えっ?戻って来たの?
「正人さん!目が覚めたの?!」
嫁がいた。
軋む音と共に首が一瞬傾いて、俺がベッドの上に寝転がされていることに気付く。
セミショートの髪が俺に向かって垂れ下がり、大きな目が覗き込んでくる。
化粧っ気が全くない。
俺の知っている嫁さんの顔だ。
細かい皺が刻まれ始めているな。まあ、俺もコイツも結構な年だからな。
『ほう、コレがマサトの嫁さんか。』
『若い頃は、結構、可愛い系だったんじゃないの?』
系もなにも可愛かったんだよ。
『過去形?』
いや、今でも可愛いだろうが。
『どれぐらい強いんだ?』
タナハラ、文系の女に何を求める?
『年がいってても食う対象にはなるよねぇ?』
嫁さん相手に何言ってる。湧いてんのか?
「聡里…」
うん、名前もすんなり出てきた。
『マサトの体だからな、この脳にはマサトの記憶がしっかり刻まれてる。』
そうか。
「…よかった…よ、よかった…」
聡里が俺の首を抱締めてくる。
ってことは俺の手足や体幹には外傷がない?
『そうだ。神経系統以外には問題はない。』
首から下の感覚がないから予想はしてたけど、やっぱりそうか。
「さ、聡里、ちょ、ちょっと先生呼んでくれるか?」
涙を拭きながら聡里が起き上がる。
「う、うん、そうだよね。うん、ゴメン。」
聡里がナースコールを押し、俺が目覚めたことを看護師に伝える。インターフォンから慌ただしい雰囲気が伝わって来る。
「どう?喉、乾いてない?」
「ああ、水をくれるか?」
喉がくっ付いているような感覚がある。
首が動かないのに内臓器官である食道の感覚はある。
『喉頭蓋から少し先までの感覚だな。』
医者、必要?
『必要だ。』
やっぱり。
聡里が吸い口に白湯を作り、誤飲防止のゼリーを混ぜる。ってことは、俺の体が動かないってことは想定済みってことだ。医者から、こうなる可能性があるって説明を受けてるな。
『冷静だな。』
だな。
なんか、別世界にいるような感覚?と、いうか、自分の身に起こってるような、実感?そう、実感がないんだよな。嫁さんと娘と、久しぶりに会ったはずなのに、なんか、感動とか感慨とかが、全然、湧いて来ねえんだよ?なんでだ?
『マサトの肉体にとっては久しぶりじゃないからだろう。』
ああ、そうか、昨日、出掛けに、行って来ますって言ってるもんな。
「はい。」
聡里が吸い口を俺の口にあてがう。聡里は俺の父親の介護もしてくれているから、こういうことには慣れている。
『嫁さんに任せっきりなのかい?』
まさか。非番、公休の時は俺が付きっきりだよ。
『だろうねぇ。』
『でないと奥さん、もたないよね。』
『施設に入れちまえよ!』
バぁカ。親父の年金だって結構な額になるんだぞ?親爺名義の貯金だって同居してるから使えるんだしヨ。
『成程。』
『うっわあ。リアルにドロドロしたこと聞いた気がする。』
『ホント、すっげえ現実を思い知らされた気分。』
そういうのが無きゃ介護なんてやってられねえぞ?金を貰える仕事と割り切るから、糞塗れの自分の親父のケツだって拭けるんだ。
『ま、たしかにな!そういうところはあるだろうな!』
ノックと共に医者が入って来る。
「目が覚めましたか。」
疲れた印象のある医者だった。まあ、どの医者もそうか。
「取敢えず、出血が止まって良かったです。」
そう切り出した医者の説明は専門用語を使ったわかりにくいものだったが、聡里はその説明に一々頷いていた。
理解はしていないだろう。
で、結局、どうなってるのよ?
『お前も理解できていないのか…』
いいから、説明プリーズ。
『脳底、本来、霊子回路がある部分に血腫ができている状態だ。その血腫が脳と神経を圧迫して首から下を麻痺させている。』
アイツが言ってた治療法ってどんなのよ?
『血腫のできている部位が部位だけに手術は難しい、血腫が自然と体に吸収されるのを待つのが良いだろうってことだな。まあ、回復具合を見て手術するかどうかを決めるんだろう。』
ふーん。
『興味なさそうだな。』
まあね、俺達でなんとかできるだろ?
『何故?』
え?
いや、俺達で治せるだろ?
『無理だ。』
え?
『マイクロマシンがないから無理だ。』
え?ちょ、ちょっと待てよ?え?嘘だろ?
『嘘でも冗談でもない。マイクロマシンがないんだから無理だ。』
え?ちょ、ちょっと待て、うん、ちょっと、落ち着いて考えよう。そうだ。え?無理?
『何度も言わせるな。無理だ。』
え?うん。おかしいぞ?おかしいじゃないか!
『何が?』
なにがって、そりゃそうだろ?トガリの体が死にかけてた時、俺が向こうに送られた直後、お前ら、俺を誘導してトガリの体を治したじゃないか!
