置き土産の中身 ⑥
クラスメイトたちは相変わらず笑っている。いい加減その下品な笑い声もうんざりして頭痛が起きている。
「神風章!」
何かを呼び出すかのようにそう叫ぶと、閉め切っているはずの教室の中で突如強風が巻き起こる。それは叫んだ本人である孔だけを避けているようにも見え、あっという間に教室の中は凄惨な状態へと変わり果ててしまった。
もちろんクラスメイトたちも平気な顔をしていられるわけもなく、物陰に隠れようとしたり床に這いつくばったりと魔法書そっちのけで自分の身を守ることに専念していた。
「…」
やがて風は止み、変わり果てた教室姿がはっきりと現れる。その場の音という音は全て外の雨が支配していた。
「お前…いつの間に…」
気味が悪いほど平然とした顔の孔の手中には、盗んだはずのあの魔法書が収まっていた。今度は、その光景を目の当たりにしたクラスメイトたちから言葉が出て来なくなった。
「今こそ、この世に神風を起こすとき…ってね」
「てめえ、意味わかんねーこと言ってんじゃ…」
「元寇の時はこうはいかなかった」
静かに、優しく愛でるように魔法書を開く。魔法薬の作り方、難しい魔法の使い方…望んでいた魔法書そのものだ。見慣れたページを見て、ようやくホッとする。
「さっきは色んな事言ってくれたけど、これはいわゆる俺のノートなんだ。勉強には必須だろ?」
「ノート…?」
「その分厚いのが…」
「本物の魔法書はもっと厚くて言語も様々でな。幸い血筋はここの物じゃないんであまり苦労せずに済んでるよ」
態度が更に癪に障ったのか、突然三人いた中の一人が一気に孔との距離を詰めて胸倉を掴んだ。相手の方が良い体格を持っているため抜け出すことはよういではないだろう。しかし孔は手を払おうともせず、抜け出そうという素振りも見せない。彼の頭の中は、ある一つの事でいっぱいだった。
「さっきから何が言いたいんだよ!意味わかんねーよ!これまで何にもできなかったくせに、ちょっ
と俺らをビビらせたからっていい気になってんじゃねーぞ!」
「人の母親散々貶めといてよくもそんな言いぐさができたもんだな!クスリとも笑えねーんだよ!」
「…はあ?お前マザコンだったりすんの?」
「母親を守ろうとして何が悪い!?言ってみろよ!」
「なんなんだよお前!俺らの事スルーしたりいきなりキレたり!自分らを馬鹿にされたぐらいでそんなに怒る事かよ!実際お前ら、人間に対して何の力も使おうともしなかっただろ!」
「っ…!」
激しくガラスの割れる音が響く。しばらくその光景を見て我に返った。
「え…?」
「ちょっと!血出てるよ!」
この瞬間、孔はようやく解放された。いや、厳密に言うなら、相手が崩れ落ちるのと同時に手が離れたとでも言うべきか。
「あ…あ…」
相手の顔は赤黒い液体に塗れていた。近くには、見覚えのあるガラス片と血と一緒に飛び散った何かの液体。自分の手は、その液体で濡れている。
「はぁ…はぁ…」
知らず知らずのうちに息が上がっていた。自分が今、何をしたかなんて目の前の光景を見ていれば分かること。
孔は、目の前のクラスメイトの顔を、薬品入りの試験管で殴ったのだ。
慌てて白衣にしまってあった残りの薬品を調べてみる。確かに一本足りなかった。その薬品は、以前遠入に止められながら作った毒薬…を更に手直しした魔法薬だった。
「あたし、先生呼んでくる!」
女子生徒が走って職員室に向かう。何かしらの弁解をする気も起きなかった。
手に付いてしまった薬品をふき取りながらどう収拾をつけようかと考えあぐねていると、先輩の帰りが遅いことを心配した遠入がちょうど迎えに来ていた。
「先輩、本一冊にどんだけ時間かけてるんですか?なんか大きい音もしたし…」
「…ああ、悪い。御覧の通りでさ」
「先輩…?」
視界に入った凄まじい光景に、遠入は何かを言うことも何をすることも無かった。かといって、孔に失望したという様子でもなく、本当にただ黙って見つめていた。
「薬、どうなった?」
「あ…目は離して無かったはずなんですけど、なんでか一気に全部蒸発しちゃって…それもあって探しに来たんですけど」
「ああ、なら成功だ」
「ええ?」
「その薬、簡単に言えば透明になれる魔法薬なんだ。だから蒸発したわけじゃなくて、薬そのものが見えなくなってるだけなんだ」
「はあ…そのままにしといて良かった…」
「後、これも」
「これ…何の薬ですか?」
「そこの馬鹿にかかった薬の解毒薬だ。さすがに殺すのは胸糞が悪いからな」
孔はゆっくりと倒れている生徒に近づき、その場でしゃがんだ。
「おい」
「…」
「良いか、俺にとって家族…母親は命よりも大切な存在だ。その次に大切なのは同胞なんだ。お前は、そんな俺の大切な存在を土足で踏み荒らした」
「……」
「俺が今まで応戦しなかったのは、自分が貶められるのはどうでも良かったからなんだ。お前らの言う通り、俺は落ちぶれた魔女だよ。箒にも乗れない、特化した魔法の一つもない。だから今までこうして努力してここまでの実力を得たんだ。だから俺はその分他の術者を尊敬してる。実力も自信も持ってるから」
「先輩…」
「俺の家族はもう母親しか残されていないんだ。親父も非国民だーっつってどっか連れて行かれてさ。さっき何を言いたいかって聞いたよな」
「…あ、あ」
「俺の母親に手を出すことだけは絶対に許さないからな。もう一度同じことをしてみろ、次はこれでは済まさない。四肢は裂いて全て魔法薬の材料にする。知ってるか?目玉は貴重な素材にもなるんだ。」
一通り魔女らしい発言をすると、なんだか肩の荷が下りたような気がした。だけれど、根本の解決にはならない、いたちごっこのほんの一部に過ぎないだろうと憂鬱に捕らわれた。




