置き土産の中身 ②
しばらくは耐えることができたが、一時期人間不信に陥ったこともあった。
これまでは友人と言えば凪くらい、他の術者とも面識はあってもしょっちゅうつるむような関係では無かった。そのために『裏切り』というものを経験したことが無く対処の仕方も分からない。この頃には凪も遠い大学へ行ってしまっているし、完全に四面楚歌と言える状態だった。
そこで彼はほとんど学校へ行かずに家で勉強をし、時々思い出したかのように登校しては授業を受け、部活に気が済むまで勤しみ勝手に帰るを繰り返した。
彼の所属していた化学部は『部活』とは名ばかりで、実際には化学室が開いている日を見計らって勝手に魔法薬の実験をしているだけであった。自宅でも作業はできるが、当時は一人暮らしでは無かったことと環境が良かったこと、こうでもしないと家から一切出てこない良くない生活が続くことから学校の化学室が良いという結論に至った。道具や材料などは全て彼が彼の物を彼の自宅から持ってきているものなので、文句を言う人間は一人もいなかった。
「化学室なんてよっぽどのヲタクでも無きゃ自分から近づいたりしないだろ。だから好都合だったんだよ。旧校舎があれば一日中そこにいられたんだが、生憎俺が入学する前に取り壊されてて」
「へえ…でも薬品扱ってるならさすがに先生とかが止めそうな気がするけど」
「そんなことするのお前だけだろ…なんて言ったって世界一嫌われてる魔女だぞ?実験に失敗してついでにそれに巻き込まれて死んじまえって思うのが普通だよ」
「あ…そうなんだ…孔のことだから失敗なんて無かっただろ?」
「もちろん。厳密に言えばあったけど、知識欲があったから失敗のうちに入らなかったんだ」
ここで二本目の煙草に火をつける。煙が充満しては心地が悪いので、背中に面していた窓を開けた。爽やかな冷たい風が部屋中を駆け巡って気持ちが良い。
「でもな、俺が進級したとき、なんとまあその『エセ化学部』が正式に部活動として登録されたんだよ」
「ええ?まさか、きちんと申請通ったの?」
「まさか。正体がバレる前は申請の準備もしてたんだが、バレた後は通らないのなんて分かり切ってたから何もしてなかったよ」
「じゃあ、僕みたいな人間がいたって事?」
「ご名答!」
『化学部』が部活動として認められたのは、確かにきちんとした手順を追って申請されたからである。それでは、その申請の手続きをしたのは誰なのか?
「後から聞いたんだが、その年に入学して入部した後輩が科学部が無いからって急いで申請通らしたんだと。でも俺が入ってたのは化学であって、科学の方じゃなかったんだよ。最終的には一緒にされたんだけどな」
「思ってたんだけど化学と科学って何が違うの?」
「なぜその年で分からないの?簡単に言えば、科学はカテゴリーで、化学はそのカテゴリーの中にある一つの部門なんだ」
「…つまり?」
「そいつは広い範囲で自然科学をやりたかったんだろうが、先に居座ってた先輩の俺が化学にしか目を向けないから結局やってることは化学部としてなんの代わりも無かったんだよ」
その後輩は、彼の高校時代の中で唯一彼が去るまでずっと隣にいた人間だったが、高校にいる間だけの関係だった。
初めて顔を合わせたのは四月下旬、とある日の放課後の事。いつものように、化学室が開いているうちにと机の上に必要なものを広げている最中、珍しく軽快に教室の扉が開いた。思いがけない事でそちらを見やると、まだ顔に幼さが残る男子生徒が一人、ゆっくりと入ってきた。
「へえ、ここが部室か…」
なんとも楽しそうに部屋中を見渡すその生徒は、唖然としている孔を見つけると
「うわあっ!」
と声を上げた。
なんとも失礼なその反応にどう言い返そうかと口を開きかけた時、今度は先輩に向かって勢いをつけて頭を下げる。
「初めましてっ!一の三の遠入鎮です!今日からこの部活でお世話になります!よろしくお願いします、神崎先輩!」
いっぺんにそう捲し立てると、彼はにこっと笑った。
「お…おう?二年の…神崎孔、です?」
「ちょっと、なんで疑問形なんですかー!」
陽気な彼は、今にも孔の肩を叩かんとばかりに笑い声をあげた。次々と慣れない景色を見せられた孔は、まずはどう反応すれば良いのかそればかりでまともに自己紹介をすることもままならなかった。
「えっと…申請してくれたの、おま…じゃなくて、君?」
「そうですよ!別段理系っていうわけじゃないんですけど、ヤバイ術者がいるって聞いて、気になって入ることにしたんです!」
「は、はあ…ヤバイ…」
入学して一年、ずっと籠って怪しげな実験をしていたのだから、尾鰭がついた噂が出回っても当然である。だが、それを聞いて興味本位だけで部活を作り、興味を惹かれているわけでも無いそれに所属する彼も大概だろう。
ここで見返りなどを要求されたら困る。孔は自然に身構えた。




