縁起の悪い月宮にて ①
喪失症を抑えられることで、孔の調子はほとんど元通り、本業の薬売りも再会することができていた。その報せが知り合いから常連、非常連問わず客の間で広まり、それから更に術者、人間、老若男女全てを問わず彼の店を知る多くの客が店を訪れた。彼の自宅兼研究所兼店頭は、久しぶりに賑わいを見せていた。
「孔、魔法が使えるようになったんだって?」
「ああ、おかげ様でな」
「じゃあ、前に頼んでた痛み止め、作れるか?」
「もちろん。足腰に効く奴だろ? おっさん相変わらずだなあ」
「若くてその上魔法が使える奴には分かんねーんだよ、この辛さは。お前の薬がこれがまたよく効くんだ」
「ねえねえ、あの、目に効くお薬もお願いします!」
「ありゃ、お姉さんまだ病気続いてたのか。それは待たせてしまったな」
「あ! 話聞いてんのか!?」
それは二、三日続き、孔はしばらく個人的な研究を続けることができず、客の相手をし、久しぶりに帳簿を付けて、望まれた薬と必要な材料の在庫や時間をしきりに確認しなければならなかった。
ちょうど魔法を習いに来ていた命もそれに巻き込まれ、不本意ながらも基礎知識を急いで叩き込まれて薬草学と魔法薬学の実習をすることになった。見たことも聞いたことも無いものに囲まれて、まだ幼い彼女は文字通り目を回したことだろう。
「道心さん、言われた薬草取って来たよ」
「ありがとう。そっちの薬どうなってる? 大きい方のフラスコ」
「ぶくぶくしているわ。ピンク色」
「それじゃあ傍にある粉薬を入れて、放っておいて」
「はい」
「あ! 手には付けないで! 毒だから」
「毒……」
孔は、命には扱わせることができないような薬の調合をしたり、魔法を施したりしながら彼女へ的確な指示を出していた。指示し終わる頃には次の薬の調合へと手を出そうとしている。命は、そんな孔の仕事ぶりを見て憧れを持ちつつ、言われたとおりに手伝いをするのだった。
客たちは、そんな光景を見るのは初めてで、不思議に思う者も少なくなかった。
「お前、従業員でも雇ったのか?」
「は?」
ある客がそう声をかけると、ペンを片手に帳簿とにらめっこをしていた孔が、普段よりもボサボサになった髪を揺らしながら顔を上げた。忙しなく手伝いのために動く命の姿を認めて首を振る。
「ああ、そんなんじゃ……」
「じゃあ彼女か?」
「ばっ、そんな趣味ねーよ! 教え子だよ、教え子! 魔女の障害みたいなものを持っててな、こうして教わりに来てくれるんだけど……今は仕方なく手伝って貰ってる」
「フーン、またやってんのか。あの道士の女の時に散々だったって聞いたけど。ああ、今は巫女だっけ」
「あれはあいつが悪い。あの子は聞き訳が良くて助かる」
「にしてもこの場所も随分明るくなったもんだ」
「顧客の皆様方がご愛顧してくださってるからだな。今後ともご贔屓に」
疲れ切った顔で、いつもの紙袋を差し出した。
「『天若彦』」
「水武章第二段第三十番!」
「『戦車の足音』」
「震離章第十七段第五番!」
「『ヤコブの梯子』」
「煌耀章第二十八段十二番!」
「じゃあ……紅炎章第一段第七番は?」
「ええっと……うん? 道心さん、いきなり問題を変えるなんてずるいよ」
「詠唱は瞬発力が必要になるから。これにも対応できないようじゃ、俺との実戦はまだ遠いな」
孔はパタンと本を閉じた。
仕事が落ち着いてきた頃、命の勉強も徐々に再開していった。知識を付けたら体で復習する、という孔の勉強法に則り、命との実戦試合について考え始めたところであった。
「実戦!? 実戦ができるの!?」
「まずは口頭試験をクリアしてから。俺の詠唱は速いから」
「ええ……やっと道心さんの魔法が見られると思ったのに」
「魔法ならいつも見てるじゃないか」
「違うの! もっと、目に見えるような、そういう大きな魔法!」
「残念でした。今日の分はおしまい。また明日にチャンスを与えよう」
隣で膨れる弟子をよそに、放置していた薬の様子を覗く。
この薬は、喪失症を抑える薬を更に研究して作った薬である。残っていた聖水を弄ってみたり、新しく魔法を加えてみたりと試行錯誤にかけた時間はこれまでと比べてもかなり大きい。もしこの薬が完成するならば、店の商品にもなる。そして、あわよくば忘れた記憶も思い出せよう。
「さて、今日は次の魔法を教えようか」
そうして、本棚の中から一冊の魔法書を取り出した。
「あ、風の魔法ね! 道心さんが得意なやつ!」
「ぴんぽん」
本の表紙には何やら外国語で記されていて、本来なら命が読めるはずがないのを彼女はピタリと当ててしまった。これまでも彼女が見たことのないような言語の本を扱ってきたが、こうして当てたのはこれが初めてかも知れない。
「これはどこの言葉?」
「さあ……少し古いから断定はできないけど、英語だと思ったなあ……ただ、あまり見覚えの無いようにも見える。昔読んだ時も、きっと辞書か何か使っただろうから、探してくるよ。もしかしたら、魔法で読めなくなってるだけということもあり得るかもね」
「もしそうだったらどうすればいいの?」
「大丈夫。魔女は「魔女が読めない魔法」は使わないよ」
「もう! またそうやって曖昧な事ばかり言って!」
命のブーイングをせなかで受け止めながら、足元に気を付けて階段を下りる。そこには、久しぶりに見る縁起の悪い光景があった。




