母曰く ④
「怪我はない?」
孔がそう聞くと、少女はまた泣きそうになりながら頭を取れそうな勢いで縦に振った。
「そっか。君も優しいね、お母さんより俺なんか心配するんだから。」
「…だって、私のせいで…道心さん死にそうになっちゃったから…」
「あはは、知らないの?魔女は案外そう簡単に死なないんだよ。だから安心して、お母さんのところに行ってやって。」
とは言うが、今の一件のせいで持っていた使える薬も、ひとつ残らずぶちまけられてしあったので、このまま何とかして帰るしか手はない。何よりも孔が一番心配していたのはそのことだった。
「…にしても派手にやられたもんだねえ」
さっきまでの威勢はどこへやら、凪はのんびりした口調で話しかけた。
「特に魔女なんてこんなもんだよ。お前らが羨ましい。」
「僕も僕で、君や他の皆に負い目を感じているんだよ。でも、僕にできることはこれしかないから。」
「それだけでも十分だよ。助かった。」
「それは良かった。」
「それよりそこの魔女、何とかしてやれよ。」
女性は、ケガこそ孔よりも軽く済んだが、骨が折れた箇所や酷い傷も見受けられるので、孔の家で治療することにした。しかし、肝心の家主が動けないので、凪は仕方なく波美に満つからないように自家用車を持ってきて、彼らを運んだ。女性は奥の部屋の孔の布団へ、孔はいつもいる玄関からすぐの研究室のソファに横になり、凪にあれこれ薬を持ってこさせた。
「どうして僕がこんなことを…」
「子供に薬を持たせるわけにはいかないだろ…あ、その瓶のは、あとであの人の骨折した部分にかけといて、かけるだけで良いから」
「そういうのは自分でやりなよ。」
「腹に異物刺さってる人間にやらせんなよ…これもあとで取らなくちゃいけない。」
「まさか、それも僕がやるの…???」
「さすがにこれは俺がやるよ…」
あまりにも大惨事だったので、いつもは静かな孔の家も、この時ばかりは賑やかになった。凪の手伝いの甲斐もあって、女性の方は今は落ち着いて眠ってしまったらしい。一方孔は、まだガラス片が刺さったまま薬を塗って包帯を巻くだけの処置をした。鎮痛薬は飲んだばかりなので、鋭いような痛みはまだ続いていた。
「…しかしまあ、変なつくりの家だよね。いつも思うけど、なんなのこの構造は…」
ようやく一息ついた凪が、ここぞとばかりに口を開いた。
「なんなのって・・・ただ玄関の壁ぶち破った事以外は普通の民家だけど。」
「だからどうして玄関を研究室にしちゃうんだよ…ここなら地下とか奥の部屋とかあっただろ?」
「確かに地下室もあったけど全部本で埋まったわ」
「はあ…」
土地から建物までの所有者である凪は頭を抱えた。孔がこの地に引っ越してきたとき、幼馴染のよしみで余っていた土地と民家を貸し、用事はないので好きに使ってくれといったばかりに魔改造されるとは…地下室は食料か何かを保存するためなのか、元々あったので文句は無いにしても、まさか玄関と周辺の部屋を潰して広い研究室にしてしまうとは思わないだろう。まして、窓の部分は除く全ての壁には本棚、奥の部屋に行くための廊下はその本棚たちで隠れていて、そこでやっと靴を脱ぐという正気の沙汰でない間取りにされてしまうとは夢にも思わない。
「人んちをよくもまあここまで魔改造したもんだよ。」
「どうせ大地主で稼いでんだから家の一件や二件、どうってことないだろ。」
「どうってことは無いよ。君が死ぬかここから出ていくかしたとき、また売りに出すんだから。こんなつくり、喜ぶのは君か変態かのいずれかだよ…」
「失礼なことを言う。」
そうして二人は笑ったが、その時の衝撃で傷がさらに痛み、孔は呻いた。
「一度眠った方が良いんじゃない?…僕だって仕事が残ってるし。」
凪はマメにスマホで時間を見ていた。きっと祈祷の予約か何かが入っているのだろう。
「そんなことをしたら誰があの子の面倒を見るってんだよ。俺はそのうち薬が効いてくるから、お前は戻っていいよ。ここまでしてもらったんだし。」
「それならいいけど…また戻ってきたとき全員死んでたなんてことがあったら、僕はもうどうしたらいいのか…」
「何考えてんだよ…波美に怒られたくないだけだろ。」
「ああ、バレてたか。」
「全部俺のせいにしてしまえ。雑用をやらされたのは本当なんだし」
「タダ働きなのが腑に落ちないけどね。まあ、そこまで言うならそうさせてもらうよ。聖水のお詫びだと思えば気にならないよ。」
凪はようやく重い腰を上げた。玄関の扉のノブに手をかけた時、孔はあることを思い出して呼び止めた。
「あのさ」
「どうしたの?」
「おまえさ…なんであの子の名前知ってたんだ?知り合いか?」
「あ…ああ、命ちゃんのこと?うん、知ってるよ。知ってるだけ。」
「そっか…早く教えてくれればいいのに。」
「ごめんね。諸事情ってことで見逃して。」
孔は凪の言動にどこか引っかかりを感じたが、特に気にせずそのまま凪を見送った。




