霊子回路
スマホと白い天井。
俺は覚醒したように目を開ける。
スマホを固定するアームを押し退け、聡里が顔を覗かせる。
「ご飯食べよっか?」
「いや、いい。欲しくない。」
聡里が椅子に座って溜息を吐く。
俺は視線を窓の方へと向ける。
「咲耶は?」
「実家に預けてある。」
「そうか。」
「だいぶん痩せたよ。」
「ああ。」
「どうして食べないの?」
「前々からやってみたかったんだよ、体の中を空っぽにしてみたかったんだ。」
「そう…」
「知ってるか?」
「なにを?」
「腹の中が空っぽになると最後に真黒な便が出て来るんだ。」
「そう…」
「体が軽くなると気持ち良くなる。」
「そう…」
「そうなんだ。」
俺の一言を最後に聡里が黙り込んだ。
俺も黙る。
窓の外を青い空と白い雲が彩る。
向こうで見た空はもっと透き通っていたように思う。そう思わせる何かがあるのかもしれない。
「食べなくなってどれぐらいか知ってる?」
「さあ。」
「三日だよ?」
「そうか。」
「今度、神経内科の先生が来るって。」
「ああ、そうだろうな。」
「異常な痩せ方だって。」
…
「…異常…?」
「うん。」
「どうして異常なんだ?」
「三日間で、この痩せ方は異常だって先生が言ってた。」
イズモリ。
『どうした?』
俺の痩せ方が異常だと、どうしてだ?三日間、食べなきゃ、これぐらい痩せるんじゃないのか?
『どの程度、痩せているのかが、コッチではわからん。』
そうか。
でも、医者が異常だと言うほど痩せてる。
『…そうか…』
俺の思い込みで、俺は異常な痩せ方をしてるんじゃないのか?
『…そうか…そうか!』
だろう?なにか原因がある筈だ。俺の精神体か霊子体の影響が。
『精神体と霊子体、そして肉体のアンバランス過多の状態だ。だから、お前の肉体は精神体と霊子体に引っ張られやすい状態なんだ!』
引っ張られやすい?
『そうだ。お前の精神体は六十四万人分の人間性統合人格で、霊子体は六十四万人分だ。』
ああ。
『それに対して、お前の体は一人分。マサトの体だけだ。』
それはわかってるよ。
『お前の精神体と霊子体は現在の肉体よりもかなり比重が大きいということだ。精神体の指向性を受けて、霊子体が肉体を稼働させる。精神体が肉体を認識して霊子体が精神体の思ったとおりに体を、肉体を動かそうとする!だから、お前の脳底に霊子回路ができた!』
お前が言ってた、思い込みが大事ってことか?
『そういうことだ…最初に俺が、マイクロマシンがなければ霊子回路を作成できないと言ったのは間違いだ…俺達の精神体と霊子体で作成することができる。』
イズモリの強い言葉に俺はきつく瞼を閉じた。
無意識領域にて俺の脳底部分を3D画像として映し出す。
「兎に角、この血腫を体に吸収させよう。」
本当にマイクロマシンがなくてもそんなことができるのか?
「自分の体内のことだということが一つ、精神体が複数あるということが一つ、そして、霊子の保有量が異常にあるということだな。」
で?
「必要な元素が、全て、体内に揃っている。設計図があって、肉体を構成する元素があれば、どうとでもできる。ということだな。」
いや、体内だからって細胞を動かしたりってマイクロマシンがなければできねえだろ?
「だから、複数の精神体が存在することと霊子量が鍵になる。」
そうなの?
「そうだ。肉体は霊子の指向性に従って自由に動かすことができる。霊子の指向性を強めるのはなんだ?」
そっか、精神体が複数あるから、その分、一つのことに集中すると指向性が強まるのか。
イズモリが頷く。
「だから、全員がこの血腫を吸収しようと考えれば、細胞レベルで霊子が作用する。細胞レベルで肉体を操作することができれば、肉体が血腫を吸収する。」
俺達は車座になって見えない白い椅子に座る。
イズモリが脳の3D画像に手をかざし、車座の中心に移動させる。
脳底部分が赤く点滅している。
「ここだ。マサト、お前が中心となって血腫が小さくなることをイメージしろ。」
イズモリの言葉に頷き、瞼を閉じる。
薄く瞼を開ける。
徐々に点滅部分が小さくなるが、変化が止まる。
くっ。
「ここまでか…」
どうしてだ…どうして、これ以上小さくならない?
