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子曰く  作者: 神秋路
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徳は孤ならず必ず隣あり、されど徳は孤なり

 森の木々がさらさらと鳴いている。その優しい騒がしささえはっきりと耳を通るほど、辺りは静まり返っていた。


 森の小さな喧噪の中に佇むのは、孤立した古びた建物。一見すると伝統的な日本家屋のようにも見えるが、ただの小屋のようにも見える。引き戸を開ければ、カランコロンと森の喧噪の中に混ざるような鐘の音が響き、スーツに白衣姿の一人の青年がその姿を現した。


 彼は神崎孔といった。彼は「魔女」の末裔であった。


 かつては魔女狩りと称した迫害が流行るほど罪とされた民族。また、それほど人間たちに恐れられ、忌み嫌われた存在。神崎孔とは、魔女の生き残りの血を引く魔女である。


 魔女であるか否かを問わず、彼は膨大な知識を自らの脳に全て納めることに特化していた。長年生きた老いた魔女も、もちろん若い魔女も、誰もが羨む引き出し。特に人間の薬学と自身の魔法を融合した「魔法薬学」に関しては、教えを乞う者が現れるまでに至っている。


 けれども、幼い頃から培ってきた情報量と生まれつき持つ魔法との完璧なコンビネーションというものは、一朝一夕で身に付くものではない。半端者が手を出せば必ず数日で挫折するのがオチだ。


「教えを乞うには、あと十年足らなかったな。魔法書三冊分の知識を付けてからまた戻って来い」


 志半ばで故郷へ帰る弟子に向かってトドメを刺す。そこまでが師匠である彼の個人的な仕事であり、楽しみでもある。


 二十と少しという若さでありながら、既にあらゆる知識を持っていた孔という男を、魔女たちは尊敬し、仰ぐ者も絶えなかった。


 彼は、「天神」と呼ばれていた。


     ◇     ◇     ◇


 孔は敷地内の庭にあたるスペースを使い、薬の材料になるようなありったけの植物を栽培している。毒花、毒草、毒キノコ、薬草などと細かく分け、中には本来地理や気候の関係で育てるには難しいものもある。


 だが、彼にとってはそんな問題も問題の中には入らなかった。改良は一切行わず専用の薬を植物ごとに作れば、良質な材料にきちんと育つと知っているからだ。


 森の木々たちの噂話を耳にしながら、必要なだけ材料を収穫し籠の中に入れると、そのまま建物の中へ戻る。これで今日はもう家から出る用事はない。


 必要な買い出しも細々(こまごま)とした他の仕事も全部昨日のうちに済ませておいたから、このまま引きこもって研究や仕事に没頭できる。


 何の約束もしていない、突然の来客さえなければの話であるが。


 ──さて、中途半端にしていた薬はどうなったかな、などと仕事に戻ろうとしたときに限って、望まない客人が来るものだ。


「やあ、こんにちは」


 先ほどのように鐘の音を鳴らして入ってきたのは、着物と袴姿の男。着物と言っても私服で着ているようにも見えず、着物の白衣に浅葱色の袴という組み合わせ。


 どこかの社に仕えているように思わせる容貌だった。


「んだよこんな時に……」

「そんな露骨に嫌そうな顔しなくても……僕は一応お客なんだけどな。もっと言えば、路頭に迷いかけた君に家を貸してる大家だよ」


 男は少し困ったように笑うと、まるで実家にでもいるかのような態度で近くの椅子に腰かけた。


「毎日のように来る人間が客……なるほど、それなら入場料取れば生活費が増えるわけだな! それ良いな、明日からそうしよう」

「毎日じゃないよ。最後に来たのは一昨日かな。その前は一昨昨日さきおととい

「一日空けただけだろ。本当は一昨日のうちに買い物に行きたかったのに、お前のせいでセール逃してひもじい思いをしたんだぞ」

「あはは、それ、うちの波美も言ってたなあ。仕事が終わらなくて買い物が遅くなったことが何度かあるんだよね」

「お前の嫁の話は知らん! こっちは家計が火の車ゴロンゴロンなんだよ!」

「待って、波美もその言い回し、よくするんだよね。面白い」

「一人暮らししてひもじい生活してると嫌でもそうなるの。お前だって経験あるだろ? それはたぶん波美も一緒!」

「波美は一人暮らししたことないよ」

「じゃあ知らね……」


 男──たちばな なぎはにこにこしたままだ。


 孔とは五歳ほど離れた幼馴染であり、先祖代々神に仕える職を継ぎ、更に二児の父親と大変忙しい。こうした様々な側面を持っている彼もまた、気が弱くも信頼が厚い男であり、孔が唯一ハッキリと逆らえない人間でもある。


