帰れるのかどうかは運次第なんてイズモリが許す訳ない
トガリの世界に戻れたのは、俺の精神体と繋がっているサクヤが強く望んだからだ。
サクヤの精神体がトガリ世界におけるマーキングになっていた可能性もある。そのことと、親和性の高い肉体に引きずられたこともあるだろうとイズモリは分析した。
現代日本に戻るに至り、俺達は、トガリの肉体にタナハラの精神体を残すことにした。
トガリ世界において、より明確なマーキングになるからだ。
俺達は、トガリ世界へと渡る際、事前に俺の身体にクシナハラを残している。
トガリ世界に渡った後も現代日本のクシナハラとは変わらずに話すことができていた。
これは、イズモリの提案だ。
イズモリは俺達の精神体が世界線の壁に道を造っているのだと推測している。
各世界線は、空間そのものが違う。
精神体が活動する無意識領域にあっても、各世界線では生きている人間そのものが違うのだ。
無意識領域で世界線が繋がっている訳もない。
俺は、そう、考えていた。
『しかし、そうなると、俺達の存在が説明できなくなる。』
これはイズモリの見解だ。
多元世界の人間達は同一の存在でありながら、世界が区分されているために同一の存在になりえない。世界が違っているから、別の人格となって成長し、同一の存在から離れる。
『だから、俺達の性格にも差異が生じる。』
そうだ。
だから、トガリの肉体に俺達は別人格として存在する。
では、どうして、俺達は世界線の壁を越えて、トガリの体に集約されたのか。
何森源也が精神体のコピーをトガリの体に跳躍させたからだ。
跳躍したからと言って、どうして、トガリの肉体に六十四万人以上の俺達が集約されるのか?
『量子テレポーテーションだ。』
そう。
量子テレポーテーションとは、一つのイベントで分離した量子は同一の状態を保つという現象だ。
世界線が分離するたびにその量子テレポーテーションが起こる。
『つまり、徐々に変容する人格、精神体は同一の思考線を辿りやすい。だから、別人格に成長しながらも根本的な思考は変容しない。』
同一の思考線を辿るなら、同一の人格が形成されるんじゃないのか?
『されない。世界線の環境が違うからな。環境が違えば各人格の選択の差異が生じ、選択の分岐が世界線を形成する。その時点で人格の変容が僅かずつ生じる。その為に周囲の環境も更に変わる。差異が徐々に大きくなれば、それぞれの人格は大きく変わる。』
人格の形成には記憶と環境が大きな影響を与える。
俺達の名字が違うのは、全く違う世界に、俺達が、それぞれに存在していたからだ。
始まりは何森源也の過去へのタイムリープだが、タイムリープ先となった世界は全て違う世界だ。
何森源也と同じ遺伝子を持った胎児は、違う世界の同じ両親から誕生した。
何森源也は、自分と同じ遺伝子を保有している者が、タイムリープ先として最も適切だと言っていたが、なんのことはない、タイムリープ先は、自分と同じ遺伝子を持った者でなければならないのだ。
無作為にタイムリープを実行しても、作為的にタイムリープを実行しても、結局は自分と同じ遺伝子を持った、自分にしか着地するのだ。
そして、そんな未来人がやって来るような選択肢が含まれた過去は存在しない。
何森源也がタイムリープした世界は、その時点で別の世界線を形成する。
元は同じ波状量子から造られた精神体が別の世界で、肉体と霊子体を掴み取る。
波状量子も量子テレポーテーションを起こす。
未来へと飛ばされたイズモリは、何森源也の精神体の複製で、未来へと飛ばされるその時まで保存されていた。だから、イズモリは環境と記憶に左右されることの無い完全なる何森源也のコピーだ。
そのコピーが世界線を越えることなく未来へとタイムリープした。
量子テレポーテーションで繋がっている俺達は同一の状態になるためにイズモリに引きずられ、トガリの体に着地した。
世界線の壁を越えた。
越えたのか?
『越えていないだろう。』
六十四万人の精神体が八つの人格に統合されたのだ。トガリを含めれば九人だ。周波数が近い、根本的人格が同一だからと言っても、まったく別の人格で六十四万人の人格が、たった九人の人格に統合されるものなのか?
