魔法章 ③
繰り返すように、彼は知りうる限りの全ての魔法をその脳みその中に詰めこんでいる。魔法は、詠唱することでその現象を呼び起こすシステムになっている、というところまでは先代たちの魔女があらゆる手を使って解き明かした。しかし、この世に存在する全ての魔法を見つけ出すことはできなかった。彼は、長年魔女たちが成しえなかったことをやってのける可能性を秘めているとも言われており、長い時間をかけて先代たちが見つけた詠唱を、勝手に省略する術を身に着けたり、逆に自分なりの詠唱を作ってみたりと随分破天荒な魔女だった。
そんなこともあって術者の中では人望も厚い彼は、生まれたその時から才能があるわけではなかった。命のように呪いを受けているわけでもないのに、魔法が何一つ使えない。どの魔女も必ず乗れるはずの箒にすら未だ乗ることができない。当時はまだ連絡が取れていた母方の親戚にも、「箒にすら嫌われた魔女の成れの果て」とも呼ばれたことで彼はとにかく勉強することにした。母が使っていた本を読み、本屋を営む術者から魔法書を買い漁り、片っ端から自分で試して回った。けれども、まだ幼い彼が自分だけの力でまともに魔法を使えるようになろうとしても、すぐに限界がやってきた。母親の助けがあっても、その差は微々たるものでしかない。
そこで出会ったのが「青帝」と呼ばれる男だった。幼い孔とは違い、この世のあらゆる魔法を知っているその男は、偶然見つけた幼い魔女を気に入り、自分に弟子入りさせた。すると、その幼い魔女はなぜか魔力を開花させたという。
その男が死んでからも、孔は弟子の頃に教わった事はなるべく守るようにしていた。無駄なことに魔法を使わない、自分の知識は人にも与える、同士は愛せよ、強大な魔法は使えても使うな、等……これらを守る事で、彼は今の人望を得たと言える。それでも、彼は嬉しそうでも、幸せそうでも、そのような態度を取るわけでもなく、ただ自分の中が全て空っぽになったその感覚だけを噛み締めていた。
「天が俺を滅ぼした」
彼は、それだけ呟いた。
誰もがその言葉の意図を聞きたがったが、彼は一切口を開かなかった。凪ですら、未だにこの事については何も知らない。
季節はもう雪解けへの準備が進んでいる。それに伴うかのように、孔も学校を出ていく準備を進めていた。恒例の格式ばった式の日を待たずに、とっとと逃げてしまおうという魂胆だ。
「寂しくなるなあ」
武藤は、机の上の整理をしている孔を眺めながら呟いた。片手ではさっき淹れたばかりのコーヒーが湯気を立てていた。
「寂しくなるって、俺は元々次の化学担当が来るまでの穴埋め要員でしかなかっただろ」
「でも、孔が来てから生徒が特に活気づいた気がするんだよね。他の先生もそう言ってるよ。」
「俺が物珍しかっただけだろ…」
「そうかな、八千代なんて特に変わった気がするけど」
「妹は?」
「全く変わらず進展無しかと」
「生徒をボロクソに言うんじゃない」
八千代の担任である武藤は、八千代の妹である千代のことも気にかけていた。自分の担当するクラスの生徒では無いが、時々双子一緒に揃っているところを見ると、なんだか心配になるのだそう。孔は、そこまで双子を気にかける武藤が心配になった。
「でも、二人が変わったのと俺って本当に関係あんのかな?物は言いようって言葉もあるからな」
「あるだろう。二人は人間を信用できないからね。一度だけ聞いたことがある」
「本人からか?珍しいな」
「うん。僕もその時はびっくりした。いつもは話しかけてこない八千代が、ふと『話し相手になっておくれ』って」
「担任に対しても上から目線なんだな…」
「僕は好きだよ、八千代の口調」
「俺はいけ好かねえな」
武藤が八千代に話しかけられたのは、孔が今の学校に来る前の事だった。八千代の気まぐれか、それとも偶然なのかは八千代本人しか分からないが、当時の武藤は少し嬉しかったという。いつも物静かでクラスの誰とも会話をしない、隣にいるのは毎回双子の妹。調べると妹も同じようで、その性格故にクラスでは嫌われて浮いている。そんな中でも平気そうな双子を心配していた武藤にとって、用件はどうであれ、必要とされたのが本当に嬉しかった。結局、その時は千代を待っていた八千代の暇つぶしの為だけに話し相手にされたそうだが、武藤は彼女の聡明さに感動すらしたらしい。
「千代もだけど、八千代は本当に頭が良いんだなって圧倒されちゃって」
「お前さあ…生徒に手を出すのはイカンでしょ…」
「そういうんじゃないって。ただ本当にすごいなあって…」
「はいはい、お前はそういういい子ちゃんだよ。凪が気を許したのも十分頷けるわ」
「あはは……」
その時、昼休みが終わる事を知らせるベルが鳴った。次の時間も授業がある二人は、互いに慌てて授業のための道具をかき集めると、急いでそれぞれの教室に向かった。途中、孔は千代に絡まれてしまったので、結局教室に入るのが遅れてしまった。




