3話
アヴァロン伯爵邸~執務室~
「お前もこの家にきて三年がたった。従者として随分板についてきた」
ダンディな旦那様が執務机を離れ、窓辺に立つと実に絵になる。
「私のような者にそのようなお言葉、恐縮でございます。旦那様」
旦那様が、私などを持ち上げるなどとは珍しい。どういう風の吹き回しだろう。
「そこでだ。執事教育を受けてみないか」
「は?」
何をおっしゃる旦那様。ご冗談を。そもそも私はあなたの密偵として雇われたのですよ?
お忘れですか。
なぜかお嬢様の従僕を週4でやらされていますが…。かなり不満です。
「ノア。お前は私にもう一度同じこと言わせるつもりか?」
つまり、拒否権はないと。
おかしい、私は旦那様にアンダーグランドに詳しく、腕っぷしが強いのを買われたはずなのだが、気付けば、お嬢さま付きの従者。次は執事ですか。あなたにご恩がなければ拒否できるのに。
****
俺は三か月ぶりにドブ臭い貧民街に戻ってきた。
いままでは、週に三日通っていた。しばらく来ないうちになんだか街がよそよそしいな。
俺は酔っ払いの情報屋オリバーの生死を確認すべく、いつもの酒場にいった。
やつは赤ら顔でいつものカウンターにいやがった。
「おう、久しぶりだな、オリバー」
「?」
ん?なんだこいつ知らない奴見るような顔しやがって、酒で頭がいかれて俺の顔を忘れたのか?
「え?おまっ、ノアか?」
「ああ?とうとうアルコールで頭までイカレちまったか?」
なんだこいつ。
「まじか……お前なんか……品よくなったな。貴族?みたいな?」
「え?」
そういえば、おかしい。いつもは店の中に直ぐ馴染むのに、明らかに今日は俺一人、店で浮いてやがる。
なんだ、何が悪い?
「なんかこう…背筋が伸びてて品がいいっていうか?綺麗さっぱりしてるっていうか」
そこで俺は気が付いた。スラムに来るのに、ついうっかり習慣で髭をそってしまったことに。やべえぇ、髪に櫛も通してきちまった。これじゃスラムでかっこうの餌じゃないか!俺は髪をくしゃくしゃにする。
いや、ちょっと待てそれは好都合じゃないのか?
なんだかよくわからねえ、執事修行とかでダンスだの教養だのと屋敷縛り付けられて、こちらはストレスがたまってる。ちょっと、運動してくるか。俺は酒場を後にした。
まあ、絡まれる。よく絡まれる。身なりが少しいいとこんなものか。チンピラを倒したついでに金品巻き上げた。いい感じに服も汚れて髪も乱れた。だが、酒場に戻る気にはなれなった。興が醒めちまった。
俺はうらぶれた教会の前に立った。粗末な服を着たガキどもが、敷地の中を走り回っている。俺はずんずん中に入っていった。
「あ!お菓子のお兄ちゃん!」
うっとおしいガキどもが群がってきた。俺は子供が嫌いだ。うるさいので途中で買ってきた、あめやクッキーをやって黙らせる。
「おい、神父、いるか?」
入り口で声をかけた。
神父はちょうど礼拝堂にいた。
「寄付だ」
まだ年若い金髪碧眼の神父に金の入った袋を渡す。俺の給金の一部とさっきごろつきどもから巻き上げた金だ。
「ノア、この金は汚れたものではありませんか?」
こいつは、すぐ理屈をこねたがる。しかも無表情。
「はっ、くだらねぇ。金に綺麗に汚いもあるかよ。使うもん次第だろ」
俺は分かった風な口をきく。本当に口幅ったい。自分で言って気分が悪い。要は飢えるよりましだろ。
「確かに、あなたの言う通りかもしれません。あなたに神のご加護がありますように」
奴は綺麗な顔で心にもない一言った。あらら、納得しちゃったよ。いちいち理由を必要とする奴は面倒くさい。前任の神父はもっと俗物で付き合い安かった。
俺は白けた気分でリーベの街をでた。
*****
「セバスティアン!昨日はどこへ行っていたの」
お嬢様がまなじりを吊り上げて怒っていらっしゃる。折角のお可愛らしい顔が台無し。
それから私の名前はセバスティアンではない。いい加減、覚えてもらませんかね。
「昨日はお茶もろくに入れられない使用人ばかりで散々だったわ。
あなたもたいがい使えないけれど、あれらもひどいものね。
