果てを超えた先に
「おい、起きろ。」
一番奥深くに残っている記憶は、そんな一言だった。
目を開けると、眩しい光が差し込んでいた。
シートを倒さずに眠っていたせいで、肩と首が固まっている。痛みに耐えて、首を捻り、枯れ木を折るような音が頭蓋内に響く。
思い出す。
以前にも、記憶に残ったこの夢を見た。
何森源也と初めて会った頃だった。
俺の転生する直前の記憶だ。
「もうすぐ着くぞ。」
鹿野守補佐だ。
そうだ、あの時見た夢と同じだ。
あの時も鹿野守補佐に起こされた。
「ああ。」
寝ぼけ眼を擦りながら、俺は狭い空間を一杯に使って伸びをする。
信号は点灯していないが、俺はシートベルトを締めて、着陸に備える。
沖縄だ。
娘と妻は、家で俺の父親を介護し、俺は沖縄サミットのために仕事だ。
夢の中で、現代日本に残してきた妻と娘の顔を思い出す。
そうだ。
そうだった。
娘はやんちゃ盛りで、可愛い子だった。
妻は決して美人とは言えないが、可愛い女だった。
思い出せた。
夢の中だからだろうか?
俺は窓の外を望み、下に見える雲を望む。
夢から醒めれば、また、家族の顔は忘れてしまうのだろうか?
主翼が窓から見える景色の半分以上を占めているが、白い雲と青い海が見える。
「沖縄かぁ。」
「なんだ。更科主任は、沖縄は初めてか?」
俺の隣に座る鹿野守補佐が、俺の独り言を聞き取り、声を掛けてくる。
「いえ。家族と来たことはあります。でも、まさか仕事で来ることになるとは思いませんでしたね。」
「全くだ。俺も仕事で来ることになるとは思わなかったよ。」
俺は、再び、窓外の景色へと視線を向ける。
主翼に黄色い一筋の線が描かれているのを発見する。
前の夢と同じ展開。
この航空機事故で俺はトガリの体に飛ばされた。
燃料タンクから漏れ出たジェット燃料が爆発炎上し、俺は五百人の乗客と共に墜落死するのだ。
死の寸前、夢とはいえ、やはり緊張する。
俺は唾を飲み込んだ。
喉の奥で鳴る音が、奇妙に大きく聞こえた。
『霊子体で爆発を弾き飛ばすんだ。』
俺は遺書を書くために伸ばし掛けていた手を止めた。
イズモリ?
『爆発を最小限に止めろ。爆発の瞬間、お前を中心にして霊子障壁を展開しろ。そうすれば、爆発を霊子障壁の外側に追い出すことができる。』
何を言ってる?夢だぞ。
『できる。やれ。』
夢の中でも霊子回路が働くのか?
『霊子回路がなくても、やり方はお前の霊子体と精神体が憶えている。時間がない、急げ。』
俺は起こるであろう爆発に向けて霊子体を展開させようとした。
くっ。
『どうした?』
頭の奥で痛みが…
『霊子回路がないんだ。脳に負担が掛かっているだけだ、構わずやれ。』
痛い。
夢…?
『構うな!やれっ!』
…どうした?何を焦ってる?
『これは現実だ!お前の!マサトの世界にシフトしたんだ!!このままでは全員死ぬ!!やれ!!』
一瞬の戸惑い。
その戸惑いを幾多もの修羅場を潜り抜けて来た生存本能が押し退ける。
高速ゾーンに突入。
更なる激痛が俺の頭の奥で起こる。
「トガリ…」
トンナの泣き顔が浮かぶ。
月光の中、安寧城の天辺で雄叫びのような泣き声を上げたトンナ。
「ずるいんよ…」
アヌヤが鼻を啜って涙を堪えてる。
「とうと。」
娘が俺の膝を求めて、おぼつかない足取りで向かってくる。
「女の子は可愛いで勝負なの。」
ヒャクヤが自慢げに話している。
「私には、その資格がないのだ。」
コルナが寂し気に俺に語り掛ける。
「もしかしたら、トロヤリのことが好きかも…」
照れたテルナドが俯く。
「マサトさん、今日の晩御飯は何がイイ?」
妻はいつも夕飯のメニューに困っていた。
『どうした?!マサト!記憶が混濁してるぞ!』
イズモリの声が聞こえたような気がする。
『マサト!頑張って!』
カナデラの声か?ダメだ、皆、同じ声だから判別できん。
「父さんはズルいんし。」
サクヤ、父さんは狡いよ。狡いから逃げる。
『なにから?』
ダレダ?
イッタイ、ナニカラニゲルノダ?
ヒトカ?
ケモノ?
ケモノトはなんだ?
