置き土産の中身 ⑤
いつも机の中は空にして帰るので、そんなことはあり得ない。今度は中をよく見て探すが、その姿をとらえることはできなかった。徐々に焦りを露わにしていく彼を見て、クラスメイトたちは笑った。今置かれている状況を察した孔は、無意識に彼らの方を見た。
「探してんのこれ?」
見慣れた本。いつも撫でていた表紙。
本来なら自分の手の中に納まっているはずの魔法書が、その汚らしい手の中にあった。
「こんなところに」
彼らには目もくれず、孔は魔法書を取りに行く。そんな彼の反応が気に入らなかったのか、同級生はこれまでの孔や術者に対する鬱憤も含めて、冷やかすその言葉に更に拍車をかけた。
「まあた聞こえないふりかよ、そういう事してるからいつまで経ってもいじめられるんじゃないの?」
「やめとけって、あんまり言うと毒薬でも飲まされるんじゃねーの?」
「えーそれやばー」
彼らは孔に本を取られまいとあちらこちらに本を投げて孔を翻弄し、その反応を見て楽しもうとした。しかし孔本人は相手の思うつぼになるよりはと、相手の気が済むまで待つことにしてその様子をただ見ているだけだった。
「っち、つまんねえ奴だな。何か言ったらどうなんだよ」
「それ、次の研究に使うから返してくれ」
「それが人に物を頼む態度かよ!」
一人のシンプルな蹴りが飛んでくる。突然のことで受け身も取れなかった孔はそのまま蹴飛ばされ、後に続く暴力や罵詈雑言を一心に受け止めた。
「お前みたいなやつが俺たち人間を脅かしてんの、いい加減に分かれよ!」
「俺たちよりも力があるからって、いい気になってんじゃねえぞ!やり返す力もないくせに!」
「…何これえ、変な本…これ、魔法書とかってやつ?マジでこんなのも持ち歩いてるわけ、キモ」
「それ、あとで俺らにも見せろよ!落書きでもして何もお目無くしてやろうぜ!」
「っ…それだけは…」
やっと絞り出せた声で懇願する。正直不愉快だが、仕方がない。結局、その願いも聞き入れられなかった。
痛めつけるのにも飽きたのか、彼らは仲間の女子生徒の元へ集まる。彼女はさっきから孔の魔法書を眺めており、意味が分からないと言いながらもどんどんページをめくっている。
「へー、魔法書ってこんな感じなのか」
「外国語だけで書かれてるイメージだったけど、日本語で書かれてるとやっぱ違和感すごいね」
「バーカ、神崎クンがエイゴなんて読めるわけないだろ」
「それもそっか。ねえ、これってあたしたちでもできるのかな」
「神崎クン、俺たちにもこれできるのー?」
「…げほっ…できるわけねえだろこの…」
「あぁ!?」
罵倒することもままならない。けれども、本の為にもそろそろ起き上がらなければいけない。
抜けた力を何とか取り戻し、立ち上がる。真っ白だったシャツや白衣は蹴られたせいですっかり薄汚れている。この時もいくらか薬品を持っていたが、幸い割れたり漏れたりすることは無く、薬品を持っている事すらも気づかれてはいなかった。
「あれれ、神崎クン、とうとう本気出すの?」
「いままで何にもやり返せなかったくせに何強がっちゃってんの、ウケる」
「どうせなにもできないから逃げるだけだろ、足とか震えてるし」
「わ、マジだ、やっぱ術者って腰抜けばっかなのな」
「俺、この間術者の女が邪魔だったから痛めつけたことあるんだけどさ、『やめてください、許してください』って泣きながら言っててマジ面白かったんだけど」
「わーお前最低だな」
胸のあたりに何か痛みを感じる。
以前、帰宅したときに同居していた母が大けがを負った状態で自分を出迎えたことがあった。その時の傷はすぐに治したのだが、誰にやられたのかと聞くと
「学生の男の子が、いきなり蹴ってきて…びっくりしちゃった。…そういえば、あなたと同じ制服を着ていたかも」
などというものだから、学校そのものを消し飛ばしてしまおうとも考えたものだ。その記憶が一気に蘇る。
「その女…」
「お?もしかして彼女とか?」
「まさか、見た目おばさんだったよ。母ちゃんじゃないの?」
「じゃあ親子そろって腑抜けってことかよ!傑作だな!あははは!」
言葉が出ない。怒りも覚えた。
彼らが言っていることは事実である事、こんな時にでもすぐさま反撃の狼煙を上げることもできない事。何よりも、母親を痛めつけ、目の前で貶した人物が目の前にいるのにただされるがままの自分が許せない事。それらが一気に彼の中で湧きあがり、彼自身を突き動かした。