必ず破綻している筈だ。
トーヤとキミマロの特殊な人格を除けば、六十四万人の各人格は親和性の高い人格として統合されたことになる。
そうして出来上がった人格が俺達だ。
イズモリは知識欲。
イチイハラは食欲。
カナデラは物欲。
タナハラは支配欲。
クシナハラは性欲。
そして、人間性が俺だ。
だから、俺は俺であって、元のマサトとは違うはずだ。なんらかの影響があって、別の人格になっていると考えられる。
それでも、妻の聡里は異常に思っていなかった。気が付いていなかった。つまり、他人では気付かないほどの変容が、俺、マサトの中で起こっているはずなのだ。しかし、その変容は僅かだ。つまり、六十四万人の人格が統合されても自分は自分ということなのだろう。
別人格であっても量子テレポーテーションの影響下にある俺達は、根本的な自分を保っていたことになる。
『だから全人類の無意識が形成する無意識領域でも根本的な人格に大きな差異が生じない。量子テレポーテーションで各世界線の同一人物が、同一の存在になろうとしてるんだからな。』
同一の存在になろうとする複数の世界、この場合では、無意識領域が同一の存在になろうとしている世界で、物質世界では別の世界に区分されている。
『結論。タイムリープが実行可能であるということは、無意識領域では全ての世界線が繋がっている。つまり、無意識領域では世界線の境界は存在しないため、世界線を越えたという認識そのものが間違いだ。』
と、いうことだそうだ。
ハイッ。
俺にはよくわかりませんでした!
『だろうよ。そろそろ、俺もお前に説明する虚しさに慣れてきた。』
とにかく、無意識領域は過去に繋がる共通の世界で、俺達は過去に戻ろうとしたら、マサト、俺の体に戻るってことだな?
『違う。』
え?じゃあ、ヤバいじゃん。俺の体に戻れなかったら、また別の世界線に飛ばされちゃうじゃん。
『そこじゃない。無意識領域についての認識が違う。過去に繋がっているんじゃなくって、全ての世界線に共通する存在だと言っているんだ。』
は?じゃあ、過去に遡ることができるのは、なんでだ?
『お前、あれだけ無意識領域で活動しておいて、わかっていないのか?』
何を?
『無意識領域で時間を感じたか?』
感じてるよ?
『違う。現実世界に戻った時の話だ。』
ああ…え?
『…気にしてなかったんだな…』
…うん。
『無意識領域から戻った時、現実世界での時間経過は様々だったろうが。』
そ、そうか?
『そうなんだよ。時間が進んでいることもあれば、時間が経過していない時もある。つまり、無意識領域では時間軸が存在しない。』
じゃあ、過去のトガリに戻ったりするじゃん。
『精神体が空っぽの肉体ならな。過去のトガリでも精神体が存在するから、過去のトガリには戻らない。戻る可能性があるとしたら胎児のトガリにだ。』
え?じゃあ、何森源也、いや、お前も未来に飛べなかったんじゃねぇの?
『本来ならそうだ。だが、俺達がトガリの肉体に着地した時、トガリの精神体は、ほぼ消滅しかけていた。だから、未来のトガリにジャンプできたんだ。』
成程、でも、じゃあ、過去に戻ろうとしても過去のトガリ、胎児のトガリに着地するんじゃねえの?
『はあ…だから、そうならないように、現代日本にクシナハラを置いて、中央コントロール室で霊子を増幅させて、トガリを跳び越えるエネルギーを出したんだろうが。』
ああぁ、そういう事。そうだったんだ。なるほどねぇ。
『まったく、お前に説明するのが一番の重労働だよ。』
でも、ちゃんと戻れるのか?
『戻れると推測している。』
す、推測…
『俺達がマサトの体に着地したのは偶然か?』
そ、そうなんじゃねえの?
『六十四万八千二百五十二人の、たった一人に着地したのが、確立変動に基づく偶然だと?』
違うのか?
『違う。だろうな。』
なんだよ、いつもと違って、随分、あやふやだな?
『推測に基づく推測だからな。ただ、確立に左右されていないのは、まず間違いないだろう。』
根拠は?
『これも推測だが、マサトの肉体に精神体が存在しなかった点が一点、だが、この理屈だと、他の、イチイハラやカナデラの肉体に引き寄せられる可能性もあったはずだから、あまり根拠と言い切れる要素にはならない。』
ふむ。
『最も強い要因は、お前が表出人格、主幹人格であったという点だ。』
俺?
『そうだ。お前が表出人格だからこそ、元の肉体、マサトの肉体に引き寄せられた。そう、解釈するのが、最も理屈に適っている。』
そうなの?