『そうだ。向こうの世界にはマイクロマシンがあったからな。』
いや、でも、霊子回路だってなかったのに!
『霊子回路は必要ないだろうが。』
な、なに?!
『自分の体内でのことだ、体外に霊子を放出して体外のマイクロマシンに命令する必要はあるまい。』
…
『どうした?納得したのか?』
え?じゃ、なに?トガリの体を治した時も霊子回路を作った時も精霊の目を作った時も、全部が、全部、体内のマイクロマシンに命令してたわけ?
『そうだ。向こうの世界にはマイクロマシンが散布されていたからな。呼吸、もしくは幽子の供給と共に周囲のマイクロマシンを摂り込んでいたんだ。だから、体内で全てが事足りた。』
じゃ、じゃあ、俺の治療に関しては、絶望的?
『だから言ったろう?医者は必要だと。』
…
『どうした?』
ど、どうしたって、おま、お前!ホント!他人事なんだな!
『お前が動けようと、動けまいと俺達には関係ない。俺達の置かれた状況は変わりようがないからな。』
いや、いや、いや、いや、いや、いやっ!そこは!解決策!解決策が必要でしょう?!
『何故?』
なぜじゃないでしょ?だって、このまま、俺、動けないかもしれないのよ?一生よ?一生、このままかもしれない訳でしょ?じゃあ、動けるようにしてくれないと!
『マイクロマシンがなければどうにもならん。マイクロマシンがなければ、俺達は只のお前の心の声だ。』
なんだぁ!それっ!全っ然!いらねえっ!!
『だろうな。こうなってくれば、俺達はお前にとっちゃ、只の喧しい居候だ。』
…
「正人さん、良かったね、治るよ、きっと。」
聡里の言葉がワザとらしい。励ましだけでなんとかなるなら、病院、要らねえよ。
「ああ、まあ、そうあって欲しいけどな。」
俺の言葉に、聡里が、一瞬、影を落とすが、すぐに笑う。
「大丈夫だよ!飛行機が墜落したのに、ほとんどの人が軽傷だったんだから!きっと、治るよ!」
聡里の言葉に俺も笑う。
「とうと、治る?」
咲耶が不安気に聞いてくる。
「ああ、治るよ。心配しなくっても大丈夫だ。」
言ってて、虚しいよ。
『だろうな。』
ちょっと、黙っててくれる?
聡里に視線を移す。
「点滴、されてる?」
「ええ…」
「じゃあ、管を抜かないように、咲耶をベッドに載せてくれ、顔をよく見たいんだ。」
「ああ、そっか、顔、動かせないもんね。」
聡里が咲耶に「さあ、クックを脱ごうねぇ。」と言いながら俺のベッドに咲耶を載せる。
咲耶は感覚のない俺の胸に両手をついて顔を覗き込んでくる。
笑う。
虚しさが込み上げる。
咲耶も笑う。
「退院したら、自転車の練習をしよう。」
『できない約束はしない方がいいぞ。』
だからっ!黙ってろって!!
「うん!」
でも…
『どうした?』
なんでお前達も一緒な訳?俺だけじゃなくって、なんでお前らも一緒なんだよ?
俺は咲耶と他愛のない話をしながら、イズモリ達と話し出す。
『ふむ、恐らく、別人格でありながら精神体が繋がっている結果だろうな。』
量子情報体も来てんのか?
『恐らくは。』
恐らく?
『精霊の目がないから確認できんが、飛行機の爆発を霊子障壁で弾き飛ばした事象と飛行機を墜落させなかった事象から察するに大量の霊子が存在することは間違いない。』
そっか、で、俺がこうやって存在してるってことは…
『そうだ。大量の霊子を消費し続けていることになる。つまり、量子情報体が存在しなければ辻褄が合わん。』
なるほどね。
じゃあ、向こうの世界、トンナ達はどうなってる?
『生存している可能性は高い。』
そうなのか?
『ああ、霊子の消費先が何処に繋がっているかはわからんが、世界線の壁を超えることができたのは量子情報体と精神体、そして霊子体だけだ。良くも悪くも向こうの世界へは霊子体が繋がっている可能性はある。』
そうか、確定的じゃないってことだな…
『そうだ。確認する術がない。』
マイクロマシンは…
『何度も言わせるな。マイクロマシンは物質だからコッチには来ていない。それにコッチの世界ではマイクロマシンが開発されていない。』
そう、何森源也の世界線ではとっくの昔に開発されてるマイクロマシンがコッチにはない。
じゃあ、俺は…
いや、やめとこう。
今は考えない。
咲耶の笑顔が俺の思考を止める。
うん、今はそれで良い。
俺は咲耶の笑顔に笑顔で応えていた。
本日の投稿はここまでとさせていただきます。お読み頂き、誠にありがとうございました。今後ですが、少し、投稿に間を開けます。今後の展開が、私にとって、少しばかり難しくなっておりまして、構成の見直しを掛けるためです。
お読みくださっている皆様には申し訳ありませんが、少しばかりお時間を頂戴出来ますようご理解ください。




