないようになってる。だから退職したもん勝ちってわけ。元々あのまま働いてても何かした問題は起きただろうし、早めに撤退するのが吉なんだよ。術者はね」
「そんな遊びの為にあんな演説までしたわけか」
「まさか。あの時言ってたことは全部本当だよ。人間の見解を知りたいのも、俺らにも考えがあるってのも全部ね」
ここで、ほんの少しだけの間が開いた。孔は、次の言葉を言ってしまおうか躊躇い、武藤は何となくその様子に気づいてただ待っていた、そんな間だった。
「あのさ」
「うん?」
「お前は、どうして術者はこんなにもされるがままだと思う?」
「ん?うーん…能ある鷹は爪を隠すっては言うけどね。どうもそんな感じじゃないよね。せめて口だけでも言い返したりすればいいのにって思ったことはあったな。暴力的な面の話だと、例えば術者が元々力に頼る事を嫌う質だからかと考えたことがあるからね」
さすが武藤である。幼い頃から術者のことを思うあまり、分析ももはや術者以上のものだ。
「残念だけど外れ。術者は結構血の気が多い奴も少なくないんだ」
「じゃあなんだって言うんだよ」
「単純なこと。人間が好きなんだ」
「ええ?」
「信じられないだろ?このご時世じゃそれも少なくなってきたけど、元々術者は人間のことが大好きで、自分たちの力を使う目的の大半は人間の為、人間を守るために使ってた程ね。でも、その関係性がどこかで崩れた。そうして今に至るんだ」
術者のような存在がなぜ、どうやって生まれてきたのかは未だに分からないことである。そんな得体の知れない存在と共存することは難しい。実際に、長い歴史の中で人間は術者と良い関係を築くことを挫折した。魔女は魔女裁判で人間に混じって多く狩られ、陰陽師はその存在意義を奪われて数が減った。
人間は、自分たちには使えない強大な力を大変恐れた。自分たちの持てる全ての小さな力を使って、術者たちを遠ざけた。その方法は言葉や物理的な暴力のみで、術者たちも大変傷つけられた。それでも、彼らはいつか人間たちが自分たちを受け入れてくれると信じて、逆襲などしないと心に刻み、後世に伝えていった。しかし人間たちの間では、ただ『追い出せ』というだけの記憶だけが伝えられ、時代が進むごとに術者の立場は無くなり、結局は数も少なくなってしまったのである。