『そうだ。元はマサト個人の人格だが、六十四万人分の人格統合体だ、強力だろう?』
た、確かに。
『保険にクシナハラをマサトの体に置いて来たんだ。奴が俺達のマーキングになる。現に、今も咲耶の顔を憶えているだろう?』
ああ、しっかり憶えてる。
『トガリの記憶にない顔だ。何故、憶えている?』
そ、そんなのわかるわけねぇよ。
『お前の肉体とも繋がっているからだ。』
意識が浮上する。
イズモリの言葉を聞いて、途端に咲耶の顔を見たくなった。それが引き金となって、俺の視界が真っ白な空間に包まれ、俺を覗き込んでいるトンナ達の顔が白くぼやけ、真白になる。
白い世界が霞のように晴れて、現代日本の病室へと変わる。
咲耶が俺の顔を覗き込んでいた。
唐突だな。
『頭痛は?』
軽い眩暈ぐらいだ。
『肉体との齟齬が軽くなってる証拠だ。やはり繋がってるな。』
「咲耶」
俺の言葉に咲耶がにこっりと笑う。
あどけない瞳で俺の方を見る。
「おはよう。」
「おあよう。」
俺も咲耶に向かって笑い掛ける。
「寝てたから、静かにしてた。」
咲耶が自慢げに話す。
「ありがとう。」
俺の言葉に咲耶が更に笑う。
「何してたんだ?」
「ウーカンカン、かいてた。」
「またか?」
「またなの。」
咲耶は消防車の絵を描くのが好きだ。
ベッドから降りて、咲耶は、椅子に座ってベッド上の画用紙に向かう。
俺は視線を天井へと移す。
感覚的には無意識領域に向かおうとする時と似てるな。
『基本的にはそういうことになる。無意識領域を通じてコッチに戻って来ているからな。』
無意識領域に留まる時はどうしたらイイ?
『霊子量の調節だな。今回は、あえて、中央コントロール室で霊子を増幅させた。今後は意図的に霊子量を調節して無意識領域を越えるようにしないとな。』
そうか、あの中央コントロール室を使っているから、俺達は此処に戻って来れたのか。
『そうだ。霊子の使用量をコントロールできなければ無意識領域を通っても現代日本には来られない。霊子回路が作成できなければ、コッチから向こうに戻る時は、向こうから引っ張ってもらう必要がある。』
タナハラは?
『話せるぞ!』
そうか、じゃあ、成功だな?
『うむ。』
俺達はタナハラを、マーキングのために、トガリの体に置いて来た。
クシナハラ。
『うん?』
こっちでの留守中、変なことはしてないだろうな?
『してないよ。…でも、してたらソッチにはバレないのかな?』
『いや、バレる。』
そうなのか?
『マサトは現代日本の身体とも繋がっていることが実証されたからな。僅かながらでも、間違いなくマサトの意識が繋がっている。』
『なぁんだ。』
『これで、こちら側に常駐させておくのはクシナハラに決定だな。』
そうだな。
『え?俺?どうして?』
『お前は獣人の誰とも繋がっていないからだ。』
『あ、ああ、そうか。でも、それって関係ある?』
『無いかもしれないが、無いとは言い切れん。実際、俺達がコッチに飛ばされた時、コルナ達は昏睡状態に陥った。今後のことを考えれば、お前が適任だ。』
『そっかあ、じゃあ、アッチのお相手は聡里さんかぁ。』
ふざけてんじゃねえぞ?お前、無意識領域でブッ飛ばすぞ?
『じゃあ、俺の猛る性欲ってか、性欲その物でできてる俺は何処で鎮めればいいのさ?』
どこでもイイよ。聡里にバレねえようにしろよ?
『うふっ。オッケイ。じゃあ、そうする。』
『まあ、それもマサトが動けるようになったらの話だがな。』
『あ、そっかあ。じゃあ、マサトには頑張ってもらわないとね。』
なんか、納得できねぇ。
『動けないままで良いのか?』
そんな訳ねぇだろ。
『なら頑張るしかない。』
だから、頑張る方向性が見えねえだろ?
『ふむ、取敢えず、眠った振りしてこっちに来い。』
了解。
「咲耶」
「あい?」
返事をしながら咲耶が顔を上げる。
「父さん、もう一度、眠るよ。咲耶はずっとここにいてくれるだろ?」
咲耶が、自分の描いた絵を膝で踏みながら、ベッドに乗り上がって来る。
「イイ子イイ子。」
俺の頭を咲耶が撫でる。
「うん、じゃあ、お休み。」
「おやすみなさい。」
瞼を閉じた後も咲耶が俺の頭を撫で続けている。きっと、聡里に何か言われてるんだろう。
咲耶の小さな手の感触が遠く離れて行く。
僅かな感触が残り香のように俺を包み、俺は真白な世界に降り立つ。降り立つと同時に仰向けに倒れ込む。見えないベッドが俺を受け止め、俺はそのまま起き上がれなくなる。
「可愛い娘だな。」
へえ、珍しい、イズモリがそんな感想を言うなんて。
俺の言葉にイズモリが声を殺したまま笑う。
なんだ、意味深な笑い方だな?
