縁起の悪い月宮にて ⑥
屋敷の中は外側と同じく木造で、広く長い回廊が続いている。先ほど見かけたような者たちともすれ違い、星流は親しげに遠慮なく声をかけていった。
「お疲れ様っ! 今日も忙しそうね」
「お疲れ様。あんたと違って私たちはやる事しかないのよ。人手がないったらありゃしない」
「な、なにおうっ……」
普段のきりりとした雰囲気とは裏腹に、同僚との会話に花を咲かせる女神はかわいらしい少女そのままの姿であった。時折見える彼女のこのような姿は、きっと彼女の「本音」を表しているようにも見える。
「そういえば、お前さっきから色んな事を教えてくれるけど、そういう仕事でもしてんのか」
「いいえ? ガイドなんて仕事、こちらにはありませんよ。初めての人が流れ着いた時に場所を教えることくらいはありますけど」
「じゃあお前の仕事ってなんなんだ? すっごい気になってるんだけど」
「……さて、ここの階段は段が高いので気を付けて上ってください」
「つまり決まった役職にはついてないってことだな」
彼女が決め込む無視を受け込め、言われたとおりに足元に注意しながら後ろをついて行く。いくつか部屋の前を通りすぎ、また階段を上り……それ以上は何も言わず、何も考えずにただ黙って彼女の後ろ姿を眺めているうち、ようやく目的の部屋の前に辿り付いた。
視界に入った景色は、今度は美しい襖の模様であった。ススキ模様で、背景には満月がぽっかり浮かんでいるのがお似合いだ。よく見るシンプルな柄ではあるが、きっと特別な唯一無二のものなのだろうと思った。
「どうぞ、お好きに開けて入ってください。今、手が離せなくて」
その場に来てからまだ一言も声を発していないのに、ヨミの声は客人の存在を言い当てた。光がほとんど届いていないとはいえ、ここにはいつでも月があるから読み放題だと思い出したのはずっと後の事。この時孔は戸惑って何の返答もできなかった。
「はい、ヨミさま。失礼いたします」
ヨミの言葉に、星流は遠慮なく襖を開ける。
「どうぞ、お入りください。少々お見苦しいかと思いますが」
「主に向かって見苦しいとは、あなたも言うようになったものだ」
知る声に誘われ、恐る恐る部屋を覗く。
そこにいたのは、ヨミ──ではあるが、どこか違う。
「お前……」
「失礼。少々いざこざがありまして。貴方なら、こういうのも平気ですよね」
無い。
彼のあの細くて白い左腕が。
肘上から指先にかけて、あの腕が綺麗さっぱり無くなっていた。
「石の処理という大きな仕事の前にちょっかいを出されてはたまりませんね。自分より上の立場の者や、それに属する有象無象に歯向かってはいけない。素直に従うべきでした。おかげでもっていかれてしまいましたよ」
「さすがに俺も無いものを出す薬は作れないな……」
「結構ですよ。あなたの薬と同じように、私にも私の薬があります。薬と言うより……水ですね」
ヨミは広い和室の壁際にある経机の前に座り、一人の少女を召し抱えている。一方その召使いの少女は、ヨミの腕の切り口を自身の手に持つ桶の中に沈めて動かない。中では、かなり透明度の高い水のようなものが揺れていた。
「こんなものは気にしなくて良いのですよ。私は死ねませんし、いずれ元に戻ります」
「作るか?」
「良いと言っているでしょう。あなたは石の事だけに集中すればよろしい」
そう言って彼は腕を出し、拭ってもらうとすぐさま立ち上がった。
実は、また新たな薬の研究ができると思ってそう声をかけたのだが、どうやら一生かけてもさせてもらえないらしい。
「ご案内しましょう」
「おい、お前、まさか……」
「孔は確か、飛べましたよね? 箒がありませんが……」
「一応飛べる。けどさ──」
「では行きましょう」
「っちょっおい待ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!????」
ヨミは孔の言葉を最後まで聞かず、部屋の入り口から見て奥の障子を開け、その向こうへするりと柔らかに落ちていった。その際、残っている右腕で孔の腕をしっかりと握っていたため、当然孔も一緒に落ちていくこととなった。
障子を開けて広がる世界は、暗く、そしてホオズキ色の明かりがちらほらと輝く──外。あれだけ苦労して歩いてきた道のりを全てぶち壊す行為を今ここで行っているのだ。
「もう~っ、魔女といっても、こんなのでびっくりするのですか?」
などと、星流れも一緒になって落ちている。彼女の長い髪は、服と共にバタバタと暴れ、上を向いてあちらこちらへ行きたがっている。
「うるせえ! 引っ張られれば魔女も神様も皆こうなるだろ!」
「ああそうですか。それでは、お先にっ」
彼女は体勢を立て直すと、ヨミについて行って町の方角を目指した。
「く……風神、章──!」
孔も何とか詠唱をすると、急いで二柱の後を追いかける。先ほど歩いた町は次々と腹の下を通っていった。必死に二柱について行っているうち、次第に、あまり明かりの届かないような田舎へとたどり着いた。
二柱と一人はその暗いある場所へ降り立つと、ヨミを先頭として何も見えない中を歩いて行った。




