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子曰く  作者: 神秋路
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そういうことも ②

 少女が目を覚ましたのは、午後になってからだった。額の上には布で包まれた氷が乗せられている。横に顔を向けると、少し離れた所で誰かが忙しくしていた。床には紙や本や何かの植物が散らかっていて、特に紙にはメモのような事柄が書きなぐられている。


 起き上がってまず目に入ったのは、テーブルの上にあるまだ暖かい紅茶。その次に、向こうで忙しくしている人──白衣を着たお兄さん。


 自分は柔らかい数人掛けのソファに横になっていたらしい。どう話しかけようかと迷っていると、お兄さんは少女が目覚めたことに気づいたのか、


「そのテーブルの上にある物、自由に食べて良いから」


 と、こちらを振り向きもせずに言った。


「あ……ありがとう」


 よく見るとテーブルには紅茶だけでなく、少しばかりのお菓子や綺麗なサンドイッチなども並べられていた。どれも小さめに、少なく用意されているのを見た少女は、まるで自分の為に置かれているようだと感じた。


「……これ、本当に食べて良いの? これ、全部私のなの?」

「こんなもんでよければいいよ。不味かったら残してくれて結構」


 お兄さんはまたこちらを向くことなく淡々と答えた。


 ──そこまで言うなら……と、少女は恐る恐る手に取り、一口食べた。


「……おいしい」

「そりゃ良かった」


 紅茶も一口啜ると、初めての知らない香りが辺りに広がり、それまでの気分の悪さもどこかへ行ってしまった。


 何もかもに驚いてしばらくぼーっとしていると、ようやく作業を済ませたであろうお兄さんが、隣の椅子にドカッと腰かけてすぐさま足を組んだ。


 あちこちに向かって跳ねた髪の毛、目より大きくてまん丸な金縁の眼鏡、その奥で光る翠色の瞳、真っ白な白衣と手に持つ分厚く難しそうな本……それらを見てやっと、「この人は頭の良い人だ」と、子供の直感で分かった。何やら不機嫌そうな様子で、ちょっと怖い印象があるけれど。


「もう食べないの?」

「ううん。でもね、今までこんなのたべたことなくて」

「母さんの料理美味しくないとか?」

「そんなんじゃないの。お母さんのご飯は本当においしいの。だけどね、これはもっとおいしいし、こんなもの滅多にたべられないから……」

「そうか。そんなに大したものじゃないけど、喜んで貰えたのなら良かった」


 お兄さんはそう言うと、少女の額をふわっと撫でた。


「ごめんな、気絶するほどぶつけたみたいで」

「え?!」


 その一言で、少女は自分の状況を思い出す。


 やっとの思いでこの場所に辿り着き、物音がするこの家の扉をノックした。しばらく待つと、足音が近づいてきたことで住人がいるのだと確信した時、扉は信じられない速さでこちらに向かってきて──


 それから先は覚えていないが、どうやらそのまま扉と正面衝突して気を失ったらしい。


「あの時はちょうど苛立ちがピークで……まさかこんな子供を気絶させるとは思わなくてさ、申し訳なかったね」

「ううん。お兄さんが忙しい時に来た私も悪いの。ごめんなさい、お兄さん」


 自分に非はないはずなのに、少女はお行儀よく謝罪をして頭を下げる。お兄さんはそんな少女の行動に少し驚いたが、何も言わなかった。


「これはお詫びに用意したものだから、良かったらそれ食べながらでも良いから話を聞かせて」

「話って、何の?」

「うちの店に用事があって来たんじゃなかったの?」

「用事というか……私、逃げてきたの」

「何から?」

「こわい大人から」

「怖い大人……?」


 少女の言う事は一見どこか子供らしいというか、現実味がないもののように感じられる。しかし彼女の目は酷く怯えていた。本当に嘘をついていない、信じて、とでも訴えたいといった風に。


「怖い大人ってどんな大人? 俺はその中に入ってないの?」

「お兄さんは街で見かけないもの。それに、私のことを助けてくれたから、いじわるな人じゃないでしょ」

「そういうものか……?」

「あのね、街のこわい大人はね、私たちのことをいじめるの。私やお母さんに嫌なことをたくさん言うし、石とか物を投げてくるし、おうちも壊しちゃうの」

「どうして街の大人はそんなことをするの?」

「……こんなことを言っても、お兄さん絶対信じないでしょ。だから言わない」


 まさか、自分のような境遇でもあるまいし……。


 とは言っても、やはり少女の言葉の一つ一つには、初めは感じられなかった現実味を帯びた重みが確かにあった。


 それではまさか? あらゆる可能性が脳内を巡る。


 お兄さんは嬉しいような、しかし反面どこか恐ろしいような感覚に襲われた。


「そんなこと言わないでさ、話してごらんよ。俺は他の大人とは違うんだろう? 街の人みたいに酷いことをするつもりはないからさ」

「どうしてそう言い切れるの?」

「俺も同じ目に遭ったから」


 少女は目をまん丸にさせて、じっくりとこちらを見つめた。


 本当に?


 そうなの?


 まるで奇跡でも目の当たりにしたような反応だ。


「……じゃあ特別に教えてあげるね。誰にも言っちゃダメだよ」

「内緒にする」


 他言無用であることを承諾すると、少女はお兄さんに近づき、耳打ちをするようにそっと告げた。


「あのね、私ね……魔女なんだよ。魔法を使うの」

「うんうん、それで?」

「それでね、お母さんが魔女で、だから私が魔女になったんだけど、魔女って大昔から嫌われていてね、それで、えっと……」


 少女はまだ、目の前にいるお兄さんをただの一般人だと思っているのだろう。分かりやすいように一生懸命に言葉を選んで説明しようとしてくれている。しかし、まだ幼いために自分の使える語彙が少なく、度々言葉に詰まってしまうのがかわいらしい。


「ゆっくりでいいよ」


 そう言って、まずは彼女を落ち着かせた。

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