魔法章 ⑥
その帰りは何となく散歩がしたくなり、帰路を急ぐ町の人々の視線を浴びながらも右へ左へと足を進めた。道中、煙草をどれほど吸っていたか覚えていないが、小さな携帯灰皿がいっぱいになっていたのであまり吸ってはいないのだろう。進めば進むほど人々の通りは少なくなり、なんだか窮屈に感じていたのが一気に消えていった気がする。
もうそろそろ帰るか、と振り返り方向転換したとき、暗闇に背の低い老婆の姿が浮かび上がった。
「うおっ……」
「お散歩は気が済んだかい?」
「なんだ…占い師のばあちゃんか…」
その老婆は彼の店の常連でもあり、彼が喪失症になった際に手紙を送ったあの占い師だった。彼女の自宅は今いる町とは少し離れているはずで、本人がここをうろついているのは珍しいことだった。
彼女のしわだらけの細い手の中には、大きな水晶がキラキラと輝いていた。
「あんた、突然フラフラとし始めるものだからついて行くのに苦労したよ。煙草もまだそんなに吸っているのかい」
「四本はまだ吸ったうちに入らないだろ」
「この魔女は魔女らしくない死に方をしそうだね」
老婆は水晶を見つめながらそう呟く。孔は、これから腰の曲がり切った彼女と暗い町中を彷徨わなければならないこの現状に憂鬱な気分になっていた。
「家に帰んなくていいのか?お孫さんたち心配するだろう」
「あの子たちにはちゃんと言ってある。それに、全て占ってから来ているから何にも心配はいらないよ」
「そりゃそうだけど…どうやって帰るんだよ。俺は絶対に送らないからな」
「大丈夫。あんたの住処の森の入り口近くに迎えを頼んであるから。それまで、このお婆の相手をしておくれ」
「それはもちろん。あんたにもだいぶ世話になったからな。うちで休んでいくか?」
「森に着いたらすぐ帰るから、それはまた今度頼むことにするよ」
二人は暗い夜道をゆっくり進んでいった。老婆は杖を突く程ではないものの、あまり早くは歩けないためである。孔は急ぐ用事もないので最後まで老婆に合わせて一緒になって歩いていた。
「ところでどうしてこんなところに?俺についてきたんだろ?」
「気まぐれにあんたのことを占ったから、教えに来たのさ」
「わざわざそんなことの為だけによく来たな…」
「あんたは危なっかしい術者だ。人間が手を下さずとも、すぐに死んでしまうだろうね」
「物騒なことを言ってくれるなあ、もう何度も死にかけてるんだけど」
「いいや、これまでの経験からは観測できないだろう」
「そんなに酷い出来事なのか?」
「……」
老婆は孔の質問には答えず、ただしばらく黙って輝く水晶を見つめていた。そんなもの見ながらよくこの暗闇を歩いてのけるものだ。内容がまとまったのか、やがて占い師はゆっくりと口を開いた。
「月の神でも経験したことは無いだろうな」
「ヨミが?」
「月の神の持つ暦にも全く記されていないと出ている。きっと神自身もこの事はもう既に占っているはずだ」
「……」
ほんの一瞬、あの時のヨミの占いが脳裏をよぎる。もしそうだとすると、あの占いをヨミ自身がどこまで占えているのかは本人しか知らない。しかし、『彼ですら知らない出来事が起きる』事は確実に知っているはずだ。今度直接聞き行くのも良いかも知れない。ただし、夜中に限る。
「…で、そのヨミすら知らない事が起きるって事を伝えに来たのか?それならヨミに伝えた方が良いんじゃないの?」
「占いの神に『占いの結果です』と報告に行く馬鹿がどこにおる。もちろんお前に一番関わる事柄だからこそこうして来たんじゃ。お前は魔女のくせに先を読むこともできないから」
「やかましい。魔女の先読みは的中率が恐ろしい程低いのを知らないのか?元々先を読むことに向いてないのに魔法で無理やり見ようとしてんだよ」
「なら先読みの魔法は使えるようになったのかい。それはめでたい、今度お赤飯を持って行ってやろう」
「No,thank you…」
「礼儀もへったくれもないお断りだね」
幼い頃に親戚から教わった事によると、この言葉は聞き手によっては厳しい言い方に聞こえる事もあるという。どこまで本当なのかあまり信じられないが、とっさに出てしまったので仕方がない。国外の親戚達とも全く交流を持たなくなったため、外国の言葉などまともに使うのは高校の授業の時以来。けれどもイモリよりも嫌いな小豆を持ち込まれるという悪寒に駆られ、自分が知る限りでの強い抵抗の意味を持つ言葉が口から滑り落ちたのだろう。
「にしてもあんた、外国の言葉なんて話すんだね」
「元々は外国の血だからな。昔は親戚の言葉を聞いて覚えたもんだけど、俺はあんまり得意じゃなかったな」
「そんなに流暢に話せるのにかい」
「発音の仕方を知ってるだけだろ。もうやめよう、この話。俺が発端だけど…親戚連中は好きじゃないんだ」
「…でも、ちゃんと連絡は取って、あんたの知恵を分けてやらんと。向こうはあんたより力が落ちているからね」
「それは占いか?もしそうなら、このまま没落してくれても構わないかな」
「残念、婆の勘だよ」
「これはやられた」
だんだんと森の姿が現れてきた。全て木で構成されているそれは、今自分たちがいる町中よりもさらに墨を流したように暗い。目の悪い八千代はどうしてうちまで来られたのだろうか。
そんな暗さをかき消すように、目映い明かりが道路に沿って照っている。見ると一台の車がちょうど森の入り口の前で停まっており、誰かを待っているようにも見える。あれが老婆が用意させている迎えなのだろう。
「ほら、お迎えだぞ。もう遅いんだから早く帰ってやんなよ」
「悪いねえ。占いの結果を教えてやるのも私の仕事なもので」
「結局何が言いたいのか分からなかったけどな」
「とにかく気をつけなさい。月の神ですら警戒しているよ。占いが言えるのはそれだけさね」
老婆はどう最後に言い残すと、さっさと車に乗って行ってしまった。
車の明かりが無くなったことでもはや何も見えなくなった暗闇に取り残された孔は、一つ欠伸をすると森の奥へと進んでいった。
空の月すらも全く無い、本当の暗闇の中であった。