「大体さ、お前も来るだけ来ないでちょっとは紅茶代とか手土産的な、そういうものを持ってきたらどうなんだよ。仕事の合間にお茶出す俺の身にもなってみろ。俺の邪魔をしながら飲む俺の秘蔵の紅茶の味はどうだ」

「……うん、それくらいなら何か持ってきてもいいかもね。君のお茶は本当に美味しいから。でも、家賃を滞納しておいてそれはふてぶてしいにも程があるよ。だから何も持ってこないんじゃないか」


 凪は柔らかな笑顔をキープしたまま現実を突きつける。


 しょっちゅう仕事を抜け出しては、「家賃の回収」を理由に孔の元へ遊びに来るのが彼の日課だ。実家の神社を継いだのにも関わらず、ちょっかいばかりかけに来るその態度が孔に嫌味を言わせる。けれど孔は、凪が訪ねてくる度に仕方なく趣味の紅茶を振る舞い、仕方なく相手をしてやっていた。


「魔女のくせに良い趣味だよね。ちょっと気持ち悪いような」

「神主のくせに神様に従わないお前よりマシだ」

「そんなことあるもんか。僕はちゃんという事聞いて仕事してるよ」

「どうだか」


 孔は客に背を向け奥の仕事机に戻ると、似たような薬品が入った三本の試験官を引き寄せた。採ったばかりの植物をすり潰し、滲んできたほんの少しの液体を薬品の中へ垂らす。素人には分からない変化を確認すると、今度は袖を捲った。


 露わになった右腕には深く痛々しい切り傷があり、作ったばかりの薬が躊躇なく塗りたくられた。


「あとは直るのを待つだけだな。効果の程は──あ、あと時間……と」


 慣れた手つきで片手で包帯を巻くと、次はあらかじめ作っておいた資料に項目を足していく。そうして彼は、彼だけの薬を作っていくのだった。


「どうしたのその切り傷。だいぶ酷いみたいだね」

「ああ、昨日ちょっと色々。見た目ほど酷くはないよ」

「また? ちょっとは目に見える抵抗くらいしたらどうなのさ。ちまちま外堀埋めるようなことばかりじゃ平行線だよ」

「変な時に下手に行動を起こしたら、それはそれで立場が悪くなるかもしれないだろ。本末転倒だ」

「前もそんな事言って、その日に大怪我させられてなかった?」

「大丈夫。ちゃんとやるさ」

「……そっか」


 何があったのか分かっていても、凪は何も言わない。幼馴染の痛々しい傷を眺めるばかりだ。


「それで、なんか用事はあるのか?」


 その一言で、ぱちんと目が覚めた感覚がした。


「うん。うちの下の子が風邪引いちゃって。中々治らないから、薬を作ってもらおうかなと思ってたんだ」

「医者には行ったんだろ? ダメだったか」

「特に大きな病気じゃないってさ。薬は処方してくれたんだけど、一向に治る気配が無くて」

「とんだヤブだなあ」


 一仕事終えた孔は、凪の近くの椅子に座って煙草を咥える。火がつけられ、流れる煙に凪は少し嫌そうな顔をした。


「それじゃあ、子供の方を連れてきてくれればすぐに調薬するよ」

「森の入り口からここまで結構距離があるんだよ。そんな中子供を連れて往復なんて……」

「文句はここに別宅を立てた自分のご先祖様に言え! ……ほら、前に言ってただろ。子供のためなら何でもできるって」

「確かに言ったけど、それとこれとはちょっと違うんじゃないかな……」

「大丈夫、違くない。分かったら行った行った!」


 なんとか無理やり言いくるめて凪を追い出すと、深いため息を一つ。近頃まともな休息をとることができなかった故だ。


 それは、凪がほぼ毎日来ることが原因というわけではない。


 それは、魔女としての仕事が忙しさを極めていたことに原因がある。それは、腕の怪我にも関係があるし、少なからず凪にも関係がある。


 このまま倒れてしまう前に、どんな手を使ってでも、少しでも多くの休息が欲しかった。自分を仰ぐ者が沢山いても、最期まで心配して傍にいてくれる人は少ない。


 森は、未だ小さな話し声を途切れさせることなく、ただただ一人の青年を包み込むばかりだった。

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