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子曰く  作者: 神秋路
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そういうことも ③

「そういえば、名前は?」

「あっ、忘れてた! えっとね、神崎かんざき みことと言います!」

「!!」


 心臓が大きく跳ね上がった。神崎、しかもよりによって命だなんて……


「お兄さんはなんてお名前?」

「神崎──いや、なんでもない。そう! 道彦! 道彦で良いよ、もう」

「みちひこ……さんね! 不思議なお名前ね」

「あー、よく言われる……かな」


 道彦(みちひこ)改め神崎孔は、本名を名乗ることを恐れた。


 その理由は孔本人も上手く説明することはできないが、自分と同じ姓と、夢で見た妹と全く同じ名前が揃ったことで良い気はしなかったからだ。普通の人間なら感動の再開かもしれないことに喜んだだろうが、立場と出自を考えれば嫌な予感が先に立つ。


 元々道彦という名は、「神崎孔」という名前では都合が悪くなった場合に用いた偽名である。かつて師事した師の入れ知恵により、「神崎孔」との関係性を一切なくすためにその名で住民登録もしてあるし、保険証など必要なものも用意してある。


 その名ももう世間には覚えられつつあるためしばらく使うのを控えていたのだが、子供の魔女一人に対して新たな名前を使うほどでもないだろう。


「確かに、魔女は昔から海の向こうでは危険視されていたね。存在自体は浸透している今の時代、この国でもそうなの?」

「そうだよ。私のご先祖様が昔にこの国に渡ってきたんだけど、誰も見たことのない魔法を使うから、みんな怖がっちゃったの」

「ふうん……でも、時代の移り変わりだし、外の国のものは受け入れられやすかったイメージというか、記憶があるんだけどな……」

「どうしてそういう時だって分かったの?」

「あ、いや、知り合いからさ、似た話を聞いたことがあったんだ」


 名前の次に、自らの素性も隠す。なんとしてでも、彼女には自分が魔女だということは知られたくなかった。少なくとも今この場で明かす気にはならない。知られてしまえば、知りたくもないことも知ってしまいそうな気がしたから。


 やがて幼い少女の口から出てきたのは、よく知る現状でありながらも信じられない、信じることにも疲れてしまうような事実だった。


 生まれた時から、魔女の一族だ、魔女の子だ、と近所の住人や街の人々からいじめられて育ってきたこと。


 そのせいでまともに学校にも行けず、食料の買い出しなど必要な時以外はむやみに外に出られない。友達も知り合いもおらず、母子の二人だけでずっと孤独に暮らしてきたこと。


 今日会った人間は逃げても逃げてもしつこく付きまとってきて仕方がないので、近場の森に入ってやり過ごそうと思ったこと。必死になって奥へと進んでいるうちに道に迷ってしまった。途方に暮れて来た道の記憶を探りながら歩き回ってみるとこの家があったから尋ねてみたこと。


 少女は見たところ十歳から十二歳あたりに見えるが、その齢にして自分と同じような境遇にいるのだ。そう思うと、まずなんという感情を表に出せばいいのか分からない。


 自分がこの少女くらいだったのはもう十年ほど前になるが、世の中は十年経ってもまるで成長していないのだ。それまで何の出来事が起きなかったわけでもなく、人間とこちらの間に多くのいざこざが起きなかったわけでもないのに。何も学んでこなかったというのか。


 絶望の一色で染まるのが分かる。何のために嘗めてきた辛酸なのか。


「それは……辛かったね。ここまで来て正解だった。この家に辿り着けて良かったよ」

「でも、お母さんは街に置いてきたままなの。こうなるならいっそ、二人でここまできてしまえば良かった」

「この辺りに住んでるのは俺だけだから、街より苦労すると思うよ」

「きっと大丈夫よ。だって、道彦さんは私たちと同じ目に遭わされてここにいるんでしょ?」

「それはそうだけど……そもそもここは知り合いの土地で、訳あってここに住まわせてもらってるだけなんだ。君の事情もよく分かるけど、君たちは街に残っていた方が良いと思うな。他の魔女たちも、そうやって世の中に一生懸命溶け込みながら生きているから。俺は例外だよ」

「どうして? 街にいたって良いことなんかないんだよ。もしかしたら明日には殺されてしまうかもしれないんだよ。道彦さんはそれでもいいの?」

「俺は……そんなことがあっても「そういう日もある」って開き直ってしまうな。だから街に残れなんて無責任なことも言えてしまうんだと思う」

「どうしてそんな風に思えるの?」

「諦めてるからかなあ……前々から分かっていたことだけど、人間はまるで成長しない。だから、俺たちみたいなのがいくら抗ったところで、変わることは何一つない。今日、命ちゃんから話を聞いて改めて思った。もう自分からは何もしないって決めてるんだ」


 昔から決まっていたことだ。


 賢かった彼は、幼いときから自分に置かれた境遇をよく理解していた。周りの環境から全て学習するような年頃であれば尚更。周囲の大人たちが自分をどんなふうに見ているか、なんて、敏感な感覚さえあればその様子を見るだけで理解するなど造作もないことだ。


 この少女は、頭で理解できるようになるまで、母親によってきちんと守られて生きてきたのだろう。だから、物心がついて自分の立場を理解したことで、こんなにも絶望したような表情をしているのだ。


「その代わり、共存しようって皆思ってるよ。そのためならたくさん努力する奴だっている。それに、やっぱり母さんを一人にしてはいけないよ」

「……道彦さんも私と同じような人なの?」

「それは、どういう意味?」

「お母さんが言ってた。私たち魔女以外にも、似たような力を持った一族がいるんだって。その人たちも人間に嫌われて、いじめられたりしてるんだって。道彦さんもそうなの?」

「俺は──」


 孔は(ども)った。正直に言うべきだろうか、何も言わない方が良いのだろうか。


 特にやましいことは何もないので、普段は聞かれれば素直に答えるようにしているのだが、どうもこの少女は信用できない。まだこの子が本物の魔女だという証拠がないのだ。


 少女の言うように、魔女以外にも他の多くの一族がいるのは本当のことだ。あの凪も神様に仕える一族の末裔である。


 今の時代ではそんな「人間」以外の者たちが未だ残っているという話は誰もが知ってる常識。そのために、もしかしたらこの少女は魔女以外の存在か、ただの人間の少女という可能性があった。人間ではない血を引く者であれば文句はないのだが、人間であった場合、大方大人たちに差し向けられて孔の自宅や生活を調べて来いなどと言われていることも考えられるのだ。


 だから、まだこの子に心を許してはならなかった。その苗字も、夢で見た名前も、誰かが仕掛けた罠なのかもしれないのだから。


(そんなこと……あってたまるかよ……)


 相手はこんなに小さな子供なのに、なぜだか大の大人が存在を恐ろしく感じてしまっている。それは、幼い頃から植え付けられてきた外界への恐怖の表れなのかもしれない。孔は冷や汗をかいた。

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