なニがドウなッテいるのカ、ヨくワカラなくナってきた…
『マサト!!考えるな!霊子障壁を展開しろ!』
ナんだ、ナンのコえだ?イたい。
『カんがえルな!生ゾん本能ウにィ任ぁせテ!レいシィしョウ壁ダけを展クぁイいしロぉぉぉ!』
いタい。
ヤめろ。
クるな!しャべるナ!!
『戦えっ!!』
体の中心が熱くなる。
頭蓋骨に釘で打ち抜かれたような激痛が走る。
翼の爆発がスローモーションのように起こる。
蒼白い光がその爆発を押し戻す。
時間がゆっくりと、元通りに進みだす。
爆発した片翼が粉々になって青い空に吸い込まれていく。
ジュラルミンがキラキラと太陽光を反射させて綺麗だ…
機体が捩じれて、錐揉みを起こす。
機内を悲鳴が満たす。
一瞬、窓外に陸地が見える。
墜落する?!
頭蓋の縫合線が弾け割れるような痛みが俺を襲う。
墜ちるなっ!!
閉じた瞼の裏側が真っ白になる。
瞼を開く。
赤が世界を塗り潰す。
頭を両手で押さえる。
粘着質な水の音が頭蓋内で響き渡る。
頭の奥から外側へと激痛が走る。
体が跳ね上がるような衝撃を二度三度と受ける。
そして、俺は意識を失った。
「萱口、何故、分娩させない?」
私の言葉に萱口が両手を水槽から離す。
「霊子体は純粋な指向性エネルギーだ。」
私の質問とは全く関係のない話を口にする。
「霊子体は肉体内に保存されている。それは、生きるために必要なエネルギーであり、肉体の形質を保持するために必要だからだ。」
「そんなことは、お前の論文で読んだ。だから、そのエネルギーの活用法を模索しているんだろう?」
俺はイラついた心情をそのまま言葉に載せて吐き出す。
「幽子は同質のエネルギーだが指向性を持たない。幽子を事象に作用させようとしても触媒となる物質がない。」
「ちっ」
イラつきをそのまま舌打ちに変える。
「たった一つだけ、その触媒足り得る物がある。」
なに?
イラつきが霧散する。
萱口が振り返り、右手の人差し指で自分の蟀谷を叩く。
「生体…か…?」
私の呟きに萱口が頷く。
「この子は霊子を自由に操り、物質に作用させる。」
萱口の足元には破壊された玩具がある。
「体外に霊子を放出し、霊子にて物質に作用する…私は霊子器官と名付けた。」
「霊子器官、だと…?」
萱口が無言のまま頷く。
「精神体が強く願えば、人間の体は、その求めに応じて変化する。」
私は喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
「この母親は仮想現実の中で何度も死んでいる。」
萱口が女に視線を向ける。
「死ぬ度にそれは夢だと思い込ませ、何度も殺している。」
恐らく、この時、俺は表情を歪めていただろう。
「女は仮想現実の中で何度も転生しているのだ。」
喉の鳴る音が大きく聞こえる。
「超常現象が当たり前の仮想現実の中で、女は切望する。」
顔を女に向けたまま、視線だけが私へと向けられる。
「自分にも力が欲しいと…」
「おい、起きろ。」
一番奥深くに残っている記憶は、そんな一言だったか。
「霊子体は安定してるのかなぁ?」
「安定してる。精神体は定着してるから、起動してもおかしくはない。」
同じ声が質問して、また同じ声が答える。
「おい、いい加減、起きろ。」
質問者と回答者そして俺へと呼びかける声。そのいずれもが同じ声。
混乱する。
『俺に呼び掛けているのではなく、誰か、他の誰かに呼び掛けているのか?』
「いいぞ。起動した。そのまま、俺の声に意識を集中して覚醒しろ。」
なんのことか、わからない。
「マサト、いい加減にしろ。」
マ、サト…
そうだ。
マサトだ。俺の名前は更科正人。
目を開く。
白い光に瞼を眇める。
白い天井が見える。
石膏ボードに白の塗料が直接ペイントされた天井だ。
視線を走らせる。
天井の隅に赤いマーキング。
不燃仕上げを表示するマーキングだ。
壁も白い。
逆に視線を走らせる。
窓。
ガラスのはまった窓。
その向こうに見えるのは電線。
電線だ!
もっとよく見ようと首を動かそうとするが動かない。
固定されている?
いや…
いや、いや…違う。
違うぞ!
く、首、首から下の感覚がない!
く、首だけ?俺は首だけになったのか?
「とうと!」
視線の反対側から声が聞こえる。
み、耳は機能してる。
視線を声の方へと向ける。
可愛い女の子が覗き込んでいた。
肩まで伸びた真直ぐの髪。
大きな目が俺を覗き込んで輝いている。
大きく開いた口は笑っている。
柔らかそうな頬、そうだ、俺はその頬をよく突いていた。
「咲耶…」
忘れていた娘の名前。
その名前が、思っていた以上にスルリと出た。




