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子曰く  作者: 神秋路
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魔女の呪い ③

 孔の母親は、中世の時代、西方のとある国で繁栄した魔女の血を引く生粋の魔女だった。主にヨーロッパで流行った魔女狩りから逃れるべく、ほとんどの魔女の一族はバラバラになってしまった。そのうちのいくらかが東へ東へと流れ、この国に辿り着いたのが孔の母親の先祖である。


 渡ったのは明治から大正の頃とされているのだそう。当時から現代に至るまで、激しい時代の流れの中を一族の者はひっそりと血を受け継いできた。しかし、今すぐに確認できる魔女は孔だけで、同じ国にいる他の身内は今どうしているのか、母親にもすっかり分からなくなってしまった。


 生粋の魔女の女と人間の男の間に生まれた孔は、魔女の子供として生まれた時から忌み嫌われて過ごしてきた。そう生きるのが当たり前であった。


 そんな彼をずっと見てきたのが凪である。彼も長い歴史を持つ神主の一族の末裔で、代々守ってきた神社を継ぐための教育を施されてきた。ある意味孔と同じ、幼いうちから苦労を知らされてきた者だと言えるだろう。街で偶然出会い、仲良くなった孔を年上として守り、面倒を見てきた。だから、孔の苦しみはよく分かっているし、そんな凪を見てきた孔も同様である。


「……大丈夫だよ」

「何が?」


 今日の孔はまるで、かつて世の中の全てに怯えていたあの頃の自分と同じだと感じたのだ。でも、何があったのかまでは聞けずにいた。


出雲いづもも、臆病な子だから」

「臆病を治す薬までは作れないな。それとも、この「魔女」が呪いをかけてやろうか? 怖いものも何もなくなるぞ」

「あはは、やめておくよ。うちの神様に何を言われるか分かったものじゃないからね」

「その方が良いな。お前が治してやるがいいさ」

「僕にできるかな」

「お前が原因だからな」


 最後に余計な一言を付け加えると、そこで薬が出来上がった。孔はその薬を二つの瓶に詰め、凪の目の前に置いた。中で揺れている液体は、美しい空色に光っている。


「一日一口。無くなってもまだ治らなかったら、言ってくれれば作るから」

「……そんな大雑把で良いの?」

「残念ながら俺には小さな子供が楽しく飲めるような甘い薬は作れなくてね……薬の濃度を高くして少し飲むだけで済むようにするのが一番良いんだ。今回かけた魔法は、使った薬草の副作用が出ないようにする魔法」

「……ふうん、本当に何でもありなんだね、魔法って」

「魔法がそうなんじゃなくて、俺がそういう使い方ができるように作って、そういう使い方をしてるだけだよ。つまりこれは俺にしかできないことってわけで……」

「はいはい。みなまで言わなくても、君は本物の天才だよ」


 瓶が入った紙袋と出雲を抱え、さて帰ろうと準備を始めると、「ちょっと待て」と孔が凪の肩を掴んだ。


「あれ? まだ薬があるの?」

「忘れたのは薬じゃない」


 「ん」と右手を差し出す孔。何を求められているのか察した凪は、紙袋を置いて孔の掌をぴしゃりと叩いた。


「痛ッ!?」

「今月分の家賃はこれでチャラにしてあげるよ。君の紅茶と薬は代金を支払うに値するけれど、君も僕に支払うべきものを支払ってない事は一時も忘れた時もないからね」

「それじゃあ、先月分と来月分も俺の薬で払えませんかね……?」

「払えません! 先月も来月も再来月も現金で確実に僕の手に渡すこと!」


 これ以上余計な事を言うと、来月から家賃値上げとかなんとか言われかねない。少し待つように言うと、机の傍の棚から一つの小瓶を取り出した。今作ったものと違い、こちらは紅茶のような赤い色をしていた。


「何それ?」

「子供は何かと病気にかかりやすいからな。急に様子がおかしくなったりして、それでも医者なんかに行けないような時は、この薬で一時的に治まる。後で医者に診てもらっても変な副作用がないように調整したご都合主義の薬だから、何にでも使えるよ」


 その薬は、いわば万能薬である。


 孔の薬を求める客の中には、説明をするのが下手なのか、それとも本当によく分からないままなのか、訳の分からない症状を伝えて薬を買おうとする者がいる。いくら薬学に長けていても、何に困っているのか分からなければ適切な薬を作ることができない。正確な情報が無ければ、魔法のせいで悪化してしまうこともある。


 あてずっぽうで調薬してしまっては、後々の稼ぎに影響が出てしまう。そこで苦し紛れに作ったのが万能薬であった。本当に万能なものは作ることができなかったので、完全に治してしまうことはできないが、きちんとした薬を作るまでの時間稼ぎにちょうど良いのだ。


「これは最後に余った残りだから少ないけど、家に置いておいたらきっと役に立つ」

「ありがとう……そこまでしなくたって、家賃の値上げなんて考えたりしないのに」

「俺ができることはそれしかないから」

「そうは言うけれど、本当は君は、人に愛される人なんだよ。もっと人のために色んな事ができる。ただ、多くの人が君の存在とは釣り合わないから君の事を嫌うし、君は挽回しようとすることを諦めてる」

「なんだよ、突然」

「幼馴染から見た君の話だよ。ある意味、君は現在進行形で呪いを振りまいてるのかもしれないね」


 意味深な言葉を残し、凪はその場を後にした。娘と紙袋を器用に同時に抱える彼の後ろ姿を見て、やはり敵わない相手だと感じるのだった。


     ◇     ◇     ◇


 凪が帰った後、孔は一度一息ついて腕を捲った。少し産んだようなシミが包帯に染みてしまっていて、構わず一気に解いた。傷口を確認すると、あれだけ抉れていた腕がもうほとんど元の状態に戻っている。


「やっぱりあの薬草を入れて正解だったんだ。もうこんなに治ってるなんて想定外だな。……もしかしたら、俺が今まで作ってきた傷薬の中で一番の効果かもしれない」


 一人で勝手に喜びながら、薬を作ったときの資料に必要事項を書き足していく。それから、調薬の手順も新しい紙にメモをした。こうして出来上がった資料は、壁にかかっているコルクボードの一番目立ちそうなところに貼る。そうすればまた追加で調薬するときに作りやすいのだが、コルクボードはもう既に他のメモでいっぱいで余り役に立ちそうにもなかった。


 他に、客に渡す際に必要な薬に関する注意事項を小さな紙に薬に書いておいた。ここまでの仕事をこなせば、彼はやっと一人でゆっくりすることができる。


「ふー……」


 自分のためだけに残しておいた、とっておきの紅茶を淹れて、その香りを嗅ぐだけでなんだか安心する。


 こんな癖がついてしまったのもいつからなのか全く覚えていない。幼い頃からだったかもしれないし、今のこの家に住んでからかもしれない。


 思えば、最近の記憶もまともに残ってもいない。そんなにボケっとして過ごしていたっけ。そんなに忙しい生活だったっけ。


「……俺なんかに妹なんかいたっけ」


 よほど疲れているのか。もうティーカップを持つ力も出ず、彼は柔らかい椅子に身を任せ、紅茶の香りに包まれてそのまま意識を手放した。


 その香りは何とも彼らしい、何かを求める子供のように広がっていく。

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