不思議とあなたがましに思えたわ」
たいへん分かりづらいが、これはお誉め言葉だよな。
「ボケっとつったていないで、さっさとお茶を入れてらっしゃい!そうそう、今日は忙しいから、部屋で朝食をとるわ」
今夜はお嬢様は、侯爵家の夜会に及ばれしている。朝から、すごいはしゃぎようだ。
おやおや、あなたは第三王子一筋ではないのですか。
「ミュラー侯爵様は何がお好きかしら?どんなご本をお読みなるのかしら?知的な方だから、社交界のうわさ話など嫌がられるかもしれないわね。ね、セバスティアンどう思う?」
「と言われましても、私のような教養の無いものには皆目見当もつきません」
私は首をかしげるしかなった。
「それもそうね。どうして私、あなたのような教育の無いものに聞いたのかしら。うふふ、どうかしてるわね。お父様に聞いてくるわ」
というとお嬢様は弾むような足取りで、部屋から出て行った。仕方がないですね。この入れてしまったお茶は私が飲みましょう。ああ、おいしい。
*****
ミュラー侯爵邸 ボールルーム
ミュラー侯爵様濃茶の髪にブルーの瞳をもつ美丈夫。
うちのお嬢様はなかなか彼と踊れないようだ。それは驚くほどの人気。地位も金もある、優良物件。レディの人だかりができて当然でだろう。
日頃、図々し……ではなく、積極的なお嬢様がどうしたことだろう。輪に入れないようだ。
令嬢同士の争いごとに気おくれするような方でもないのに、どうしたのだろう。
おやおや、あれは最近、第三皇子のお気に入りとなった子爵令嬢ではないですか。
侯爵様を独占している。相変わらずあざといおんな……いえいえい、魅惑的なお嬢様で。
お嬢様と侯爵様をめぐって、争わなければよいが。なぜ、こんな日に私が当番になってしまったのやら。
で、私がどうしてここにいるかというと、
お嬢様をエスコートするはずだった兄レオン様がお仕事でこれなくなりました。
そして旦那様は、お金儲けで忙しく無理と断り、なぜか従僕である私にお鉢が回って来てしまいました。
隣国に住む貴族の子息という触れ込みです。これ、おかしいでしょ。
こういうことに利用するためにダンスだの教養だのをやらされたようだ。
「お前が見目がよいから、黙っていれば貴族に見える」などと伯爵父兄におだてられた。
執事見習いって、こういう事をさせるためだったのかと勘ぐってしまう。
空気になるよう努めた。誰も話しかけないでね。お里がしれるから。
私の偽エスコートなど当然お嬢様が嫌がると思っていました。しかし、ふたを開けてみると。
「しょうがないわね。お前で我慢するわ」
いやいや、そこは我慢しないでくださいよ。キレてよ、いつもみたいに。
そして着く早々、なぜか一曲踊らされてしまった。何の罰ゲーム?
うちのお嬢様はというと……。おや、どこにいったのでしょうか?見当たりません。
「セバスティアン」
すぐそばでお声がしました。
「帰るわよ」
そういうとお嬢様はサバサバとしたご様子でホールから出て行きました。
「かしこまりました・・・って、お嬢様、侯爵様とお話はなさらないのですか。というよりダンスもまだですよね?」
とても張り切っていたのに、どうしたのでしょうか。
「は?セバスティアンのくせに何言ってるの、私は殿下一筋ですわ」
意外と一途。
「なによ、その顔。私が侯爵様に媚を売ると思った?」
私が重々しく頷くと扇子ではたかれた。ちっとも痛くない。まさか手加減されたとか……いや、ないない。
この人に限って、それはない。単に非力なだけだ。普段から足蹴にされているが、蹴られても大して痛くない。
「子爵令嬢のエリナ様は放置ですか?」
ついうっかり、口が滑る。
「はあ?関係ないし。私の方がずっと美しいし」
お嬢様の猫みたいな目が更に吊り上がる。
顔の造作で言えば間違っていないが、魅力で言えばあちらが上。
「あんなやつ、他の殿方に媚うってましたって殿下に言いつけてやるんだから!」
とお嬢様は息まいて会場を出られた。
だから、それを言いつけてなんの意味が……。
私は慌ててお嬢様の後を追いかけた。