「わからん。何が原因なのか特定する必要があるな。」
「でも、小さくはなったよね?」
「うん、小さくなってるよ。」
「消えてねぇんじゃ意味ねぇがな!」
「ちょっとでも希望が持てるよ。」
脳の3D画像が虚しく見える。
小さくはなった。小さくはなったが、それだけだ。
「霊子回路、霊子回路を作るつもりでやってみればどうだ?」
「それって関係ある?」
イズモリの思い付きに対して、カナデラは懐疑的な言葉を挟む。
「血腫が残るということは、何か意味があるんだと思う。」
イズモリらしかならぬ意見のように思うが。
「そうか?可能性としての推論だ。俺達は、マサトの体に対して非常にアンバランスな状態だ。そのアンバランスな状態を解消したいと肉体は感じていると、俺は考えている。」
「それが、血腫が消えないことと関係あるってこと?」
イチイハラの言葉にイズモリが頷く。
「精神体と霊子体が肉体に対して過多の状態だ。少しでも霊子体を放出したいから肉体は霊子回路を作り出したいと考えてるんじゃないか?」
「うん、つまり、霊子回路を作りたい肉体が、霊子回路の元となった血腫を消したがらない?」
「そうだ。だから、血腫を消すんじゃなく、この血腫を基に霊子回路を作成すると思考すれば、作れるんじゃ…」
待てよ。
イズモリの言葉を遮った俺に全員が注目する。
霊子回路を作る必要性はないだろ?
全員が黙り込んで、イズモリは見えない肘掛けを指で小刻みに叩き出す。
四本の指先がリズムよく音を奏でるが、俺にとってはイラつくリズムだ。
なんだ?イズモリ、何か言いたそうだな?
「少なくとも一つある。」
なんだ?言えよ。
「お前は体が動くようにしたいんじゃなかったのか?」
…
「俺はこの世界のことを知らない。」
…
「だから、この世界のことを知るためにも霊子体を自由に操作して、広範囲の情報を拾った方がイイと判断して霊子回路を作ることを提案した。」
…
「お前は自由に動けるようになりたい。なら、素直に賛成するだろうと思っていた。」
…
「意見は違えども見詰める方向性は一緒、俺達の共通認識だ。」
…
「お前は、お前の世界に戻って、俺達からズレた。」
俺はイズモリを睨む。
そう言いながら、お前たちは俺が向こうの世界に戻るように誘導してるんじゃないのか?
イズモリ達の姿がブレる。できの悪いブラウン管テレビの映像のようにノイズが走る。
おい!
俺が霊子回路を作ることで向こうの世界とチャンネルが開きやすくなる!お前たちはそう考えて!俺に霊子回路を作らせようとしてるんじゃないのか!?
声を掛けるが俺の声に気付いていないのか、イズモリ達は俺を無視して話し始める。
「俺達は…む…の世界にもど…と考え…変わらない…しか…お…が…仕方が………」
虹色のノイズが走り、イズモリ達の姿が霞む。
イズモリ達との精神体の周波数がズレたんだ。
無意識領域で、俺は一人になる。
イズモリ達の声が聞こえない。
無意識領域が、真っ白の巨大な空間が俺を圧し殺す。
イズモリ達がいなければ何も出来ない。いや、普通の人間に戻ったのだ。いや、それも少し違う。この無意識領域に精神体を存在させるだけでも異常だ。
でも、それだけだ。
精神体と霊子体の存在を知っている。
霊子体を操作することができる。しかも中途半端にだ。
霊子回路と周波数検知特定変換コンバーターがなければ、できるのは霊子障壁を展開するぐらいだ。いや、それも、今はできない…
できたところで、そんな物がなんの役に立つ。
いや、役に立たなくてもいいんだ。
そう、俺はこの世界では、普通の人間、妻と娘がいて、介護中の父親がいる。
実際、俺は今後の生活のために金が幾ら必要かを考えている。
マイクロマシンがあれば、幾らでも金を作ることはできる。ダイヤモンドだってイイ。
光熱費に食費、保険の掛け金に税金、娘の教育費に交通費、父の介護にだって金は掛かる。
トガナキノではない、この世界では生きるだけで金が掛かるのだ。
六年間。
この世界での時間は進んでいないが、俺は六年間も家族をほったらかしにしていたんだぞ?
聡里は専業主婦だ。
生活保護を受給して、介護しながら娘を育てるのか?
向こうの世界でトンナ達は生きている可能性は高いと言っていたじゃないか!
たとえ、たとえ、仮にもトンナ達が死んでいれば、俺が向こうの世界に帰る理由はなくなってるだろうが!
…
白い世界にトンナが現れる。
最初に出会った獣人の姿をしたトンナ。
そのトンナが、笑いながら泣いている。
何度も何度も涙を拭って笑っている。
溢れ出す涙を止めようとしながら笑っている。
涙を拭い、笑いながらトンナが消える。
こっちでは四十五年間、向こうではたった六年。
トンナなら、俺のことを一番に考えてくれる。
泣きながら、笑って見送ってくれるだろう…
イズモリ、お前は卑怯だ。
「俺じゃない、イチイハラだ。」
姿は見えないがイズモリの声が反響する。
決められない。
「今、決める必要はない。」
そうだな、今までもそうだった。
「そうだな。」
行き当たりばったりで、その時その時を自分のやりたいようにやってきた。
「そうだな。」
向こうの世界のことは気になる。
「…」
正直な話、娘と妻の顔を見て、帰る気は失せた。
「…」
でも、気になる。
「…」
霊子回路を作ろう。
俺を取り囲むように六人の俺が薄っすらと見えるようになる。
俺は全員に向かって頷く。
霊子回路を作ろう。
俺は同じことをもう一度言った。