「お前の本心を知りたい。」
俺の?
「そうだ。」
俺を、カナデラ、イチイハラ、イズモリ、クシナハラの四人が取り囲む。
「座ろう。」
四人が取り囲んだままの配置で、見えない椅子に座る。
イズモリは肘掛けに右肘を置き、右脇腹の辺りで手を組み、足も組む。
イチイハラは両の肘掛けそれぞれに両肘を置いて、足を大きく開く。
カナデラはイチイハラのように両肘を肘掛けに置き、両手の指先同士を合わせて複雑に動かしている。
クシナハラが緊張感のない砕けた姿勢で座っている。
なんだ、尋問でも始まる雰囲気だな?
イズモリは顎先を上げて俺を見下ろし、イチイハラは正面から俺を見据え、カナデラは俯き加減で俺を睨め上げている。
「俺が考えるに、お前の体は霊子回路を作ることを拒否している。」
「俺はそう考えないんだよ。」
イズモリの言葉にイチイハラが反対の意見を続ける。
「俺はイチイハラに一票なんだよねぇ。」
カナデラが合わせた指と首を動かしながら言葉を続ける。
「おかしいんだよねぇ。血腫は小さくなったのに、霊子回路が作れないなんてさ。」
「肉体が望む方向性なら正しいことだと俺は思う。」
カナデラの言葉にイズモリが反対意見を述べ、イチイハラがその言葉を受け取る。
「そう、肉体の望む方向性でもあるし、マサトの精神体が望む方向性でもあるんだヨ。」
成程、トンナ達と繋がってるお前達からしたら、俺が現代日本に留まりたがってると疑ってる訳だ。
「俺達に嘘は吐けない。」
イズモリが冷静な声で解りきったことを話し出す。
そう、俺達はお互いに嘘を吐けない。
「そうなんだよねぇ。嘘を吐いても、嘘を吐いていると俺達が自覚するんだから、嘘は吐けないよねぇ。」
「そう、嘘を吐いてると自覚するだけなんだよね。」
どんな嘘を吐いているかはわからない。
「でも、それだけで十分だ。お前は俺達に嘘を吐いていない。」
イズモリの言葉に全員が頷く。
「だからさあ、余計に厄介なんだよね。」
「うん、厄介だねぇ。」
「お前、迷ってるだろう。」
そう、嘘は吐けない。吐いても相手にその事実が伝わってしまうから吐いても意味がない。だから、俺は素直に頷く。
そうだな…迷ってる…
こっちの世界に霊子回路が必要なのかどうか、こっちの世界にまで干渉していいのか、どうか、霊子回路を作らなくてもこっちの世界と向こうの世界で行き来ができることは証明できた。なら、何故、俺の、マサトの体に霊子回路が必要だ?向こうの世界を救うためだろう?でも、そうすることはこっちの世界に干渉することになる。
「お前はコッチの世界の人間だ。だからコッチの世界を平穏な状態で維持したいという気持ちもわかる。俺達が霊子回路を作ってマイクロマシンをコッチの世界に呼び寄せれば、近い将来、コッチの世界でも、終末戦争や殺戮戦争が起こる可能性は十分にある。」
なら…!
イズモリの左手に俺の言葉が遮られる。
「マイクロマシンをコッチに呼び寄せることができるかどうかは不明だ。」
イズモリが俺から視線を外して、上に向ける。
「それとは別に、お前は気にならないのか?」
なにが?
「コッチの世界のニュースだ。」
ニュースが?それがどうした?
イズモリが溜息を吐く。
「米国が核軍縮条約を破棄したそうじゃないか。」
ああ。
「テロ行為も増えている。」
ああ。
「米国と中国の貿易摩擦が激化してる。」
ああ。
「日本と韓国の軍事絡みでも問題が起きてる」
ああ。
「俺は、無意識領域で何森源也と戦った時、何森源也に取り込まれたろ。」
ああ、それが?
「俺は何森源也の純然たるコピーだ。だから、その時に、断片的にだが、奴の、四十五歳までの何森源也の記憶を持っている。」
それがどうした?
「何森源也のいた世界、その世界で、戦争が起きる前も世界情勢はこんな雰囲気だった。」
俺は言葉を失った。




